9月4日に

父の23回忌の法要がありました。
 
 
 
実家の近くのお寺で
母と私達の4人きょうだいと
配偶者と、長弟の息子2人の
こじんまりした法要で。
 
 
 
今までの法事は
お寺を出る時に
私が写真を撮ろうと音頭をとって
本堂の前で集合写真を撮ってきました。
写真好きですから。
 
 
 
今回はなぜか
声をかけず
そのまま解散という流れだったのですが
(会食の予定もありませんでした)
母と姉が打ち合わせたいことがあったようで
それならと
全員で近くの美味しいお店でお食事をすることになりました。
 
 
 
食事の後
 
 
父の法事はもうこれで一段落だし
次にみんなで会えるのは
もしかしたら
母の何かの時かもしれないと
感じました。
 
 
 
多分全員がそう思ったんじゃないかなと思います。
 
 
 
私達きょうだいは
あっさりしてるし
日頃マメに連絡を取り合ったりしません。
 
 
 
何か事があれば
結束できるということは
わかっています。
 
 
父の時もそうだったし
あの時と今は
各自の状況や
関係性が変わっても
人の心根というものは
変わらないと思うのです。
 
 
 
お店を出て駐車場に向かう時
「冥土の土産に写真撮らなくていいの?」と
母に言いました。
 
 
 
私は自分の冥土の土産だと思って
常にいろんな方と写真を撮っています。
 
 
そんなつもりで
全く悪意なくその言葉を使い
もちろん軽口で
深い意味はなくそう言ったのですが
母は
「冥土の土産なんて。そんなこというの圭子だけよ」
と言い放ちました。
でも笑ってました。
 
 
そして「本当は本堂の前で撮りたかった」と。
 
 
ほらねー。
 
 
私が言わないと誰も撮らないし
写真にそんなに興味もなさそう。
 
 
 
母は今住んでる家の壁に
自分の子供の頃の写真や
実家の家族の写真、
私達が子供の頃の写真などを
大きく引き伸ばしてたくさん貼っています。
 
 
楽しく幸せな思い出とともに 生きてるんだと思います。
 
 
 
私が声をかけて
母も実は撮りたかったと言って
お店の隣のマンションの前で
並んで集合写真を急いで撮りました。
通行する人の合間をぬって。
 
 
 
私が撮った後に
長弟が代わって
撮ってくれて
後でiPhoneに送ってくれました。
 
 
 
「冥土の土産なんていうの圭子だけよ」
 
以前はそんな言葉に
いちいち
いちいち
傷ついていたと思います。
 
 
 
また分かってもらえなかった。
また酷いこと言われた。
また悪意に解釈された。
またママは「私なんて早く死ねばいいと思ってるんでしょう」と誤解した。と。
 
 
 
でもそうじゃないんですよね。
私が軽口叩いたことを
軽口で返しただけ。
ほんの少し母は傷ついたのかもしれないけど。
でもそれは私のせいじゃない。
 
 
 
そして、全員で写真を撮れて喜んでる。
それがわかります。
 
 
 
冥土の土産に写真を撮る。
私はこの言葉本当に幸せな意味で使っています。
 過去に撮った写真を眺める時、
いつも私は楽しく幸せそうだし
綺麗だし(笑)
一緒に写ってる人も同じ。
 
 
 
私という存在は
母に幸せあげてるんだと
勝手に感じてます(笑)
 
 
まあ、引き伸ばしてないから
携帯の小さな画面で見るだけで
よく見えないかもしれませんけど。
 
 
 
 
写真を撮りたければ撮りたい。
一緒に撮って欲しければ撮って欲しい。
それを言うだけですよね。
 
 
 
 
 
Beトレでもよく
一緒に写真を撮らせてください。と
言われます。
 
 
そして、それがなかなか言えなかった、
話しかけたくても話しかけられなかった!とも
言われます。
みんなかわいいよね。
 
 
 
 
先日、ぢんさんは
国際フォーラムの
エレベーターの中で
サンプラザ中野くんと一緒になった時に
「桃山学院大学の学園祭でー…。」と
咄嗟でしたが話しかけていらっしゃいました。
 
 
サンプラザ中野くんも
耳を傾けてくださってました。
 
 
 
LIVEが終わった後だから、
お疲れだろうからと
もし躊躇したら
あの、桃山学院大学の学園祭で感じた思いを
(私は全く知らんけど( ´ ▽ ` )ノ)
ご本人に伝えることは一生ないかもしれないけれど
躊躇しなかったから伝えられた。
思いを伝えられた。
 
 
 
もし、そうしたいと思ったら
勇気を出して伝えてみよう。
 
 
相手の反応は相手に任せて。
 
 
そして語彙が少なくて
拙くても
きっと想いは伝わる。
たぶん。