今でも公園には行かせててね。
三女が保育園に行ってるときは、長女次女2人で公園に行かせてたんだけど、
4月から保育園デビューした三女も、親が在宅してる家は、今日からお休みになって。
今日は、午前中私も一緒に公園に行ってきた。
私がついて行っても、三女ももう私の補助なく滑り台もするし、
自転車のお姉ちゃんたちについて一緒に追いかけっこしたりして、
私はわりとベンチで座ってるだけだったの。
今日、遠目から3人で遊んでる姿を見たらさ
なんだか急に涙が溢れてきて。
(あぁ私って、今こんなに幸せなんだなぁ…)て
ぶわぁって涙が込み上げてきたんだよね。
昔から結婚して円満な家庭を築くのが夢で
当たり前にそれを信じていて、
今、子供たちが休みになっても
一緒に家にいれて、
なんの不安もないと言えば嘘だけど、
叶ってる。
私の幸せって叶ってる。って思ったんだ。
これ以上満たしてくれるものがあるかな?て
思えた。
現状に満足してしまうと、伸びしろがないように感じてしまうけど、
実際は、その一瞬一瞬に幸せを感じれないと
何を手に入れても、どんな景色を見ても
まだまだ…まだまだ…て一生満たされない。
「あぁ、幸せ!」の瞬間はそこらへんにあるのに。
大切な家族と過ごせる幸せと同時に
自分の潜在意識の願いが叶ってることにも気づいた。
なんで、自分が昔から
”結婚”や”母になること”への憧れがあったのか。
私の両親が仲が良いことや、家族が仲良かったこともあるけど
それよりも
特別なものになりたい…
器用で色々こなせるからこそ、色がない…
そんな私が自分の存在価値、存在意義をつかみたいために
昔から”結婚”や”母になる”ことを望んでいたんだなって。
それに気づいたら
涙が止まらなくて。@公園(他に人がいなくて良かった…)
こんなにも
私は認めてもらいたくて
無価値感がひどくて
自分の存在の輪郭を確かなものにして
”私がいる”ってゆう居場所が欲しかったんだなって。
もう叶ったね。
叶ってるね。
あなたの存在価値ちゃんとあるよ。
それは、結婚しなくても
子供がいなくても、ね。
そう、気づいたら
そこまでして、叶えたかった自分が
なんだか愛おしく見えてね。
次女ってね。
真ん中っ子ってね。
私だけを見て欲しいから、特別なものになりたい。
目立たないと愛されない(と信じてる)から、目立ちたい。
臨機応変に対応していかないと母を大変にさせる(と信じてる)から、空気を読む力が身につく。
1番になって、なんでも器用にこなすヒーローになって、母から自分だけを見てもらいたい、愛してもらいたいと願ってる。
振り返れば、たくさん愛してもらってたのにね。
1人で生きてきたつもりでも
たくさん甘えて支えられてきたのにね。
でも、誰も分からない1人で乗り越えてきたことも沢山あるよね?
本当はもっと見てもらいたかった。
本当はもっと抱きしめ続けて欲しかった。
それは、価値のない私だから
価値のない自分だから
そうだったんじゃない。
自分が望むようにしてもらえなかったわけじゃない。
自分の価値とは関係ないんだよ。
いい加減、わかろう。
いい加減、認めよう。
罪悪感ごっこ、悲劇のヒロインごっこは辞めよう。
健気だね、わたし。
かわいいね、そんなわたし。
さぁ、今の私はどんな未来を手にしたい?
満たされながら、幸せを感じながら、どんどん進んでいこう。
