元気な時もあれば、そうでない時もあってあたりまえなのです。
人は調子が悪くなるから、痛みにも気づけるし、治す力が身につくとも考えられます。
江戸時代から漢学、蘭学が元になり、
明治以降から現代の医学の基盤とも言える
西洋医学が中心となりました。
目で見てわかる治療。
からだの奥の仕組み、状態を知るべく
画像検査、いわゆるレントゲンやMRIなどにより、病巣を探しやすくなり
病気の診断力が大幅に進歩したのです。
しかし、物事にパーフェクトはありません。
見過ぎてしまうが為に、見落としもあるのです。
気づくはずが気づかないともある。
画像に映らなければ、痛みは嘘であるとも
判断されがちです。
レントゲンなどの画像診断は有能で、
私も診断では任せることも、確定診断の決めてともなりますが、
私の携わる患者様とは、
痛みがあるけども、それらに映らない
病気と判定される前の『 未病』という状態や、
本人しか気づけない痛みがある方を
今年も沢山診てきました。
痛みがあるのだから、かならず原因があるのです。
本当に痛みがなければ、
お金を払ってまで私の所に来るわけもないため、
例え、画像に映らなくても私は痛みの原因を探します。
その痛みに対する信じる気持ちから
大抵痛みのストレスが見つかります。
私なりの判断で探し、改善しますから
場合によっては病名はつけられないときもあります。
患者さんからしてみれば、自分の病名は知りたいものでしょうが、
私からすれば病名はあって無いような物、
病名に拘れば、見えるものが見えなくなるからです。
この言葉の意味は長く医療をしていれば
皆、共感できるはずですし、
若い治療者程、勉強しただけの教科書覚えでは、必ず習った病気に強引にでも当てはめようしますから、
特に保険治療では原因がないと保険外の適応になる為、病名は必須です。
それもあり画像に映らぬものは、病気にならなくなってしまうのです。
私は病名より、痛みと向き合う為に
保険をやめて、自費治療にしています。
ポピュラーな腰痛、肩こりから
重篤な痛みと、様々な悩みは
原因不明な事はよくあります。
原因追求すれば予防もできますが、
それよりまず、痛みを改善することが先決です。
素直に痛みに向き合う術は、
患者さんの痛みは、他ではなんともなかろうが、痛みがある以上痛みを信じる。
患者さんの話を沢山聞く、
病気を決め付けず、常に病気には他にも何かあるかもしれないと気にすること、
患者さんと沢山話す。話すことも治療と考え、雑談からヒントを探せます。
そして、体の声を聞く、
皮膚、筋肉、骨格、氣のバランス
精神状態、など
レントゲンに映らない痛みは
私なら探します。