7/21(金)は、「青春18きっぷ」を使用して滋賀県のお城巡りに出かけました。3城目は「金堂(こんどう)陣屋」(滋賀県東近江市五個荘金堂町)で、その陣屋と社寺を中心に形成された湖東平野を代表する農村集落と共に近江商人が築いた意匠の優れた和風建築群が並ぶ町並で「五箇荘(ごかしょう)」といいます。
「五個荘」マップ(観光案内所発行)
「五個荘」は「金堂の町並み」という名称で1998年(平成10年)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
「金堂(こんどう)陣屋」の歴史と城主について触れておきますと、12万石~15万石であった「大和郡山藩」(奈良県大和郡山市)の内、近江国内は4万石も占めていて、その中で「蒲生・神崎・坂田」を管理するために置かれた「陣屋」でした。
「大和郡山藩」は、初代「水野家」→「松平(奥平)家」→「本多家」→「松平(藤井)家」→「本多家」→「柳沢家」と変遷しますが、後半の「本多家」の時の1683年に「近江国」を与えられて、その時から「金堂陣屋」が置かれました。
「金堂陣屋」の縄張りは、スクエアで現在存在する「稲荷社」の他に、「牢屋」「蔵」がありますが、就役者である「代官」1名、「手代」2名、「書役」2~3名が常駐する「役宅」が並ぶ小さな陣屋で、入口も「長屋門」の「表門」のみでした。
「金堂陣屋」の建物配置(現地に掲出)
現存しているのは、前述の「稲荷社」の他に、「長屋門」が西側に建つ「勝徳寺山門」に移築されていて、「番所」の役割を持たし「格子出窓」が付く立派な「長屋門」です。
「金堂陣屋」内にあった「稲荷社」
「金堂陣屋」内にあった「稲荷社」
「金堂陣屋」跡の敷地(丁度左塀の辺りが「代官役宅」跡)
「金堂陣屋長屋門」(移築先は「勝徳寺山門」)
「金堂陣屋長屋門の出窓」(移築先は「勝徳寺山門」)
「金堂陣屋長屋門」正面(移築先は「勝徳寺山門」)
立派な「門扉」
「金堂陣屋長屋門」裏側から(移築先は「勝徳寺山門」)
「金堂陣屋長屋門」裏側から(移築先は「勝徳寺山門」)
「金堂陣屋」であった敷地は、1872年(明治5年)に民間に払い下げられたそうで、「稲荷社」の周囲には大きな住宅が建ち並んでいます。
「金堂陣屋」跡界隈
「金堂陣屋」跡界隈
「陣屋」は東西に走る「陣屋通り」に沿って跡地が見られますが、その1本北側の東西の通りは「花筏(はないかだ)通り」と言い、「五箇荘近江商人屋敷」が並びます。
「五個荘」マップ(白壁と蔵屋敷マップ、観光案内所発行)
「あきんど通り」の蔵群
重厚な「蔵」の窓
「中江準五郎邸」は、昭和初期に中国や朝鮮半島で「三中井百貨店」を築いた「中井家」一族の本宅です。この通りの両脇は、木の塀が並び赤いポストが昔のまま立っている昭和初期の雰囲気が漂う道になっています。
「中江準五郎邸」(あきんど通り沿い)
「中江準五郎邸」(花筏通り沿い)
「花筏通り」の東側には「外村宇兵衛邸」が並びます。1895年(明治28年)に東京で呉服木綿問屋を開き活躍した家で、「外村家」の三男が「外村繁」という私小説家で「花筏」「筏」等の近江商人を題材にした小説を残しているそうです。主屋と庭の改修、茶室・四阿などを五箇荘町が建造して明治期の姿に復元して「文学館」としています。
「外村宇兵衛邸」(「花筏通り」沿い)
「花筏通り」沿い
「外村繁邸(文学館)」
私は、遠回りをして自転車を漕ぎすぎたのか、太腿の筋が痙攣してしまい少し足を休めたかったところに、「氷」の看板が目に入り、しかも周囲の建物にマッチした素敵な軽食喫茶店があったので、迷わず入店して「レモン氷」を頼みました。
ビックリしたのは、大盛りで何と300円という格安で、席から格子窓越しに白壁の建物が見える絶好の休憩場所となりました。
「氷」の旗が目につきました
「格子窓」越しに「外村繁邸」が見える
20分くらい頭にキーンとくる氷をゆっくりと口に含みながら、太腿の方もだいぶマシになったので再出発をかけました。
「氷(レモン味)」
最後は、「堂中通り」「祭・馬場通り」「寺前・鯉通り」の交差点からそれぞれの町並のベストスポットの写真を撮り、「寺前・鯉通り」を南へ進みました。
「近江商人屋敷群」方向
「祭・馬場通り」方向
「安福寺」方向
「寺前・鯉通り」方向
沢山の「鯉」が泳ぐ
鯉が泳ぐ小川沿いには「浄栄寺」と「弘誓寺」が並びますが、特に「弘誓寺」の建物は立派でした。真宗大谷派寺院で、「那須与一」の孫「愚とつ坊」が開基したそうです。
主要部は1764年に完成し重要文化財に指定されているようです。また、「表門」瓦には「那須与一」に由来する扇の紋が入っているのを確認できました。
巨大な「弘誓寺本堂」
「弘誓寺庫裡」
「弘誓寺庫裡」
「表門」瓦には「那須与一」に由来する「扇」の紋
また、門脇にはまるでお城の「櫓」のような二重の「建造物」も建てられていて、大河ドラマ「どうする家康」で「三河一向一揆」の際に「一向宗」の拠点となった「本證寺」の姿を思い浮かべるほどソックリでした。
「弘誓寺」の櫓風建物
「弘誓寺」の櫓風建物
「寺前・鯉通り」
「五箇荘」の最南端にある「ぷらざ三方よし」は観光案内所と売店が併設されている場所で、少し休憩をしてから、最後の訪城地「伊庭御殿」へ向かいました。
「ぷらざ三方よし」
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