昨日は納戸の片付けの後
いつも通り2件訪問
母の日だったので
次女からLINEが送られて
帰ってきたら
プレゼントが用意されて
食事も作ってくれて....
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なんてことはなく
いつも通り夕食を作り
食べてる時末っ子に
今日、母の日よ
と押しつけがましくいうと
おめでとうございます
と、
え?な答えが返ってきた
ふーんな長女には
くれくれモードでLINEしたら
こんな感じw
また我が家らしい
思い出の1日となりました笑笑
こんにちは
フリーランスヘルパー
たかまつひとみです
エデンの森の認定講師仲間で
私が愛してやまないこの方のこちら
自分を被害者だと設定すれば
加害者がいなければ成り立たず
その役割を務めてくれそうな人を探し出し
自分はかわいそうな人だと設定したならば
起きる出来事はどれも不幸なものでなければ
その人の悲しい物語は成り立たない
起きてることは
全てが悪いことでもなければ
悲しい現実ばかりでもない
なのに自分の設定(前提・あり方)によって
何が起きても
不幸なこと
悪いこと
酷いこと
自分を悲しませるようなこと
と受け取ってしまう
そうでないと
自分の設定した
かわいそうで
悲しくて
不幸で
最悪な
人生物語を綴ることができないから
かく言う私も
長い間自分のことを
母は乳がんになって
父なんかアル中で仕事もろくにせず
行きたかった大学も行かせてもらえず
ふたりとも若くして死んでしまい
妹は障がい者で私が面倒みるしかなく
続けたかった仕事を続けることができず
ブスでデブでモテないから
彼氏ができてもフラれ続けた不幸のかたまり
そんな風に思ってたwww
笑うところです
物事はとらえ方次第
起きてる事実は変わらなくても
悲しいことばかり
不幸なことばかり起きていると感じたならば
なにか偏ってると思うのならば
自分の設定を疑ってみる
いろんなことがあったけれど
悲しいことがあったから
嬉しいことももちろんあったし
淋しいと感じる日もあったけど
人の優しさに助けられた日もあった
結局どんなことがあっても
それでも幸せなんだと気が付いた
何にも「ない」と思ったけれど
「ある」ことを知った
そしてここ数か月の間
自分は被害者だと言い続け
加害者になっていく妹に対峙しながら
この経験を乗り越えた時
妹は同じような障害を持ち
同じように強い被害者意識を持った人や
劣等感で押しつぶされそうになった人の思いを
誰よりも理解できる存在になるかもしれない
とそんなことを思った
起きてる事実は変わらないし
変えようもない
全ては捉え方次第
昨日の母の日
LINEでのありがとうのメッセージと
ちぐはぐなおめでとうという言葉を
子どもたちから受け取ることができたこと
それで十分幸せ






