4月20日


採血


体温は解熱剤なしで36℃台〜37.2℃


処方箋食後4袋→2袋


院内学校に誘われ見学


1階のローソンまで初お買い物に行ったらしい


(そこでカービィの一番くじ発見、日々の楽しみになるw)


突然親の付添がなくなり


さぞ不安だろうと心配していたが


相部屋のため意外と大丈夫ぽい


時間をおかないLINE報告によれば


それどころか満喫してる気さえする


わたしもホッとできる時間が少しずつ増えていく




4月21日


ああ忘れもしないこの日


じなんの件が411なら(4月11日)


この日はちょうなんが生まれた日付でもある




検査なし。それどころか


来週の検査結果が良ければ退院の可能性示唆


超絶びっくり。だって


早くても3カ月間入院通達されてきたのだ


病名がまだ確定されていないため


(入院2日目の「ほぼ再生不良性貧血」のまま)


期待してはいけない。しかし


天にも登ってしまいそうだ。落ち着けわたし


解熱剤なしで平熱、上限微熱


採血結果的も安定してるため点滴も終了


院内学校。中1女子達に誘われ


UNOを付き合ったそうだ




、、そう、わたしは多分浮かれていたのだ


この10日強でやっと希望を見た気がしたのだ


せっせと日々ウォーキングしていた


ネガティブを自然に緩和して貰っていたし


もしも骨髄ドナーになるならば


健康体でいなければならない使命感もあった


この日もいい天気だった


ちょうなんを誘った




我が家の周辺はここ近年


急速に新しい道路が作られている


工事にはうんざりしているのだが


真新しい道路は散歩には気持ちいい


広いその道路の両脇は


まるで大きな滑り台を彷彿とさせる


「登れそうだよね」


しつこいがわたしは浮かれていた


じなんの順調な回復とひさしぶりの


ちょうなんとのお散歩に


タタタッと駆け上がるちょうなん


「おー!あとちょっとで天辺じゃん!」


なぜ一緒に喜んでしまったのだろう


なぜ親の癖に止めなかったのだろう


得意げに天辺に手を付け下る際半分ほど来て


彼は何故かくるりと振り返った


しかし恐らく彼の予想より残メートルが高かった


肩から落ちた


わたしが叫んだ目眩がした




慌てて電話で旦那を呼び整形外科へ駆けつける


右肩骨折右肘7針の傷左手首剥離骨折


わたしは最低だ


わたしの存在がもう毒親だ


死んだ方がいいのかもしれない