娘が生後約2ヶ月で亡くなったとき、出産を報告していた友人知人に、亡くなったことを知らせました。
そのとき絶望感でどん底にいましたが、周りの方々の温かい気持ちが本当にありがたく、たくさんの人に助けられたと思っています。
本当に人に恵まれました。
娘がまだ幼いので通夜葬儀は行わず、私と夫とお互いの両親のみの6人で娘を送りました。
ただ荼毘にふすまでの数日間、最後に娘に会って頂きたく、自宅を開放し、いつでも誰でも会いにきて頂けるようにしました。
嬉しかったりありがたかったこと
・たくさんの方が時間を作って会いにきて下さったり、来られない方も弔電やお花を贈って下さったこと
・限られた方にしか伝えなかったけれど、
人づてに聞いて本当にたくさんの方が来て下さったこと
・会いにきて下さった方が自分のことのように泣いて下さったこと
・娘に触っていい?と娘の頭や顔を撫でてくれたこと
・後日自宅に来てくれた友人が遺骨を抱っこしていい?と抱き締めてくれたこと
・友人が自宅に遊びに来ると、娘に「○○ちゃん久しぶり」とあいさつしてくれること
亡くなってからも娘の存在を忘れないでいてくれていること
娘のことに触れてはいけないと皆さん思われますが、娘を誉められたり、忘れないでいてくれたり、存在を認めてくれることは嬉しいです。
逆に悲しくなったり残念だったこと
・亡くなったことを知らせたときに何の反応も無い人がいたこと
悪気はないのは十分承知しています。むしろ優しさなのかと思います。
子供が亡くなるなんて、あまりにもショッキングな出来事で、なんて返したらいいのか返答に困ったと思います。あまりにも重い出来事で軽々しく慰めたり出来なかったんだと思います。
私だって逆の立場なら同じことをしていたかもしれません。
でも、ありのままに『ごめん、返す言葉が見つからないよ』『なんて声をかけてあげたらいいかわからない』と返信してくれる人もいました。
その言葉がありがたかった。
やっぱり何の反応も無いのは寂しいです。私も勉強になりました。
・娘が亡くなったあと友人などに会ったとき、『思ったより元気そうでよかった』と言われたこと。
心配してくれていたのは本当にありがたいのですが、言われたときはちょっと複雑でした。
本当は全然元気じゃないし、泣いてばかりだけど、娘がいなくなったあとも普通に生活はしていかなきゃならないし、人に会うのにずっと泣いている訳にもいかないし、多少無理はしていました。沈みそうになる自分をなんとか保つのに毎日戦いでした。今でもそれは変わらないです。
・娘の喪中ハガキを出したときに、寒中見舞いハガキが届いたのですが、子供の写真入りの物で『元気?大丈夫?』と書いてありショックだったこと。
喪中ハガキはこちらが年賀を控えるだけで、送ってくるのは問題ないのはわかっています。
心配してくれる気持ちはありがたい。ただ娘を亡くして間もないときに子供の写真入りは辛く感じました。
今は子供の写真入り年賀状を頂いても『大きくなったなぁ』と普通に受け止められます。
・娘が亡くなったあと、私の祖母が老衰で、父が癌で亡くなったのですが、親戚で『こんなに不幸が続いて何かのタタリじゃないか。呪われてるんじゃないか』と言ってきた人がいました。悪い人ではないけれど、私に直接言ってくるし無神経だと思いました。
やっぱり経験しないとわからないことはある。
私もすぐに子供が出来ていたら、不妊治療の大変さ、気持ちをわからなかったかもしれない。
子供が病気でなければ、病気を持つ子の親がどれだけ不安と戦い、どんな思いでいるのかわからなかったかもしれない。
子供が亡くならなければ、自分より大切な人を失う悲しみ、無力さ、絶望感、寂しさ、日々そんな気持ちと戦いながら生きていることを知らなかった。
経験しないで済むのなら、それに越したことはないと思う。
けれど経験しなかったらわからなかったことは多い。
感じ方は人それぞれで、私と同じとは限らない。私が大丈夫なことでもその人にとっては嫌なこともある。
正解なんてないけれど、
人の痛みや悲しみに寄り添える人になりたい。
そして当たり前なことが当たり前じゃない。妊娠し出産し子供が元気に成長していくことは奇跡。