寺子屋の教え | ひふみ塾 世回りブログ

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寺子屋の教え

寺子屋は、江戸時代に普及した一般庶民の子どもを対象に「読み・書き・そろばん」などを教える民間の教育施設のことです。

ちなみに寺子屋に通う子どものことを寺子と言いました。

江戸時代(1850年頃)の就学率は、農村を含めた江戸府内では70~80%、町中ではほぼ100%と言われています。

イギリスの工業都市で20~25%(1837年)、フランスが1.4%(1793年)、モスクワは20%(1920年)

時代が多少前後しますが、世界的に見ても江戸は教育熱心でした。

6~8歳頃に入学する場合が多かったようですが、入学年齢は寺子屋によってまちまちで、家庭の事情によっても異なりました。

江戸では教育という言葉は使わず、養い育む「養育」あるいは鍛え育む「鍛育」と言いました。

師匠が子ども一人一人に応じて学習内容を決めるという個別学習カリキュラムでした。

「読み・書き・そろばん」に加えて、寺子屋では「見る、聞く、話す、考える」に力を入れていました。

人間教育を重視し、90%が行、10%が書物知識からの学びだったそうです。

儒教の影響が強く「四書五経」を暗唱していたそうです。

子どもの頃に生き方を教える学問を諳んじて心に刻みつけておけば、子どもたちが成長する中で、それらの言葉の真意を理解し、生きる手がかりとしていくと言うのです。

その場で意味を教え込むのではなく、理解するのは子どもの成長に任せるという姿勢は、長い目で成長を見守り、子どもの主体性を尊重する大人の深い愛情を感じます。

子どもは意味の分からない言葉を覚えるのが得意ですから、そういった点もふまえて暗唱させたのでしょう。

日本人の知恵は見事としか言いようがありません。

寺子屋では、必ずしも先生の方に机を向けていないというところに自由さを感じます。
(音読や発音練習の時は一斉に学んでいたようです)

個人によって指導内容が異なれば、子どもがそれぞれの発想を大切にします。

今の学校は教壇に向かって生徒が一斉に先生の方を向いている体勢です。

これって、やり方によっては集団をコントロールできてしまう諸刃の剣とも見てとれるのです。

教壇に立つ先生の教えが素晴らしければ、生徒は教養を身につけることができます。
しかし、間違った指導をすれば一斉に洗脳してしまいます。

テレビに釘付けになっている視聴者やゲームに夢中になる若者を連想させます。(大衆を一方向に向かせてコントロールしている)

寺子屋教育は、明治初頭の教育改革によって国家が編纂した教科書を使った一斉教育へ移行していきました。

近代化の名目のもと、人格形成を重視する寺子屋教育は否定され、教え込み型の一斉教育と試験制度を先進的な教育として導入し、現在の学校の形式の元となったのです。

一斉教育は西洋社会から入ってきたもので、その根底には子どもを教え込むべき対象として見る調教型の教育観があります。寺子屋教育とは対極にある考え方です。

国が決めた教材で子どもに一方的に教える形態は画一的であり、個人の適性を伸ばす芽を摘んでいるとしか思えません。

また学習内容が道徳性を養うことと結びついておらず、生きる教えを学ぶ時間を奪われています。

現在の日本の公的教育機関では、生きていくために必要なことをほとんど教えてくれません。

勉強は学校にお任せできないのです。

学校以外の家庭などで何を知り学ぶかが今の子どもにとって非常に重要です。



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