信太山の「伯方陣屋」を後にして、JR阪和線で更に南下して「東岸和駅」で下車、そこから南海バスで10分程で目指す「岸和田城」(大阪府岸和田市)の最寄り駅である南海電車「岸和田駅」前に到着しました。

 

模擬天守と小天守(北東側から)

 

城主と歴史に付いて触れておきます。

 

「岸和田」は、且つて城館だけの「岸和田家」の「岸和田古城」があり、「三好長慶」の支配下になると「松浦家」が城主となります。

 

その後「織田家」の支配下を経て、「羽柴秀吉」による根来寺と雑賀衆攻めの最前線として「中村一氏」が入城します。そして「秀吉」全国統一後は「小出秀政」が入って本格的な近世城郭へ改修していき、その中で五重天守も建築されます。

 

江戸時代の絵図面(上が北)

五重天守が描かれている絵図(層塔型、下見板張り)

「小出家」の後に入った「松平康重」は城下町の沿岸部に石垣を築くなどの城下町整備を行います。

 

城下絵図

 

1640年に「松平家」の後を継いだのが「岡部宣勝(のぶかつ)」で、幕府に対する異心があると言われた「徳川頼宜」の「紀州藩」を監視する目的でお城も大規模な改修が行われています。

 

岡部宣勝入城直後の城下曲輪図

 

 

その後は幕末・維新まで「岡部家」が代々続きますが、1827年まで存在していた五重天守が落雷で焼失してしまいます。

 

 

このように、非常に重要視され大規模な城郭化を経てきた歴史の中で、現在の「岸和田城」は、「本丸」跡には、1954年(昭和29年)という天守再建ブームが起こる非常に早い時期に「三重天守」と「二重小天守」が再建されています。

 

ただ、前述したように絵図で残る「五重天守」で「下見板張り」の「層塔型天守」とは全く違う「三重三階」で白亜の「白漆喰総塗籠め」の「望楼型天守」を残っていた「天守台」の上に再建されていますので、「模擬天守」の区分になっています。

 

この「模擬天守」は、東西に大きな「入母屋破風」があり南北の一層目は「比翼千鳥破風」を施しています。

 

模擬天守(大きな入母屋破風、南東側から)

東面

北東側から

北東隅から見上げる

本丸跡「八陣の庭」越しに西面を見る

 

そして望楼は二層が入母屋屋根上に乗り、最上階の壁面には各面に「花頭窓」を付け、周囲を「高欄・廻縁」が取り巻いています。

 

模擬天守最上階中

天守最上階壁面の「花頭窓」

天守最上階の「高欄・廻縁」南東隅

 

「本丸」跡周囲は土塀で囲って、石垣も横矢を掛けながら築かれています。「本丸」跡を巡らす「堀」の幅も広く「百間堀」と呼ばれています。東側の「石垣」から「堀」に降りる階段が設けられていて、石垣周囲を縦横に動きができる「犬走り」がありますが、これは地盤沈下を修める効果もあったようです。

 

百間堀(本丸南側)

 

本丸跡の横矢掛り

本丸跡東側石垣下の犬走り

 

「模擬天守」最上階からの眺めは良好で、まず西側に目を向けると「本丸」跡の西南隅に復興隅櫓と多聞櫓が、正面には復興「本丸櫓門」が見えます。また、「本丸」跡内には白石の上に歪な八角形をした枠で区切られている「八陣の庭」が作庭されています。

 

天守より西方向を見る

「本丸」跡西南隅の復興隅櫓と多聞櫓

「本丸」跡西南隅の復興隅櫓と多聞櫓、奥に模擬天守

復興「本丸櫓門」正面

復興「本丸櫓門」

 

「八陣の庭」は、「諸葛孔明」の「八陣法」を表現したもので、中央に大将・周囲に虎・雲・鳥・風・竜等の各陣を配した姿を描いているそうで、「重森三玲」という方の作だそうです。

 

天守から見下ろす「八陣の庭」

 

「本丸」跡の奥は「二の丸」跡で、現在は、トイレを「二の丸多聞」と称した城郭風にした「建造物」とこれも城郭風の「心技館」が建ちます。

 

トイレを「二の丸多聞」と称した城郭風建造物

城郭風建造物「心技館」(道場)

 

そして「二の丸」跡の西側に拡がる住宅地は「町曲輪」と言った「紀州街道」沿いの町屋が並んでいる所となります。前述した「松平康重」が築いた海防の為の800mも続く石垣が海を隔てて見えたことでしょう。現在は、その石垣も僅かな長さだけ現存しています。

 

海防用石垣の遺構

 

「二の丸」には、政務や藩主の生活がされていた「二の丸御殿」が置かれていました。そして、その北西隅と南西隅には櫓が置かれ、特に北西隅には「伏見城」から移築された「伏見櫓」が建っていたそうです。

 

二の丸跡

伏見櫓跡(二の丸跡側から)

 

外側から「百間堀」越しに見た「櫓台」は非常に立派で、隅の算木積みは武者返しになっています。ただ、櫓台の石垣ですが、下部の石は比較的大きいのですが、上部は細かい石を積み上げている理由が良くわかりませんでした。

 

百間堀(左「二の丸」跡、右は「二の曲輪」跡、奥に土橋)

武者返しの「伏見櫓台」

伏見櫓台(下部の石は大きく、上部は細かい石)

 

次回ブログは、「岸和田城」(後編)をお届けします。

 

 

 

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