映画「ひろしま」 | ほくとの気ままなブログ

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8月6日広島に原爆投下されてから79年、今世界ではそれ以上の核の脅威に脅かされています。この作品を追記し再度アップさせていただきます。

 

第5回

ベルリン国際映画祭映画長編映画賞受賞 

被爆者たちの原爆映画 

 

映画「ひろしま」

 

1953年 104分

 

<監督>

関川秀雄

<キャスト>

北川先生:岡田英二、

米原先生:月丘夢路、

遠藤秀雄:加藤嘉、

大庭みね:山田五十鈴、

 

<内容>

広島にある高校。北川が受け持つ三年生のクラスで、原爆当時のラジオ物語を聞いていた。

生徒の大庭みち子が鼻血を出して倒れた。それは原爆による白血病が原因だった。

このクラスでは、実に三分の一の生徒が被爆者だったのだ。

 

あの日の出来事は忘れる事の出来ない息づまる様な思い出だった。それなのに今広島では、平和記念館の影は薄れ、街々に軍艦マーチは高鳴っている。

あの日みち子の姉の町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始め級の女学生達と一緒にやられたのだ。

みち子は爆風で吹き飛ばされた。

弟の明男も黒焦げになった。

今はぐれてしまった遠藤幸夫の父秀雄は、妻よし子が梁の下敷で焼死ぬのをどうする事も出来なかった。

陸軍病院に収容された負傷者には手当の施しようもなく狂人は続出し、死体は黒山の如くそこここに転りさながら生き地獄だった。

しかし軍部は仁科博士らの進言を認めようとせず、ひたすら聖戦完遂を煽るのだった。その戦争も終ったが、悲惨な被爆者にとって今更降伏が何になるのか。

広島には七十年間生物は住めないと云う。

病院の庭に蒔かれた大根の芽が出るまでは、人々はそれを信ぜずにはいられなかった。

疎開先から引き返してきた幸夫と洋子の兄妹は、病院の父に会いにいったが、そのひどい形相にどうしても父と思う事が出来なかった。父は死に広島には七回目の八月六日が廻ってきたのに、幸夫はその間浮浪児収容所、伯父の家と転々して次第に荒んでゆき、遂には浮浪児を使って掘り出した死体の頭骸骨を、原爆の記念に米人に売ろうとさえした。

みち子は河野達級友に見守られながら死んだ。

北川に連れられて警察を出てきた幸夫を、今また河野達は「明日は僕らの手で」の合唱で元気づけるのだった。

 

(Movie Walker&allcinemaONLINEより抜粋)

 

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長田新の『原爆の子』を八木保太郎が脚色し関川秀雄が監督し、原爆投下から8年後に制作された反戦映画。

 

海外で高く評価されていたにもかかわらず、大手映画会社からは上映が拒否されてその存在が忘れられていた、幻の映画と言われています。

 

過去に同じ原作を元にした新藤兼人監督作品「原爆の子」をアップしております。

映画原爆の子

 

 

ただその作品はドラマ化されてしまった感があり、原爆の悲惨さ真実の姿が伝わらないとのことで、日教組プロによって製作されたのが今作品。

個人的には映画「原爆の子」はそれはそれでよかったと思ってはおりますが・・。

 

 

組合員のカンパによって製作費が集められ、

なんと広島市民88500人のエキストラによって、あの悲惨な日が正確に再現さています。

 

上映中止の要因のひとつとしては、内容の中に「原爆投下はドイツでなく日本に原爆投下が行われたのは、日本人が有色人種であるからだ」との言葉が出てきます。

まさしくストレートに表現させています。

であるから、色々な事に配慮していくとおのずと上映機会がなくなっていくでしょうね。

 

 

ウィッキペディアによりますと、あの映画監督オリバーストーンがこの映画について次のようなコメントをしています。

「絶対に見て欲しい。世界中の人に見て欲しい映画です。なぜなら優れた映画であり、優れたストーリーであり詩的だ。そして、この映画は現代戦争の真の恐ろしさを思い出させてくれます。記憶は常に忘却との闘いです。常に人は思い出したくないものには背を向けるのです。だから、この素晴らしい映画を見て欲しいと伝えています。あらゆる人に、全世界の人に」

なんともいえぬコメントですね。

 

 

被爆者でもある生徒の一人が

「被爆者の気持ちをもっと知ってほしい」

と、悲痛な叫びで訴えます。

時が経過するとともに人々は忘れてしまう、そして現状を知らない人もいるでしょう。

原爆投下によって命が助かっても、被爆での後遺症で苦しんでいる人はいるのです。

今この時代にもいるのです・・。

中には被爆した事を隠して生きてきたという方もいるようです。

 

 

命は助かっても被爆した熱さ、痛さ諸々によってまるでゾンビのように歩く広島市民の人々。

中には熱さから逃れようと河に入水し、命を落とすもの。

泣き叫ぶ子供。

まるで地獄絵図のような凄まじいシーンの連続。

「はだしのゲン」を、思い出してしまいました。

ほとんどが被爆の悲惨さを、できるだけ忠実に描いた画になっています。

 

 

ただ細かい事で言えば、映像の技術的にはツッコミどころ満載です。

しかし、当時の広島市民そして被爆者自らが参加したことにも意義がある映画ではないでしょうか。

確かにこの作品は、独立プロぽい作りが感じられる作品でもあります。何かで見た記憶があるのですが、

 

「この映画を見ずに広島の原爆を語るべからず」

 

というキャッチコピー、まさにその通りかと。

このような作品はまず見て感じろだと思います。

それ以上、それ以下のコメントはなしでしょうか!!

 

 

印象に残ったシーン。

戦争被爆孤児になった子供たちのグループのボス的子供が、生きるための術を下の子供たちに指導する。

「ユージェントルマン、パパママ ピカドンで ハングリーハングリー」。

これは印象に残りましたね。

 

加藤嘉さんが、炎に包まれた家の下敷きになっている妻を助け出すことができず大声で叫ぶ。

加藤嘉さんのあんなに大声を出している演技を見たことはなかったかも。

 

執念と怒りを感じる映画。

原爆投下から8年後、CGのなかった時代、セットと広島市民を中心にしたエキストラでこれだけの臨場感を出していることに、驚くと同時に敬意を表して、

 

5点満点中4.0

 

(画像全てお借りしました)