愛娘・明奈の誕生日を祝うために「焼肉パーティ」へと家路を急ぎまくる一伸。お店の予約は19時45分だったはずなのに、19時半を過ぎた頃に「肉を焼いている娘」の写真が送られてきた。
「どういうこと?」と焦る一伸は・・
********************
「娘がバスジャックに!?」的心配は無事に消えたが言葉を失った。焼肉店の予約は19時45分だったはずだ。腕時計をチェックしたが、まだ長針は「6」と「7」の間を進んでいて19時35分にもなってない。念のためスマホの時計を確認してみたがやはり19時32分だ。頭の中を「?」が席巻した頃、妻からのメールが届いた。
「わけあって先に始めちゃいました。
ごめんね。とにかく食べながら
待ってます。サキカン♪♪♪♪♪」
―サキカンかよ。。
最近、ビールのCMでよく見る「先に乾杯」の略語だ。「♪」が5つ並ぶあたりに、妻のご機嫌度合いがうかがい知れる。娘が部活終わりで空腹に耐えられなくなって、先に肉を焼き始めたといったところだろう。
―仕方ないか…
まぁこっちももうすぐ葛西臨海公園駅だ。自転車を飛ばせば20分もしないで合流できる。着いたら「外食の時は、おごる人間の到着を待つもんだ!」くらいの小言を言って、お酌でチャラにしてやろう。そう思って一伸は冷静に妻にメールを返す。
「了解。美味しく食べてて下さい」
ようやくだ。電車が葛西臨海公園駅停車に向けて速度を落とし始めた。
◇
一伸が葛西臨海公園駅から自転車で15分の距離にマンションを買ったのは7年前だ。並のサラリーマンの限界…をちょっと超えた価格設定の物件を頑張って購入した頃のことは今でもしっかり覚えている。明美が年長の夏。小学校に上がるタイミングで―。と家を探した。一伸自身は山梨出身で、妻は千葉の南房総出身ということから都内のどこにも特に思い入れはなかった。また、西日本から上京してきた人間に時折感じる「住む場所」への異様なこだわり―主に渋谷を起点に西へ電車で15分以内が理想とするケースの多いこと―もなかったことから、墨田区、葛飾区、文京区、足立区、八王子市、国分寺市、立川市・・・と幅広く家を探した。なんとなく帰省のことを考えて「都内東側」で探しはしたけれど、本当にどこでもよかった中で、この江戸川区のマンションに決めたのは「おかっぱ頭の販売営業員」の口説き文句に畳みかけられた以外の何物でもない。
「赤松さん実はですね?
江戸川区って23区で一番、
住んでる人達の平均年齢が
若い区なんですよ?
子供が沢山いるんです!
つまり元気な区なんです!」
―平均年齢が若けりゃいいってもんじゃない。年配の方が多いからこそいいこともある。
「赤松さん実はですね?
江戸川区って23区で一番公園の面積が
広い区なんです!」
調べてみた。
―そのほとんどを葛西臨海公園でまかなっているだけじゃないか。こっちは、表面的な数字に騙されてマンションを買うほど馬鹿じゃない。
「赤松さん実はですね?
子供の医療費無料化を比較的早く
実現化したのも江戸川区なんですよ?
お野菜の収穫量だって23区で
1番なんです!小松菜が名産なんです!
安心の食材が手に入る!
街に暮らす子供が多いだけあって
育児環境も整っているってことです!」
―なるほど素晴らしい!
‥だがこの東京、23区で1番だろうが23番目だろうが世界規模で見れば、どこでも「子育て環境」は良すぎる方だ。そして小松菜に関して言えば…
一生食べなくても生きて行ける。
「赤松さん実はですね?
江戸川区ってインド人が多いんです!
インド人のITインテリ層の多くが
この江戸川区に住んでいるんです!
だから本格派のカレー屋さんも多くて…」
―ハッキリ言おう!インドと日本のカレーは違う!そして俺はチェーン店のカレーが大好きだ!
「赤松さん実はですね?こちらの物件、
15階以上ですと赤々と輝く東京タワーが
見えるんですよ?
行く行くはスカイツリーも完成すると
ばっちり見えて…」
様々な説得話に少しずつ心を動かされ、いつしか「どうせ買うなら景色のいい方が…」と「買う前提」で考えるようになっていて、結局は当初予算3500万を限度にしていたが結局、300万冒険して3800万円の部屋に手を出した。購入を決めたフロアは16階。一伸の部屋からは、赤い東京タワー・・の「先端」が見える。
マンション購入当時の思い出に頭を取られていると、電車がついに葛西臨海公園駅のホームに滑り込んだ。ここからは自分の努力次第で、どこまでもタイムを縮められる。「レースの再スタートだ!」と気を入れ直す。いつもはトボトボトボと階段を降り改札を出るが、今日だけは誰よりも早く改札にたどり着きたい。もう「炭火の焼き肉屋さん」までのルートは完璧だ。改札を出る。自転車をピックアップする。最近、設置されたヒーローらしきキャラクター「エドガワイルド」なんて名前のイラストが描かれた看板を左。そこからひたすらに漕ぐ!おそらく12分!だけども「明美の誕生日」というエンジンを積んだ今日なら10分で行ける!遅くても19時55分には乾杯できている計算だ!そう、まさに今話題の福田大雅のビールのCM、そのキャッチを体現できるチャンスだ!
―家族とのお祝い。
心はホットに!
味はドライに!
電車を降りて、階段を1段飛ばしてかけ降りる。いつもより多めに腹の肉が揺れているのも気にしないで、13秒後には改札を出ていた。さらにその15秒後には自転車へ到着。1分と経たないうちに駅を背に自転車をこぎ出した。いつもより多めに腹の肉と太ももがぶつかっているのも気にしないで、ひたすら真っすぐに走り続ける。5分ほどで「エドガワイルド」の看板が見えてきた。緑の野菜を刀のように構えたそのヒーロー。「東京戦隊ツースリー・エドガワイルド」と大きく書かれているのだが、一伸自身は一度もじっくりとは見たことがない。朝はそんな暇はないし、帰りもわざわざ自転車を止めて見入る気力も関心もない。そもそも興味がない。もちろん今日も即通過!いつもより速度を増して通過!・・と思っていたが、不意に3人の女子中学生らしき子達から切羽詰まった大声をかけられた。
「すみません!写メを撮って下さい!」
見ると3人ともに頭を下げている。写真を頼むだけなのにどうしてこうも切羽詰まり恐縮しているのか?怪訝に思いつつも、娘とも年齢の変わらない年頃の子達に頼まれると断りづらくもあり、仕方なく自転車を停めた。「1枚でいい?どのスマホで撮ればいいの?」と声をかけながら1人の子のスマホを受け取った。すでにカメラモードになっていたので、シャッターを押すだけでいい。一伸が画角をチェックしている間に、3人は「エドガワイルド」の看板を囲んでそれぞれポーズを取りだした。エドガワイルドと対峙している子、緑の野菜の刀で刺されたように苦悶の表情を浮かべている子、すでにやられたのか倒れこんでいる子。何ともアホな光景だ。まぁどうやら決まったらしいところで「いいかな?」と声をかけ撮ろうとした矢先、3人が突然変わった掛け声を口にした。
「たとえ我が身朽ち果てようと、
俺らはいつでも仲間を守る!」
よく分からないがそれを聞いた後、2,3枚撮影してスマホを返した。受け取った3人が、写り具合を確認し「バッチリです!ありがとうございます!」とお礼を述べ始めたあたりで、一伸はもう自転車を再スタートさせた。早く明奈の誕生日を祝いたい!早く明奈の酌で美味いビールを飲みたいのだ!
◇
19時50分。顔も久々の運動で真っ赤に染まる頃、ようやく「炭火焼き肉店」に到着した。「予約していた赤松です。すでに入っていると思うんですが・・」と店員に告げ、部屋へ案内してもらう。照れ隠しで精一杯息を整えながら、まるでひとつも慌ててきた風ではないように装いつつ、家族に声をかける「お待たせ」。
そこに・・明奈はいなかった。
「ん?」
代わりに先ほど届いた「肉一杯の写メ」で明奈が座っていた位置に初老の女が座っている。「早かったねぇ」と笑顔で言うその女性の顏には、一伸と同じ位置の「右頬」にエクボがある。
―玲子だ・・。
―つまりはオフクロだ・・。
一伸が「明奈は?」と当然口にすると、妻の明子が「それがね・・」と自分自身のスマホをいじって画面を見せてきた。
「ハイ、明奈のツイッター」
「?」
娘のツイートをとりあえず読んでみる。
「友達がサプライズで
パーティ誘ってくれた!
これから速攻合流!」
「葛西臨海公園の観覧車。
8時で終わるまでにみんなで
行くしかないっしょ!」
「たとえ我が身朽ち果てようと、
俺らはいつでも仲間を守る!の写メ
笑える。アホ過ぎて最高の仲間に乾杯!」
そこには、見覚えがあり過ぎる「アホな光景」の写メが1枚写っていた。あの「エドガワイルド」と対峙している女子中学生3人の写メだ。
―俺が撮った1枚だ!!
明子が続ける。
「さっき友達からラインが来て‥8時からサプライズパーティをファミレスでやってくれることになったんだって。「行きたい」って言うから。とりあえずちょっとだけでも、焼肉屋さんも付き合ってから行きなさいって言ったんだけど‥。そしたら、自分でお店に電話して予約時間を7時半に早めちゃって…そして「あっ」という間に食べちゃって今、行っちゃった。本当にたった今よ?パパとちょうど、入れ替わりでここから出て行ったくらい」
―ふーん。
あの子達、明奈の友達だったのか・・。少し冷静を装おうようにメニューに手を伸ばしつつ言ってみる。
「まぁ、友達の誘いなら仕方ないか・・。
とりあえず生ビール、もらおうかな」
「酌をしてもらう楽しみ」もなくなったので瓶ビールを頼む必要はもうない。ところが
「瓶ビールにしなさいよ?お酌しますよ?」と、さっきまで明奈の座っていたスペースにいる70歳―オフクロ・玲子―が笑っていた。聞けば明奈が呼んだらしい。玲子は招待されたのがよほど嬉しかったのか、こちらが聞いてもいないのに自分の話を続けている。
「私、ここまで自転車かっ飛ばして
きちゃった。でも私、お肉あんまり
食べられないから‥
サラダでももらおうかしら。
小松菜のサラダ美味しそうね。
私、小松菜大好き。
小松菜がないと生きていけないくらい!」
小松菜・・。
ビールはすぐにやってきた。玲子が一伸のグラスにビールを注ぐ。続けて自らのグラスと、明子のグラスも満タンに見たし、ご機嫌に乾杯の音頭を取る。一伸も一応付いていく。
「それじゃあ明奈ちゃんの誕生日を祝って、とりあえず乾杯!トリカン~」
「トリカン~」
「明奈ちゃん。生まれてきてくれて
ありがとう!今日も元気でありがとう!
さぁ!乾杯!」
「乾杯~」
主役不在、40代2人と70代1人の「炭火」焼肉誕生会が始まった。親として、我が子を「炭火」焼肉店に訪れたつもりが逆に自らが「子」として親とやって来た格好だ。これもまた何年ぶりだろう。とにもかくにも若者のいない状況で囲む肉。肉はさほど頼まなくても大丈夫だろう。財布はそう傷まずに済みそうだ。良かった良かった良かった・・。と一伸は思いこむことにした。
ビールを流し込みながらスマホで、改めて娘のツイッターをチェックしてみると、ツイートが更新されていた。
「カズブーがおごってくれる焼肉も
捨てがたいけど、
仲間に誘われたら仕方ないっしょ!」
仕方ないのかなぁ。一伸はグラスにもう半分も残っていなかったビールをまとめて流し込みなつつ首をひねった。
―まぁビールが美味いからいいか。
なんとなく、明奈のいるファミレスの方―この店では個室出入り口の方向―にグラスを向けて言ってみる。
「誕生日にトリカン」
妻と母親の手前、理解ある父親をふるまおうと少しだけ「ビールのCMの福田大雅」を意識して、かっこつけて言ってみた。
…と明子が「パパ、そう言えばね?」と若干の笑みを浮かべながら、こちらがどうにも格好のつかない言葉をかけてきた。
「パパが明奈のツイッター見てるの、
あの子にバレてるよ?」
「‥え?」
「アカウント名。REDMAN」
「…。」
「そんな名前でツイッター、
やってるんでしょう?
でも何もツイートしないで、
明奈のアカウントをフォローして、
ただ見てるでしょう?」
「…。」
「バレバレだってよ?」
「…。」
「キモイってよ?」
「………。」
「バレてるの分かって、
わざとパパが喜ぶことを
ツイートしたりしてるってよ?」
「……………。」
「レッドマンさん?
娘から遊ばれてますねぇ~」
「………………………。」
一伸は店員に声をかけた。
「すみません!生ビール下さい!」
その顔が真っ赤だったのは、もう酔ったからでも「炭火」焼肉店まで急いできたからでもない。