ダウン症のある3才の娘を育てています
娘の誕生は私にとって青天の霹靂
娘を受け入れることができるまで嘆き悲しみ
言葉にならない色んな感情を抱え
なんとか毎日を過ごしていました
そんな日々を振り返り
これからダウン症のある子を育てるママや
ダウン症以外のスペシャルニーズのある
お子様を育てられるママへ
そして、これから赤ちゃんを出産する女性に
元気や勇気を届けられたらと
娘のことをブログを書く時は
特にその想いが強くあります
ずっとずっと自分を責め続けている私ですが
昨日のブログを書きながら
大切なことに気がつきました
昨日のブログはこちら↓
ずっとずっと娘を受け入れられなかった私
将来が不安で明るい未来が思い描けなかった私
兄にもダウン症があるので
ダウン症への理解は充分であると思っていたし
障がいのある人にも心の垣根はなく
偏見も何もないと思っていたんです
でも、娘がダウン症であるとわかった時から
悲しくて辛くて苦しくて
涙は流れ続けるし、受け入れられないし
将来も不安で
何より娘が心底可愛いと思えなくて
母親失格
ダウン症への理解なんて出来てない
兄のこともずっと偏見を持っていたのか?とか
障がいのある人への理解も
できていたつもりだったのか?とか
自分自身が信じられなくなって
自分を責め続けていました
これって私だけなのかな?って
周りのダウン症のある子を育ててるママが
すごく素敵に見えて
さらにそれが私を苦しめました
でも
ダウン症のある子のお友達ママは
みんな私と同じ気持ちを語ってくれます
お子さんがダウン症であるかもしれないと
悟ったときから受け入れるまでの気持ちを
まるで私自身が体験したことのように…
それでね気がついたんです
これって私がどうこうではなく
みんなみんな
子どもにダウン症があるかもしれないと
感じたり、ドクターから説明を受けたときから
あるいは告知を受けた瞬間から
みんな抱える心の苦しみなんじゃないかって…
看護学の中で学んだ危機理論を
思い出しました
危機理論の創設にかかわったジェラルド・キャプラ ンは「危機状態とは人生の重要目標が達成される のを妨げられる事態に直面したとき、習慣的な課題解 決方法をまず初めに用いてその事態を解決しようとするがそれでも克服できない結果発生する状態である。危機状態になると、混乱と動揺の時期がしばらく続き、その間、打開するための様々な試みがなされる。しかし結果的にはある順応が、その人自身や周りの人に とって最も良い結果をもたらすか、またはそうでないかもしれない結果で形成される」と危機を定義しています
つまり私が辿った今までの色んな経過は
「子どもの障がい」という危機に直面した
ママがみんなたどるであろう
経過ではないかと気がついたんです
私が悪いと随分自分を責めてきたけれど
そうではなくて
誰しもが辿る経過に過ぎない
その長さは人によってそれぞれだと思います
それがいい、悪いではなくて
《そうである》というだけ
ただ、この経過の中で
ママが受容ができるように
誰が支えサポートしていくのか
その体制を整えていかなきゃなと思います
ママ自身は《子どもの障がい》という
危機をどう乗り越えるのか?
そして
周りにいる方々はママをどう支えていくのか?
更には何が足りていないのか?
まだまだ課題の多い問題なんだなと
改めて感じています
子どもの幸せのために
ママの笑顔が1番大事だと思うから
私ももう少し考えてみたいと思います
Instagramで娘との日々を綴っています
子どもたちとママが
いつも笑顔でいられますよう
いつも祈っています
それではまた


