こんにちは。
ひろこです。
私は父が嫌いで、
いや、嫌いなんてレベルじゃなくて
本当に心の底から憎いと思ったことも
10回や20回じゃありません。
その頃のことを思い出すと
今でも辛いです。
「その頃のこと」なんて言うと
今は違うの?・・って話ですが、
父の認知症が進むにつれて
確かに何もかも変わりました。
父の目を見て会話するなんて
昔は考えられなかったし、
様子を見ながら
一日に何度も声がけするとか
何より私から笑いかけ、
父が笑うようにきっかけを作り
実際に顔を見合って笑うなんて、
ちょっと前まではあり得ない事でした。
『万事塞翁が馬』と言いますが、
何がどんな作用を起こし
次にどんな未来を創り出すか
本当にわからないと思います。
こんなふうに言うと、なんだかちょっと
カッコよく聞こえるかもしれないけれど
全然そういうことじゃないです。
ボケてるからって
何でも許されると思ったら
大間違いなんだからね!!
という言葉を
何度となく、何十回となく飲み込みました。
飲み込む分だけ余計に腹立たしくて、
憎さがさらに増しました。
ボケようがどうしようが
父が母や私を殴った事実は
消えてなくなるわけではないし、
それを恨みに思ったとして
悪いとも思いません。
素直なひとつの感情だから。
ただ、すべては『塞翁が馬』で
父が認知症を患ったことで
出来るはずのないことを
(そう思い込んでいたことを)
私は経験することになりました。
誤解を恐れず言うなら、
父の認知症が
父と私の『いい距離感』
『今までにない関係』を
生み出したということなんです。
望む望まないはともかくとして、
与えられた時に与えられたことを
与えられるままに受け取る。
それもひとつの『ありのまま』だと
思うようになりました。
目の前の現実を
意のままに変えようと努力することは
とても意義のあることですが、
黙って受け入れることもまた
意味のあるチャレンジになり得ます。
黙って受け入れることを
「諦め」ではなく、
自分の選択とするならば
そこから新しい道が開くことも
きっとあると思うんです。
父が患うことは
決してうれしいことではないし、
治るんだったら治してあげたい。
一方で毎日毎日
私も母もクタクタです。
疲弊するばかりで
心は悲鳴を上げてます。
それでも。
こうして顔を見て笑い合えること、
父を気遣って声をかけることは
今この状況だからこそ出来ること。
お互いにとっての幸せ。
私にとっては
まるで奇跡のような『ありのまま』なんです。
世界が隅々まで平和に輝き
この宇宙いっぱいに拡がる愛を
すべての人が受け取りますように♪


