「小谷城」(滋賀県長浜市小谷郡)の(中編)をお届けします。
「本丸(鐘丸)」から「六坊」に辿り着いた所で、天気が時雨れだしてきたので、「大嶽城」へ行かずに「清水谷」コースで下山しようと判断しました。
前編 https://hama-sush-jp.pro/highhillhide/entry-12577308984.html
中編 https://hama-sush-jp.pro/highhillhide/entry-12577440171.html
「小谷城跡案内図」を見て、下りの坂道で楽だろうと思っていたのですが、意外にも急な段々と坂道続きで、杖なしでは非常に危険な道でした。というのも、そこは「清水谷」という名の通り、山から湧き出る水が川になって流れていく谷底を歩く道だからでした。
「小谷城跡清水谷絵図」
「小谷城跡案内図」
しかしこの滝あり、川ありの少しばかりの空き地には、「浅井家」家臣達の屋敷が設けられていて、その跡地が標識で明示されていました。
上から、「大野木土佐守屋敷」跡、「三田村屋敷」跡が急な地形地に造られていましたが、周囲は大きな岩がゴロゴロしている場所です。
「大野木土佐守屋敷」跡
「三田村屋敷」跡
周辺には大きな岩がゴロゴロ
やはりこの辺りでも、水を確保する「水の手」がありますし、崖上の主郭から清水谷に向かっては、防衛上の幾筋かの「竪堀」が掘られた跡が残ります。
「水の手」跡
清水谷底を流れる川
巨岩の「丸子岩」
「竪堀」跡(主郭から下っている)
更にどんどん下りていくのですが、なかなか最後が見通せず約30分位も下っていきましたので足腰へのダメージは相当なものとなりました。
やっと平地近くなった所が「御屋敷」跡で、平和時には「亮政」「久政」や「長政」「お市の方」とその娘たちが生活をした館があった場所です。かなりの広い敷地となっていて当時は優雅な生活が送られていたのだなーと偲ばれましたが、南側には防御の為に「土塁」が横たわっていました。
「御屋敷」跡
「御屋敷」跡
「御屋敷」跡南側の土塁
そこから南側にかけて平地が続き、「浅井家」の菩提寺であった「徳昌寺」跡、浅井一族の「浅井山城守屋敷」跡、重臣の「遠藤屋敷」跡や「遠藤丹波屋敷」跡等が並び、「小谷城戦国歴史資料館」に戻ってきました。この下山道は、沢と川沿いをひたすら階段や斜道を降りるコースで、誰にも会うことなく少し恐怖を覚えながら半時間下り続けましたので、ここに辿り着いた時には、足腰がガクガクとともに安堵しました。
「浅井家」の菩提寺であった「徳昌寺」跡
浅井一族の「浅井山城守屋敷」跡
重臣の「遠藤屋敷」跡
重臣の「遠藤丹波屋敷」跡等
空が時雨れる中、「出丸」跡付近まで、レンタサイクルで足を延ばし、「出丸」跡に立つ「小谷城跡」の看板の写真を撮って、JR「河毛駅」へ向かいます。
「出丸」跡
この城山麓沿いには、「小谷城」下の集落があったエリアであったらしく「西本町」跡碑や「東本町」跡碑、「小谷市場」跡碑が田んぼの中に立っていますが、戦国時代から「小谷城」下を通行する道沿いに発達した街であり、また江戸時代には、北陸諸藩の参勤交代の道として利用される「北国脇往環(わきおうかん)」として、「北国街道」の枝わかれした街道だったようで、現在でも「郡山宿」や「高札所」跡などが見られました。
「小谷城」下の「西本町」跡
「小谷城」下の「東本町」跡
「小谷城」下の「小谷市場」跡
「小谷城」下の「高札場」跡
「小谷城」下の郡上宿内にある「金屋」跡
時雨れが強まってきたので、ペダルの回転を強めて「河毛駅」に急ぎました。「大嶽(おおづく)城」等に登城ができなかったものの、非常にダイナミックで迫力ある山城に感動して帰りの列車に乗ることができました。
次回は、横目で見ただけの「長浜城」ですが、以前に訪問した情報も含めて紹介したいと思います。
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