娘のノートの抜粋です。私の代弁をしてくれてるなと載せますので読んでみて下さい。 🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸 Twitterのお友達に一冊の本を教えていただき、読みました。

精神トラウマと解離の本です。
27章にこのような話が載っていました。
"解離、スピリチュアル体験は明確に分離ができない場合がある"と。
これこそまさに、ヒプノセラピーをしている時にマリアが長年言っていることなのです。
マリアはヒプノセラピーをしていると、前世も出てくるし、死んだ霊がでてくるのであると。
これは経験上、そのようなことが起こっているから言っているわけですが。
なので、スピリチュアルと精神病、心理学の知識のどちらもわかっている人がいなければ、癒したり、その人の話していることが理解できないであろうと。
この本では、
非日常的体験を医学が病理として扱ってきた。
それは文化的、政治的な文脈に依存している可能性がある。
というのも、医学というのは西洋医学が主流ですから、もともと中世ヨーロッパで魔女狩りが起き、
植民地にし、もともとの民族たちの文化をおかしいものであると位置付けてきた歴史があります。
シャーマンや霊的な実践者たちを
頭がおかしい、狂ってる、危険な人
のように扱ってきている。
ですから霊的体験をしている人たちが専門知から除外されるということが起きている。と。
前々から私も体験としてあることですが、
私が書いたヒプノの体験談でもよく私は「死んだ子がいました」などとかいています。
それは憑依であると自覚して私はそう書いているのですが。
なぜかと言いますと、マリアのヒプノセラピーをして、死んだ人間の記憶や、死んだ人間の気持ちを手放すと、ものの見事にその後、良い状態になっていくからです。
これによって私は救われました。
私の場合ですが、
たくさんの人間が自分のせい(直接的なものではなかったとして)で亡くなっている、申し訳ない、それでものうのうと自分が生きている、この立場から降りることができない。
負けたことが悲しいのではない。
ただひたすら、申し訳がないと海を見つめ自暴自棄になっている。
いっそ死ねたほうがよかった。
自分も戦で死ぬならそれでもよかったのだが、許されなかった。
という底知れぬ悲しみと後悔と申し訳なさが根底に私にはあったのです。
だから自分を許せないし、自分が嫌いだったし、死んだ方がマシ、と今の私も感じて苦しんでいた。
ということにつながるのです。
憑依なのか、解離なのか?
というものを今の医学ではどっちだ?と診断することができない。
だからこそ普段から言っておりますが、サニワが大事ということです。
それが霊的な物であるのか、それともそうではないのか、サニワをしていかないとならないし、なんでもスピリチュアルな出来事だ!と結びつけてはいけないのです。
私たちがなぜ記録したり、こんな感じであったと書くかと言いますとサニワをしてもらうためです。
体感としてその場合が何でくるかをたくさんデータとしてあるため、身体症状も含めサニワをします。
その夢があっているのか間違っているのかを見分けるため、1人の夢を信じているわけではないというわけです。
自分の内容を見ていることもありますから。
全体に関わるようなものはサニワをしてもらうんです。
サニワをする人が必要です。
それは今マリアが行っていますが。
話を戻すと、ヒプノセラピーをしていると、これは解離じゃないと思う内容が出てきます。
死んだ人の記憶や前世はその人にくっついていると何度もヒプノセラピーをしてわかったことです。
ただ前世に行きました!こんなのが見えました!
だけじゃないヒプノセラピーをやっている、ということです。
私が霊媒になってしまうことが多々ありますので、解離と言われてもしょうがないくらいのことはまぁわかりますよ。
急に泣いたりするんだもの。
でもわたしはそれが誰かが来たことはわかるので、解離じゃないとわかるのです。
答え合わせをちゃんとやるので。ただそうかも、で終わらせないようにしています。
そうして死んだ方が満足すれば、あがられますから。
そこにどう持っていくか、ということも踏まえて、こちらはたくさん事例があるので、正直、論文書けるくらいある。笑
なので、日本のスピリチュアルと精神医療、遅れてるってのはこれなんだよな。と思うなどしています。
日本語でも書いている本他にもありますし、
精神科医でも解離とスピリチュアル的なものを区別することができないというのをわかっているお医者さんはいらっしゃるようですが。
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
そんなお医者様を探して
沖縄にいきたいなと考えていますが。。。
マリア