昨日(7/4)は、北摂に位置するキリシタン大名「高山右近の郷」の「高山」に築かれた「高山氏」のお城「高山城・高山向山城」(大阪府豊能郡豊能町高山)へ登城し、「高山城」をまずは投稿しました。
本日は、「高山城」から南方向のすぐ近くにある「高山向山城」をお届けします。
車を「高山公民館」に置いてから5分位歩き、「高山城」に向かう道に入ってすぐの所にある土留擁壁に付く階段から山中へ入りました。登城路は無さそうでしたので、意を決して山の斜面の直登を決行しました。
「高山向山城」の遠景(高山コミュニティセンターから)
土留擁壁に付く階段から山中へ
上を見ると、木々の間から頂上の光が見えますので、そんなには距離が無いかもと思いましたが、結構急斜面で木々の間隔があるので、木の枝や幹を掴んで上へ上がっていく方法がなかなか採れず、主にトレッキングポールを土に刺しながらの登城となりました。
急斜面を直登
登り切った所には、「横堀」と「大土塁」が真正面に見えたので、登山の苦労が一気に吹き飛びました。
「横堀」と「大土塁」
「高山向山城」の縄張り図は、余湖さんのHPからお借りしたもので、「大土塁」に沿って「横堀」が掘られ中央には「土橋」があり「2郭」に繋がります。更に壇上には「1郭」があります。「1郭」「2郭」の東西一段下には、「腰郭」が設けられ、「1郭」の北側には「土塁」があってその下は「堀切」が設けられていて、北側に続く「平らで長細沿い郭」跡とを分断しています。
「縄張り図」(余湖さんのHPからお借りしました。ただ上部と下部の色違いは私が追加しました)
「大土塁」は結構幅があって「横堀」に沿って築かれています。「横堀」に架かる「土橋」もハッキリと形を残し、「横堀」の底から見上げると高さもありました。
「大土塁」と「横堀」
赤い杭が「土橋」部分(奥が「大土塁」)
赤い杭が「土橋」(「堀切」底から見上げる)
また「横堀」が切れた所から東西両脇に、「腰郭」が「1郭」「2郭」の各跡の下段を取巻いています。「大土塁」の南側は、かなりキツイ傾斜になっていますが、後から見ることにして、まずは「土橋」を渡って、北側に盛り上がる「2郭」跡に上がりました。
「2郭」跡下段には「腰郭」跡(西側下)
「1郭」跡下段には「腰郭」跡(東側下、南方向)
「2郭」跡はあまり広くなく、少し壇となったところが「1郭」跡のようです。「1郭」跡は「2郭」跡よりも狭いですが、その北側沿いに「土塁」が築かれていました。やや右手(東側)の「土塁」がの盛土が高くなっているのは「櫓台」だったのでしょうか。
「2郭」跡から「1郭」跡(壇上)を見る
「1郭」跡
「1郭」跡北側の「土塁」が少し盛り上がった所
「1郭」の北側に延びていく「平らで長細い郭」跡とを分断するように「堀切」が掘られていて、「土塁」上から見下ろすと深さがあるようでした。
「1郭」北端の「土塁」から見下ろす「堀切」
「堀切」の底に下りると、西側へは「竪堀」が続いていて下に落ちていきます。
「堀切」の底
「堀切」から西側へは「竪堀」となって下る
「平坦な郭」跡に上り、細長い郭を北方向へ進むと「大川大明神社跡」と彫られた碑と「手水鉢」がポツンと置かれていて、その北側に神社があったようでした。
「平らで長細い郭」跡から「堀切」を見下ろす(奥が「1郭」の「土塁」)
「平らで長細い郭」跡(北方向)
「大川大明神社跡」碑
「手水鉢」
ここでUターンして、先程の「堀切」を越え「1郭」「2郭」跡から「土橋」を渡って「大土塁」 へ戻ってきました。
先に登城した「高山城」に比べると、かなりの防備仕掛けを伴う「山城」であることが分かりました。
「大土塁」南側の急斜面を下って行く方が、下山は楽だろう考えて下りていくと小さな「郭」があり、その辺りから苔むした「巨岩」を目にします。
「大土塁」南側の急斜面
斜面途中にある「小郭」跡
更に、その「巨岩」を越して下るともう一つ「郭」があり、その周囲は「巨岩群」になっていました。「縄張り図」には南面の急斜面以下の二つの「郭」や「巨岩群」までが記載されていなかったので、非常に興奮しました。
苔むした「巨岩」
「巨岩」下にも「小郭」跡が横たわる
「巨岩」群
「巨岩」群
「巨岩群」から少し下ると、斜面には巨岩を砕いた小石が散らばっている「小石群」が見られました。このお城を築く際に「石積み」を施そうと砕石した跡なのかもしれませんが、完成させるまでに築城を放棄したのかもしれません。
苔むした「小石群」
苔むした「小石群」
この辺りの斜面は、登城の際に直登した場所に比べて緩やかでしたので、下山も楽勝でした。そこから直登した斜面を見ると40度位の角度がありそうでした。
下山をして車を停めていた「公民館」に戻り、「高山マリアの墓」がある場所に向かいました。入口が分りにくくて諦めかけて戻る際に、入口表示を見つけたので車を降りて約300m先の山中に入り辿り着きました。
「高山マリアの墓」とあったので、「高山右近」の奥方の墓だと思っていたのですが、小さな墓が4基(1基は少し離れて)並んでいました。解説文を読むと、寛永年間(1750年前後)まで「高山」に居住した最後のキリシタン夫婦(2組)の墓碑ではないかとのことでした。これ以降「高山」におけるキリシタンが居なくなり現在隣接した「茨木市」「高槻市」に隠れキリシタンが存在しました。
「高山マリアの墓」解説板
「高山マリアの墓」
「高山マリアの墓」
ここから、「豊能町立 高山コミュニティセンター」にキリシタン関連の資料があるとのことでしたので向かいましたが、暫くの間閉館でした。仕方が無く、建物前に立つ「高山右近・志野夫婦像」の写真だけを撮りましたが、「右近」没後400年を記念して2015年(平成27年)に建立されたモノでした。
「高山右近・志野夫婦像」
時間は12時、お腹が空いていたので帰宅することにしました。途中、「高山の棚田」に行こうと思っていたのにそれを忘れて戻ってしまったのを後悔しましたが、車道の「箕面の滝道」から「箕面」へ下る際に見えた「梅田」「千里ニュータウン」の遠望を暫し車を停めて眺めることができました。いい天気に恵まれ、鬱陶しい梅雨の合間を有意義に使えた1日でした。
高層ビルが建ち並ぶ「梅田界隈」
「千里中央界隈」
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