先日、某地域の会合で演説、危機感を訴えた。農作業を休んで駆けつけてくれた、一太ファン?のおばあちゃんが、「負けたら大変だ!選挙は来週のいつだったかね?」と電話で聞きまわってくれたらしい。まるで「選挙中」のような迫力の挨拶を聴いて投票日が目前だと勘違いしたようだ。小渕内閣の頃、参議院としては異例の「党遊説局長」に抜擢された。自分でいうのもなんだが、「選挙の演説」には結構定評がある。
「いちた節もアピール力あるじゃないか」などといい気になっていると、今朝、選対幹部から、アドバイスをいただく。「まるで公示後のような気合の入った挨拶をやったらしいなあ。今の時期は、もう少しゆったりとした語り口で、若手らしい未来の夢を語ったほうがいい。内容はあるんだから…。」
言われてみると、確かにここ一ヶ月くらい、「選挙本番さながらのモード」で突っ走ってきた。声のスピーカー(声量)自体が大きいこともあるが、それでも「絶叫調」(小泉さんの影響か?)のスピーチは時として聴きにくい場合もある。自分の「未熟さ」を素直に反省。本番スタートまでは、もう少し落ち着いたペースにギア・チェンジしなければ…。友人(ジャーナリスト)からも、「今から全開でやってたら、本番になってからの演説が色あせちゃうよ。」という意見があった。なるほど、一理ある。
それでも、各所で「叫んで?」きたのはそれなりに理由がある。第一に、支持者や一般有権者の中にある「山本は大丈夫」という誤った認識を変え、危機感を共有してもらう必要があったこと。誰が落選してもおかしくない激戦(しかも現時点で民主党候補リード)という事実だけは、(多少演説モードを変えたとしても)引き続き訴えていかねばならない。
第二に、今のうちから少し喉をいじめて鍛えておかないと、本番期間中(17日間)、声がもたない可能性があるということ、だ。選挙の途中で、何度か「声がつぶれる」ことは覚悟している。その場合、ある程度の助走期間を置くことで、回復を早められるという知恵を、6年前に学んだ。
そして最後の理由は、「どうしても勝ちたい」という気持ちと、内面から自然に湧き上がってくる怒りを率直に表現したかったということだと思う。
そう言えば、昨日の午後、水上温泉で行われた「遺族の会」の研修会に久々に出席した。米国のベトナム戦争とレーガン大統領の言葉を取り上げ、戦争に対する自分の気持ちを正直に話した。ここでも、やはり「選挙モード」。ちょっと大きな声を出しすぎた(張りきりすぎた?)かなあ、と反省していたところに、本日、会の出席者(女性の方)からメールをもらう。「やはり一太さんの迫力のほうが、聴衆の心をつかんでいたと思います…」うーん。やっぱり「勢い」や「熱意」の感じられない言葉に、人の心を動かすインパクトは生まれない。これもまた真理。
聴衆を考え、雰囲気を読み、タイムテーブルを頭に入れて、硬軟を使い分けた「演説」をする、ということか。結局は、「自分らしく自然体でやる」ということにつきると思う。そうすると、どうしても「元気印」のスピーチになっちゃうなあ…。もちろん、「中身」がなければ話にならないことは、言うまでもない。