「竹生島」のお城遺構訪問を終えて、「琵琶湖汽船」で長浜港を降りてから、次の訪問地へのJR列車の時間まで30分ありましたので、「長浜城」(滋賀県長浜市)の模擬天守の周囲だけですが散策、写真撮影をしました。

 

「長浜城」の模擬天守は、三重の望楼型・総塗り込めで、天守の装飾物は、最上層には軒唐破風、二重目には東西面に二つの千鳥破風を設けているので、優美な感じになっています。

 

模擬天守東面(軒唐破風と千鳥破風)

 

そして、周囲には高層建築物がないので良く目立ちます。「長浜港」からJR「長浜駅」に向かうまでの間、ほぼこの天守を眼で追うことができました。

 

模擬天守(南西方向から)

 

当天守は、1987年に建てられたもので、館内は「長浜市長浜城歴史博物館」として使われています。以前館内に入りましたが、やはり「豊臣秀吉」関連の資料が多かったという印象があります。

 

模擬天守(南面

 

さて、「長浜城」の城主に歴史についてここで少し触れておきます。

「長浜(旧今浜)」がある地は、北近江3郡(伊香、坂井、坂田)の中にあり、守護大名の「六角家」と「京極家」が覇権争いをする中で、「京極家」の家臣であった「浅井家」が下剋上でこの3郡を支配する戦国大名となりました。

 

しかし、「浅井長政」が「織田信長」との同盟関係を解除して、昔から縁の深い「朝倉家」との同盟重視によって「姉川の戦い」を起こすも、「織田軍」に敗北し、更に居城の「小谷城」を攻められて「浅井家」は滅亡します。

 

その「小谷城攻城」で大きな手柄を立てた「木下藤吉郎」は、「信長」から北近江3郡を領地として与えられてここに初めて自分のお城を築き 1577年に完成、地名も「今浜」から「長浜」に改名しました。併せて、藤吉郎は「羽柴秀吉」と名字の改姓と名前の変更をしました。

 

次にスポットが当たるのが、「本能寺の変」で「信長」が打たれ、その後に開催された「清須会議」で、「長浜城」は「柴田勝家」の養子「勝豊」に与えられました。しかし、「秀吉」が「柴田勝家」との間で「織田軍団」の中での覇権争いをした「賤ケ岳の戦い」で勝利すると、1585年頃に「秀吉」の家臣であった「山内一豊」に「長浜城」が与えられました。

 

「一豊」が「掛川城」に移った後は暫く空き城となっていて、徳川政権が確立してからは「内藤家」が城主となりますが、1615年の「一国一城の令」で廃城となって、「長浜城」の廃材が「彦根城」などに運ばれて再利用されました。

 

長濱城跡碑と模擬天守(北東方向より)

 

現在の「長浜城」の遺構は、あまり残っていませんが、「豊公園(ほうこうえん)」の大部分が「本丸」跡ということで、琵琶湖岸の「太閤井戸」は湖水が引いたときには表れます。

 

太閤井戸と灯籠

 

太閤井戸

 

また、現在「豊臣秀吉」像が立つ盛り上がった場所は、「内藤家」が築造した天守の「天守台」ということですが、「天守台」跡碑が立っています。また、「秀吉」時代の石垣も見つかっていますが、「豊公園」内の散策道沿いの石垣は、当時の石を積みかえたものだそうです。

 

天守台に立つ豊臣秀吉像と天守台跡碑

長浜城跡から掘り出された石を使用

 

城跡周辺を散策すると、「内堀跡」碑や「御馬屋跡」碑、「大手門跡」碑等を見つけることができて、その脇には、「秀吉」当時の城と城下の絵図も掲出されているので、お城全体の姿を想定することができます。

 

内堀跡碑

内堀通りとなっている内堀跡

御馬屋跡碑

長浜城の構造図内に示された御馬屋の場所(現在地と記載)

大手門跡(これは以前撮った写真)

大手門通り入口(現在の「黒壁スクエア」を通る、これは以前撮った写真)

大手門通りの「大手橋」(これは以前撮った写真)

大手橋が渡る川(これは以前撮った写真)

 

「長浜城」の城郭建造物の遺構も、JR「長浜駅」の東側に拡がる「黒壁スクエア」内に建つ寺院に移築されています。「山内一豊」時代の「大手門」が「大通寺台所門」へ、「搦手門」が「知善院表門」へ、秀吉時代の「茶亭門」が「西村家」に移築されたものが「季織の径(ときおりのみち)へ再移築されている言われています。

 

山内一豊時代の「大手門」(現在は「大通寺台所門」に再利用)

山内一豊時代の「大手門」(現在は「大通寺台所門」に再利用)

山内一豊時代の「大手門門扉」(現在は「大通寺台所門」に再利用)

「搦手門」が「知善院表門」に再利用

「搦手門」が「知善院表門」で再利用

秀吉時代の「茶亭門」(西村家に移築されたものがここへ再移築)

 

また、最も有名なのが、「彦根城」の「天秤櫓」は、「長浜城」の櫓の再利用したものだと謂われています。

 

彦根城の「天秤櫓(左側)」(以前に撮った写真)

彦根城の「天秤櫓(右側)」(以前に撮った写真)

 

今回は、船から列車に乗り換える途中に足早に目を通しただけで、「黒壁スクエア」には足を延ばしていませんが、そこに移築された遺構と大手通りだけを、以前訪問した際に撮った写真で紹介をしています。

 

JR「長浜駅」に着き駅構内へ上がるエスカレーター室内の壁には、「豊臣秀吉」と「天守」が描かれた絵が掲げられているのを見ると、長浜の地では「秀吉」人気の高さが良く解りました。

 

JR西日本「長浜駅」内の「豊臣秀吉」と「天守」が描かれた絵

 

次のブログでは、「琵琶湖竹生島」内に移築されたお城の遺構を中心に紹介をしたいと思います。

 

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