映画「ニーチェの馬」 | ほくとの気ままなブログ

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あの「エルトポ」以来、

      採点不能の映画。

 

あまりにも哲学的過ぎ、

そしてほとんど無言の2時間30分。

 

貴方は、2時間30分耐えることができるか否か!?

 

私は結局、最後までその世界に引き釣り込まれてしまいました。

世の中、すごい映画がまだまだあるもんだ!

 

ニーチェといえば「ツァラトゥストラはかく語りき」で有名な哲学者。

その著者の中で「神は死んだ」のフレーズは有名です。

 

 

 

映画「ニーチェの馬」

 

 

2011年 ハンガリー 154分

 

<監督>

タル・ベーラ

 

<キャスト>

娘:ボーク・エリカ、

父親:デルジ・ヤーノシュ

 

<内容>

トリノの広場で泣きながら馬の首をかき抱き、そのまま発狂したというニーチェの逸話にインスパイアされて生まれた。

しかしニーチェが登場したりすることはなく、全編ニーチェ的なニヒリズムの世界における、とある親子の生活が描かれる。

 

 

 

1889年1月3日。哲学者ニーチェはトリノの広場で鞭打たれる馬に出会うと、駆け寄り、その首をかき抱いて涙した。そのまま精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られて穏やかに過ごしたという。 馬のその後は誰も知らない。

このような冒頭シーンからこの物語が始まります。

 

· 一日目

農夫は馬車に乗り、風の中、人里離れたと思しき家に戻る。娘は彼を出迎え、農夫は馬と車を小屋に戻す。娘は農夫の服を着替えさせ、二人で茹でたジャガイモ1個の食事を貪る。

寝る段になって、農夫は58年鳴き続けた木食い虫が鳴いていないことに気付く。外は暴風が吹き荒れている。

 

· 二日目

娘は井戸に水を汲みに行く。パーリンカ(焼酎)を飲んだ後、農夫はいつもの通り、馬車に乗って外へ出ようとしたが、馬は動こうとしない。諦めた農夫は家に戻って薪を割り、娘は洗濯をする。ジャガイモを貪ったところで、男が現れ、パーリンカを分けてくれるように頼む。

町は風で駄目になったという男は、世界についてのニヒリズム的持論を延々述べるが(このシーン、ワンテイクで4分くらいなのです)、農夫はくだらないと一蹴する。男はパーリンカを受け取って出て行く。

 

****この「くだらん」はニーチェを否定する言葉なのだろうか?(私見です)

 

· 三日目

娘は井戸で水を汲む。

パーリンカを飲み、農夫と娘は馬小屋の掃除をする。新たな飼い葉を与えたが、馬は食べようとしない。ジャガイモを貪っていたところで彼らが何気なく外を見ると、馬車に乗った数人の流れ者が現れ、勝手に井戸を使い出した。二人は外へ飛び出して流れ者共を追い払い、流れ者は二人を罵って去っていく。

食器を片付けた後で、娘は流れ者の一人が水の礼として渡した本(教会における悪徳について述べているらしい)に目を通す。未だ風は激しく吹き続けている。

 

**受け取った本のタイトルが「反聖書」キリスト教徒として育ったニーチェがキリスト教を否定するのですから・・・。ニーチェ自身とダブります。(私見です)

 

· 四日目

娘が水を汲みにでると、井戸が干上がっていた。馬は相変わらず飼い葉を食べず、水も飲もうとしない。

農夫はここには最早住めないとして、家を引き払う事を決める。荷物をまとめ、馬を連れて-ただし、今度は自分で車を引いて-農夫と娘は家を出て進み出す。だが、丘を越えたところで、彼らは戻ってくる。娘は窓から外を何も言わず見続ける。

 

· 五日目

娘は目覚めた農夫を着替えさせる。農夫は小屋に行って、馬の縄を外してやる。二人はジャガイモを貪るのも力なく、農夫は殆どを残してしまう。夜になったが、ランプに火が付かなくなり、火種も尽きてしまう。嵐は去っていた。

 

· 六日目

農夫と娘が食卓についている。農夫はジャガイモを生のまま口にするが、すぐ諦めてしまう。二人を沈黙が支配する。

 

 

(ウィッキペディアより)

 

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この映画、初鑑賞!

どえらい映画にあたった感あり(個人的には良いほうのドエライですが)。

 

嵐の続く荒野で、貧しい暮らしを共にする父と娘の6日間の物語になっています。

たぶんこの映画を鑑賞する人は、最初の10分~20分くらいで、

とりあえず続けて観る!

観るのをやめてしまうか!

どちらかに分かれてしまうでしょう。

 

カットのほとんどは嵐の荒野と、粗末な家の中。

動きがほとんどない画像のロングテイク(長回し)がけっこうあり。

 

内容が1日目から6日目まで、色々な変化がありそうなこと書きましたが、起きて~娘に着替えを手伝ってもらい~ゆでたジャガイモ1個のみを手づかみで食べる食事(1日1回のみ)~馬小屋の掃除など・・この繰り返しの毎日。

 

 

とにかく会話がない。

 

映像は、陰鬱な旋律の音楽のリフレインと、嵐の音のみがほとんどで、会話ほとんどなしで約2時間30分が過ぎていきます。

 

途中で訪問者が、なにやら哲学的なことを延々と話すシーンはありますが・・・。

 

何か途中から大きな展開があるのかと期待していましたが、それもなし。

それでも個人的には、2時間30分が苦にならなかったです。

 

ほとんど会話がない映画では、過去に記事アップしたことがあるお気に入りの映画、「ツバル」というドイツ映画を観たことがあります。

ただツバルはストーリー動きはありますが、この映画はたいした動きがありません。

 

CGとか何か奇想天外の脚本とか、興行を意識したハリウッド映画的な物とはまったくもって異なるモノクロ映画です。

逆に本質に迫っているのかも??

 

父親は右手が不自由なのですが、なぜかはわかりません。

4日目で井戸が枯れて家を去るのだけれど、また戻ってきた理由が不明w。

たぶん馬が荷物をひくのではなく娘が荷物をのせた台車をひいていたから、限界を感じたのかも?

または全く違う意図で戻ったのか?

 

 

哲学者ニーチェが絡んでいるのだから、難解な映画であることは間違いないでしょう。

ニューチェの事は詳しくもないので、鑑賞後は強烈なインパクトは受けましたが、事例についてなどの事を考えると少々不完全燃焼でした。

 

で、少しニーチェの事など、ググってみてまた他の方の記事を参考にしての感想としてになります。

映画は6日目で終わっています。

 

旧約聖書では、神様は世界を6日で作った、そして7日目は安息日とされています。

7日目は、神様の偉業を祝福する日。この映画、その日が訪れないで終わっているとしたら、どうなのでしょう?

 

話の流れでは水もなくなり、種火もなくなってジャガイモをゆでることもできなくなった。

生のジャガイモを食べざるを得ない状況になっています。

娘は食べようとしませんが、父親は「食わねばならん」と話します。

外は嵐がやんではいるのですが・・・。

 

消極的ニヒリズムの世界。

終焉へと流れていくのでしょうか?

ここで、ポイントになるのが、ニーチェの「永劫回避」

(経験が一回限り繰り返されるという世界観ではなく、超人的な意思によってある瞬間と、まったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。:ウィッキペディアより引用)

 

このことが、最終的にはこの物語のラストを紐解くうえで重要になってくると思われます。

 

だとすると、また同じことの生活の繰り返しが行われていくのではないかとも推測されますが・・・。

食事とは何か?

生きると何か?

形而上学の世界観?

 

とにかく色々と考えさせられますが、私のような凡人の頭脳では頭の回路がオーバーヒートしそうでwww

 

この映画、はまる人にはすご~くはまると思います。

興味のある方はぜひご鑑賞ください。

 

しかし、記憶に残る映画作品の一つになりました。

 

 

どうしても採点を付けなければいけないとしたらww・・・

5点満点中4.1