みなさまこんにちは。

あっかです。

 

 

子どもたちと接していて

たぶん一番よく聞く言葉。

 

 

それは、

 

「み~て~!み~て~!」

 

 

特に低学年であればあるほど

 

 

「み~てえ~!!み~てえ~!!」

 

 

と、ことあるごとに言っているように感じませんか?

 

 

 

 

 

縄跳びが飛べるようになったとき

 

 

雪だるまを作ったとき

 

 

お絵描きをしているとき

 

 

折り紙をしているとき

 

 

おもしろいものを見つけたとき

 

 

指にささくれができたとき

 

 

 

 

大きなことから小さなことまで

その話題はさまざまですが

 

 

 

きっと、

「見てほしい」っていう思いは

誰もがもつ

安心感の土台となる欲求なんじゃないかなあって。

 

 

 

「見てほしい」

 

 

「気付いてほしい」

 

 

「共感してほしい」

 

 

「分かち合いたい」など

 

 

 

本人たちは無意識かもしれないけど

きっといろいろな思いが込められているんだろうなあって感じます。

 

 

 

量子力学の視点から

「観測することで存在する」という考え方があります。

 

 

 

見て、気づいて、共感して、分かち合っての

たぶん共通項は

「存在する」ということ。

 

 

 

いま、ここに、

 

「存在すること」

 

「あること」

 

を確かめたいんじゃないのかなって。

 

 

 

 

わたしは、つい、

 

 

子どもたちの気持ちを

分かってあげたい、とか

 

 

子どもたちの自己肯定感を

高めたい、とか

 

 

前のめりになって

子どもたちと関わろうとしてしまうことがあって

 

 

思うようにリアクションできなかたtり

コメントできなかったりすると

 

 

一人反省会になりがちですが

 

 

 

 

たぶん、きっと

子どもたちが求めていることは

そういうことじゃなくて

 

 

ただ、シンプルに

 

「存在する」

 

「そこにある」

 

っていうことを見てもらいたいんじゃないかなって。

 

 

 

 

だから、見守るとか見るって

=相手に対して意識をむけることだし

 

 

 

それはつまり

愛なんだろうなあって思っています。

 

 

 

何かをしてあげたり

何か特別な言葉をかけてあげたりできなくても

 

 

 

見てほしいものを、一緒に見るだけで

子どもたちは嬉しいんじゃないかなって

最近は思っています。

「み~て~!」といった本人が、案外あっさり次の活動をしていたりする(笑)

 

 

今日もお読みいただきありがとうございます飛び出すハート

 

いいね♡ありがとうございます飛び出すハート

 

それではまた流れ星