先日10/13(火)に「大坂城」(大阪府大阪市中央区)外周を散策した時のブログを「速報!」としてお届けしました。
今回から2~3回に分けて、『「大坂城」の外堀越しから見た大坂城』『違う視点から見た「大坂城」の四大門(京橋口門、青屋口門、玉造口門、大手門)』を中心に、ブログをお届けします。
外郭(北仕り曲輪)へ大阪ビジネスパークから架かる「新鴫野橋」からのぞむ天守北面
普段「大坂城」に行っても、なかなか足を延ばさない場所が多いと思いますので、「へー、こんな所があったかなー」とあらためて気が付いたり、興味を持たれたりするかもしれません。
周回コースは、「速報!」でも掲載していましたように、下記の「大坂城」案内図に赤でラッションを引いたコースです。
今回の周回コース
厳密にいえばスタートは、「秀吉時代の三の丸石垣」展示場所である「大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)」の北側です。この道路向かいには、「徳川秀忠」時代の「大坂城」の護岸用石垣も発掘され展示されています。
「秀吉時代の三の丸石垣」展示場所
この当時も石を砕くのは矢穴を使ったようです
更に、「京橋通り」に出て右側の「追手門学院小学校東門」脇の壁には、石垣が組み込まれていますがこれも「豊臣時代」の石垣だそうです。
これも豊臣時代の石垣を使用
通りの「京橋」の下に流れる川が「寝屋川」で、「大坂城」の外郭である「北仕切曲輪」を北側から守る堀替りになっている川で、橋上から「寝屋川」の上流(東側)の護岸を見ると、ぎっしりと石垣が積まれていました。
寝屋川沿い護岸の「北仕切曲輪」石垣
さて一旦、大坂城四大門の一つ「京橋口門」を見るべく、当門に行きますが、今まで気が付かなかったのですが、門までは緩やかな坂道になっていました。
左に「京橋口門」跡があり緩やかに左上がりになっている
「京橋口門」跡
「京橋口門」は「高麗門」と「櫓門」による枡形を形成していて、現在は高麗門から斜め右に道が延びています。そして正面には、城内二番目に大きな巨石「肥後石」がデーんと座っていて、表面積54㎡、33畳の広さがあります。
「肥後石」と名前が付いていて「加藤清正」が運んできたと言われてきましたが、実際はこのエリアの担当は、「岡山藩」の「池田忠雄」だったそうです。
「京橋口門」跡と奥に城内二番目の大きさの「肥後石」が見える
ここでじっくりと、ビデオで枡形状況を撮った後、「西外堀」側へ少し入り「乾櫓」(重文)を見に行きました。というのも、北東方向から見る「乾櫓」は初めてでしたが、塊となって角(かど)が飛び出てくる感じを受けました。
乾櫓(重文)
それでは、「北外堀」の外側である「北仕切曲輪(外郭)」から「大坂城」を眺めるコースに入ります。
曲輪図と城郭建造物配置図(城内に掲出分)
この入口になるのは、江戸時代に建っていた「筋金門」跡です。この門は、明治時代以降この一帯が「大阪砲兵工廠(こうしょう)」という東洋一大きな軍需関連工場地として使用されてきたので、当時は「砲兵工廠」の正門として使用されていました。
しかしながら、「太平洋戦争」敗戦日の1日前(昭和20年8月14日)の大空襲によって、多くの人命や建物と共に焼失してしまいました。現在は、「筋金門」跡石垣とともにレンガの壁を見る事が出来ます。
「筋金門」石垣上にレンガの壁を築いている、「明治天皇聖跡」碑
「筋金門」跡の礎石と金具付けの穴
そこを少し入った左手には、古びたレンガ造りの建造物がありますが、これは戦時下に使用されていて現在放置されている「大阪陸軍造兵廠」(化学試験場)の建物です。この建物も、いずれは、外観だけ残して再開発物件となるのでないかと心配します。
「大阪陸軍造兵廠」(化学試験場)の建物
その右手には、広大な「北外堀」が拡がり、対岸には、綺麗な形をした「伏見櫓」台が見えます。ここには、三層三階層塔型の「伏見櫓」が建っていて、全部で11基ある三階櫓の中で、「伏見櫓」だけは形が少し違いました。櫓名からは言うまでもなく「伏見城」から移築された櫓ですが、惜しくも太平洋戦争で焼失してしましました。
伏見櫓台
戦前の伏見櫓(城内掲出分-以前撮影分)
現在は、後方に見える「大阪ビジネスパーク」のビル群との新旧コラボが非常に美しいです。
「大阪ビジネスパーク」のビル群との新旧コラボ
この辺りは「桃園」という碑がありますので、春には桃が咲き乱れている場所だと思います。
丁度「極楽橋」の北側になる所に「第二寝屋川」を渡る「新鴫野橋」があります。この橋は昔からある橋(勿論、現在の橋はコンクリート造り)だそうですが、その北対岸地の奥はビジネスパークの外れでマンション地にもなっていて、西側では「寝屋川」と「第二寝屋川」の合流地点となります。
「大坂定番下屋敷」跡(第二寝屋川沿い)
そこには巨石が3つと、積みかえた石垣が並んでいて、脇に立つ「大阪ビジネスパーク開発の碑」という古びた碑の裏側にその謂れが記載されていました。この界隈は、「大坂定番下屋敷」があった場所で、「京」から下ってきたらここへ出たらしくて、「下屋敷」を囲っていた石垣だそうです。
「大坂定番下屋敷」の敷地を囲っていた巨石(第二寝屋川と寝屋川の合流地点)
「大坂定番下屋敷」の敷地を囲っていた石垣(第二寝屋川と寝屋川の合流地点)
「大坂城」見学に来て、ここまで来るようなモノ好きはいないだろうな~と思いながら、「北仕切曲輪」(外郭)へ戻り、「北外堀」脇に沿って進みますと、四つの大門の一つ「青屋口門」への上り坂の石垣が見えます。
「青屋口門」跡を北側(北外堀側)から見る(高麗門の門台)
「青屋口門」を横から眺めるのは初めてで、その両脇はしっかりと石垣に守り固められていました。
「青屋口門」跡を北側(北外堀側)から見る(高麗門の門台と奥に復興櫓門が見える)
「青屋口門」跡の高麗門台と枡形
では今回のブログ(「大坂城(前編)」はここまでにして、次回は「青屋口門」をしっかりと見た後、「東外堀」越しにお城を見ながら、「玉造口門」跡へ向かう「大坂城(中編)」をご期待ください。
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