かごめの歌 と 古代文字 | 代替医療師Vanillaのブログ

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健康でいるのも、きれいでいるのもあきらめたくない! シンガポールにて、日々精進。

症状のこと書こうと思っていたんだけど。。。。

 

立春むかえて いまいち まだ スローなこの流れで

 

やる気がおきません。。とほほ。

 

まったく、違うこばなしにします 得意げワラ

 

 

おもいっきり 怪しいです。。。 ジーッ

 

この前、たまたま 子供が歌を歌っているのに

 

(日本で)遭遇しまして。。。実にビックリマークビックリマーク

 

昔子供のころによーく歌った かごめの歌

 

でも、歌の歌詞が違う!!変わったのかねぇ

 

いや、歌い方が違うのだろうかなぁっと 魂

 

ほかの歌も違うのかと思って、

 

おばちゃんは、いろいろ聞いてみちゃったよ。わはは 滝汗

 

よく考えたら、口が覚えているかごめの歌は 

 

文字(漢字)にできない。。。汗アセアセ

 

と、この年になって、初めて気がついたのよー ・・・・

 

 

かごのなかのとりいわ

 

 → とーりぃぃぅわ って 歌ってたよねはてなマークはてなマーク

 

「鳥は」じゃないでしょ??って 同世代へのうなづきを期待。チーン

 

「鳥居は」なのかと やっと分かったり(いやそれも確実じゃない。。)

 

 

「いついつでーやぁーる」でしょ。「出会う」って歌ってないしあ

 

とか 

 

滑ったじゃなくて「つぅべった」だとかさぁ 

 

ほかもろもろ   

 

まぁ。。。聞いてて、むむ?っと子供たちに 聞いてしまいました

 

いまさらながら、これって 意味あるのかもなっと思って
 

ぐぐると(下に抜粋して貼ってます) 

 

こういうのに やっぱり行き着くわけか ポーン と納得。

 

(これに全部同意しているわけではありませんが、ここからまた広がるなぁっと)
 

ここから、結局は古代人のことば

 

を理解することが必要になってきて、

 

この前紹介した「あわの歌」にも そして やっぱり
 

陰と陽、女と男、電子と波動と宇宙へと つながってくんだろうなぁニコニコ

 

 

講義をするときの あの 遊離感というか 離脱感というか
 

自分でしゃべっているんだけど 自分でないというか
 

あのピカピカ光る たくさんの引きだしや、俯瞰するあの
 

自分じゃない自分の感覚っていうのかなぁ。。

 

あの感覚も すごく腑に落ちる。。。ひらめき電球

 

講義受けている人じゃなくちゃわかんないか あせる

 

 

すみません。。。思いっきり 意味不明な投稿ですなショック!

 

 

趣味の怪しいつぶやきってことで ドクロ

 

 

 

さて、仕事しよっと

 

画像は 母校(高校)の校章。よく見直せば、、、

 

六芒星だなぁ。。。。。。

 

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*******
不思議な歌ですね。
俗説では、心ない人によって、流産の歌とか言われたりしますが、そのような俗っぽいものでは、さらさらなく、ずいぶん古い時代から伝わっているもののようです。
一説には「桜は天に舞い、蓮は海に散る」の句で有名な天海僧正の作とも言われますが、もっと古いと言う説もあります。

もちろん、かごめと言うのは、籠目であり、籠は竹冠に龍。竹で作った龍が絡まるようなものです。
龍と言うのは伝説上の生き物ですが、現すのは、神聖な力であり、神や神社です。神社の手水場には、必ず龍がいますよね。さらに、古くは竹垣でわざわざ囲む建物や地は、神社など、神聖なものの地でした。

籠目は籠目紋であり、六芒星を参照して下さい。更に、しめ縄は龍や蛇の絡んだ姿を示しています。鏡餅もとぐろを巻いている姿の象徴です。この歌の現している物が、ぼんやりと分かって来たかと思います。

かごのなかのとりは、籠の中の鳥というのは、神社の中の鳥。不死鳥、つまり鳳凰ですね。とりではなく、とりい、鳥居と解釈する事も出来ます。いずれにしても、神社の事を示しているのは、明らかな感じがします。

いついつでやるは、いつ飛翔するのか。又は、いつ出現するのか。それとも、いっついである、一対である。ふたつあるの意味だとも取れます。

夜明けの晩は、夜明けと晩で、一日中。又は夜明けの暗いうち、深夜。人間の精神の高揚する時間。又は、日食。天の岩戸の伝説の話しと解釈する事も出来ますが、この話の大きさから言えば、大きな歴史的背景の夜明けとも言うべき時代の、晩のようなひと時、あるいは、いずれ夜が明けるような時代が来る前の、晩のような時代と解釈します。

つるとかめがすべった。つると亀は、二本足と四本足、赤ん坊から大人。又は天と地の象徴。肉体と空をかける精神の対比を現すなどが考えられます。
すべったは転換した、反転したとも取れますが、統った(すべった)、つまり、統治したということです。統べると言う言葉は、古語では普通に使う言い方です。足がすべったみたいに解釈する方が不自然ですね。

この繋がりから、考えられることは、支配したのは、空のつる、地の亀、天と地であり、空間、物質界、あるいは俗世界を言っているのかも知れません。すると前の夜明けの晩と言うのが、時間を言っていますので、次の句のつると亀が空間を現しています。歌の構成としては有り得る話しです。

これらから言えることは、神社の中にいる偉大なものは、いつ出るんだろう。又は、その偉大なものは、一対の物だよということでしょうか。
夜明けの時代の前の晩のような時代は、つると亀(空間、物質界の象徴?)が統治していたと、背景が示されています。
これを踏まえながら、次の句の解釈を読んで見てください。

後ろの正面だれ
後ろの正面とは何の事でしょう。前後の反転です。

通常、神社には実は何もありません。鏡が祭ってあります。
なんのことは無い。鏡に写った自分の姿を見て、自分自身が合わせ鏡の用になって、祈っているのです。
後ろの正面だれ? つまり、自分自身だよって、言っているのです。祈る対象も神も自分自身の中にいると示しているようです。又はそれらは一対のものであると。
鏡の不思議と秘密を参照。

仏教でも同じ意味のことが言われます。仏は自らの中にいる。さらに、現代のキリスト教では異端の考え方ですが、滅びた古代のキリスト教の一派の中には、神は汝の中にいると、唱えていたふしがあります。

 

右矢印 抜粋リンク先はこちら

 

 

 
 
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