自由になりたいと思うほど『家族』が私を縛る存在に【MY STORY 2】 | 幸せのカタチ

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はじめまして。岡山県在住の真利(まり)です。4人の子どもの母として、ダウン症の娘との日々から多くを学んでいます。家族やご縁に感謝しながら、子育て・女性の生き方・人生の学びを発信しています。よろしくお願いいたします。

自由奔放
野原を駆け回るハイジのような幼少期




私を縛るものなんてなくて
ただただ楽しんで生きてきました






大きくなるにつれ
母の口癖のように
「資格を取りなさい」
「企業に勤める人と結婚しなさい」と言い





大学進学も当たり前
勉強ももちろんしていたのですが
遊びが中心の私の前で
母はいつも不機嫌でした




海外に留学することは
私の夢だったのだけど
中学生の時のチャンスは
部活が理由で行けれず





高校も1番行きたかったところは
学費がとても高いところで
そこに行かせてほしいとは言えなかったんです





母は持病もあって
兄を育てながら仕事も頑張る母を見て
《しっかりしなくちゃ》
《母を助けなくちゃ》と
いつも思うようになりました






でも私の望む《自由》からは
どんどんかけ離れていって
高校も大学も「ここでなければ」
と言われるようになり






自分の夢やなりたい未来を
どんどんどんどん諦めて行くようになりました






大好きな家族が
私から自由を奪っていく存在に…






高校は私立の進学校に進みました
第一志望にしていた高校は
受験で失敗…
初めての挫折でした






なんでもそつなくこなせた私
やればなんでもできた私が
失格の烙印を押された瞬間…





本当の本当に行きたかった高校は
私の胸にそっとしまったまま
母に喜んでもらうために選んだ学校は
私を選んでくれませんでした






勉強や学ぶことが大好きで
先生にも可愛がってもらえたので
なんとか通え高校でしたが
校則もとても厳しい学校だったので
すごくしんどい3年間でした





大学も行きたいところがあったのだけど
京都の大学だったので
家族会議で即却下。






父から県外に出ることはダメだと言われました






今思えば奨学金だってあったし
相談できる人は沢山いたはずなのに
私にとっては両親が全てで
ダメと言われたら「はい」と諦める
それが当たり前になっていました






自由になりたいと思うほど
家族はどんどん私を縛る存在に…






私にとって大好きで大切な家族が
どんどん居心地の悪い場所になっていきました







結局私は自分の好きなこと
そして母の言う《資格》と考えた時
選んだ仕事が看護師でした





看護師の仕事もやりがいがあって
すごく楽しかったので
これから何がしていきたいかなって考え
国際看護師になって貧しい国に行きたいと
思うようになりました






英会話教室に通い資料を集め
カウンセラーになるため学校にも通い
プライベートも何か空白を埋めるように
ゆっくり休むことなく走り続けていました
そんなことをしているうちに
ストレスや夜勤の続く勤務に
身体の方はいつしか悲鳴をあげていて





ある日を境に夜も眠れず涙が止まらなくなり
仕事に行ってもうまく身体が動かない…





心療内科に行くと【うつ病】と診断されました
その時はまだ仕事もできそうだったのですが
仕事中に涙が止まらなくなり
もう休まないと…





自分でもそう悟り
しばらく休職することにしました





私の夢も希望も
今まで築き上げてきたものも
全部ゼロに戻ってしまいました