あるブログで久しぶり「毒親」という言葉を目にした
家から出たいと、本気で行動に起こした方の話でした
私も進学のことを思い出して、今まで気がつかなかった発見があったので記しておこうと思う
私は、中学の半分も行ってない
小学校の6年生ぐらいから片鱗は見せてたのだけど、
じわじわと限界がきていた
高校進学という話になり、私は何も言わず黙っていた
ただ心のなかは漠然とした闇に包まれていた
父は、家のことには殆ど関わらず、家庭の機能はしていなかったが
私の将来のことは、協力的だった
父と学校の先生とで、話が進んでいった
高3のときの先生が親身になってくれていて、
毎日のように家庭訪問に来てくれていた
高校はある田舎の寮のある学校だった
母は大反対
いつも暗くて無言の私、そんな私に先生が言ってくれたことは
今もよく覚えている
このまま家をでなければ、半径数キロの世界で生きていくことになる
家を出なければダメだよ
家を出るなんて嫌だった
けれど、それを否定することも子供の頃の私には出来なかった
言われるまま寮に入った
あの時、高校に行かなかったらどうなっていただろうか
考えただけで恐ろしい人生が待っていたんじゃないだろうか
母は、私をずっと側においておきたかった
母は経済力があるわけでもなく、ただ依存したかっただけだ
私の為に高校進学を反対した訳じゃない
結婚のときも大反対だった
攻撃的になるほど大変で恐ろしくてたまらなかったが、
それが余計に母から離れたいと思った
母の依存は、死ぬ間際まで続いた
私はずっと、見守ってそっとしておいてほしいと頼んだ
母親なら子供の幸せを願っていてほしいと頼んだ
母が亡くなることで自由になれるなんて
なんて皮肉な話だ
自分で自分を幸せにする方法なんていくらでもあるのに
母は最後までそれが出来なかった
亡くなってからも重くのし掛かってくる母の姿
でも、苦しんでいた母を見ていくのも辛かった
楽になったのだろうと思うことが、唯一の救い
普通の価値観とか、一般的な感覚とかどうでもいい
人は幸せになる権利があって
自分のことを幸せにしてあげられるのも自分だ
周りがなんと言おうと、笑顔になれる方法が最善なんだ
あのときの先生の言葉は一生忘れないし感謝している
時間は有限であることも母から学んだ
どうして私は登校拒否したんだろうか
どうして私は結婚できたんだろうか
どうして私はこんな思いをして生きていかなきゃいけないんだろうか
長い年月をかけて、パズルが解けていく
この感覚といったら、もう最高の気分です
自分のありのままを受け入れたから、もう怖くないのです
自分や、色んなことから、逃げなくなったからです
私は毎日、
あなたはどうしたいの?
そう問いかけながら生きていくんだろうな