こんにちは。
ひろこです♪
私の心理の師が尊敬する
ミルトン・エリクソンの言葉です。
私ももちろん尊敬してます。
その人が持っていないものを
与えることではなく、
その人のゆがんでいる部分を
強制することでもない。
持っているにもかかわらず、
持っていると気づいていないものを
どうやってその人自身に気づかせ、
その人が使えるようにしていくのか。
そこをリードするのが私の仕事です。
私は毎朝この言葉と
あと2つの言葉を
ブツブツ唱えながら出勤します。
車の中でブツブツ言ってる姿に
気づいてる人がいるとしたら
「ちょっとコワい・・・」って
思われてるかもしれません。(笑)
その人が「持っていないもの」を
与えられる人は
いわゆる神さまだけかな・・・と
私は思っています。
では、
「持っていないもの」は
誰も永遠に手に入れられないのか?
・・・と言うと、
そうとは限らないと思うんです。
私は持っていないものが
たくさんたくさんあります。
正直に言えば、
欲しいものもたくさんたくさんあります。
それから
「持っていない」というより
「足りない」と感じるものも
たくさんたくさんあります。
でも、ですね。
たとえば、美しさ。
私には確かに足りないけれど
(「ない」と言わない図々しさ/笑)
私のお友達にはホントに美人が多くて
次々と情報を与えてくれます。
目を大きくすることも
鼻を高くすることも
残念ながら無理・・・だけれど(笑)
与えてもらった情報を使って
工夫することは出来ます。
たとえば、優しさ。
時々あまりに疲弊しすぎて
わずかな優しさも枯れ果てそうな時、
同僚がさりげなく私を気遣う言葉と
差し出したチョコレートに(笑)はっとして
自分に与えられる優しさに気づき
自分を取り戻します。
自分が持っていなくても
自分に足りなくても、
与えてもらうものに気づくことです。
私の顔がある日突然
北川景子ちゃんにはならないけど
(生まれ変わっても無理だわ/笑)
年がら年中、マザーテレサの真似は
出来ないとしても(いや、マジ無理/笑)
自分に与えられるものに気づいて
「ある」に意識を向けることです。
私が
北川景子ちゃんの顔になりたいとか
そうでなければ満足しないと言ったら、
ただの思いあがったバカに見えるでしょ?
求めても求めきれないものを望むのは
そういうことだと私は思います。
「持っていない」と思っていたけど
「ある」んだな、と気づくことです。
それからその反対も。
私が差し出せる情報もあるし
私に出来る気遣いもあるし、
私が応援できること、
私が聴いてあげられること、
私なりに出来ることぜんぶ。
相手が
持っていないとか足りないとか
そういう理由で差し出すわけじゃなく、
ただ私に出来ることをするだけ。
私は神さまじゃないから。
お互いに循環させる。
少なくとも大切な人、
大好きな人には
誰でもそう出来るんじゃないかな?
言ってみれば『愛』を差し出す。
それは
自分が差し出したいから差し出す
・・・と言うのとも
少し違うように思います。
あれ?
話がそれました。
上のミルトン・エリクソンの言葉ですが
ほんの少しだけ
私流に換えた部分があります。
それは
その人のゆがんでいる部分を
・・・という言葉を
その人のゆがんで見える部分を
と、置き換えて唱えてます。
私なりの前提として、
「ゆがんでいる人」はいない。
「ゆがんでいると見る人」がいるだけ
と思っているからです。
いや、正直に言います。
世の中に
ゆがんで見えることは
やたらといっぱいあると思います。
でもそれは、
私が「ゆがんで見ている」ってことです。
同じように
「持っていないもの」も
持っていないと思っているもの。
「持っていない」と思ってる。
「足りない」と思ってる。
実は与えられているものに
ただ気づけば、そこにあります。
得られるというよりは与えられる。
気づくことこそ豊かさへの近道です。
私の心理の師のブログはこちら
あなたは何か
「持っていない」 「足りない」と
思うものがありますか?
それが
与えられる機会があるとしたら
どんなこと、どんな時だと思いますか?
あなたが
今日もたくさんの与えられるものに
気づくことが出来るよう祈っています♪



