江戸時代の外食 | ひふみ塾 世回りブログ

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◆江戸の外食



 江戸の町は男性の比率が高く、独身男性相手に商売をする外食産業が起こった。しかし、江戸で気軽に外食できるのは意外と遅く、当時は予約なしで外食できる店は少なかった。
 職人のように経済的に余裕がある独身暮らしの男性は家で作るのが面倒なので屋台などの外食ですませた。
 箸は文政年間(1818から1829)に引割箸(割り箸)が登場するまでは竹の箸を洗って使用していた。



○江戸の外食の元祖

 明暦の大火(明暦三年1657年)以降に開店した浅草寺門前の「奈良茶飯屋」が江戸での外食の元祖と云われ、緑茶で炊いた飯と一汁二菜の食事を出した。




○茶屋

 茶屋が外食産業の元祖であった。都会の盛り場や観光地にある腰掛茶屋と街道筋にある立場茶屋が江戸時代以前からあり、道に敷物を敷いただけの簡単な作りであった。茶以外は団子、餅など菓子類しか出さず往来がある日中のみの営業だった。それでも商売が成り立つのは江戸中期に喫茶の習慣が定着したからである。
 建物を持った常設の店になったのは享保九年(1724年)。焼失した劇場が防火建築の蔵作りに再建されると劇場前の茶屋も同様に防火建築にした。建物がある茶屋は水茶屋と呼ばれ、その後江戸の名所や盛場で水茶屋が生まれた。
寛政年間(1789から1801年)には江戸府内に二万八千軒ほどあった。
 競争が激しくなると「茶汲み女」という看板娘を置くようになり、時代が連れると売春の温床になる。ついに茶屋とは名ばかりの店も出る始末に、幕府は何度も茶汲み女についての令を出した。



○料理茶屋

 二階建ての立派な建物の水茶屋は寄合、饗応から句会や碁会など趣味の集まりに使われるようになった。客の要望に応える形で酒や食事を出すようになり、料理が主体の料理茶屋に発展していった。料理茶屋といっても現代の軽食喫茶から料理屋、料亭まで幅広くあったようだ。
 副業のような形で料理を出す水茶屋に対し、料理が専業の料亭が明和年間(1764年から1761年)に登場した。一方で屋台や道端の店が増え、本格的な料理屋も登場した。
 嘉永六年(1853年)の『守貞漫稿』には天保から嘉永年間(1830年から1853年)に料理茶屋で会席風の食事が銀十匁(銭一貫文)から五、六匁(五、六百文)とある。庶民の中では給金がいい部類に入る大工の手間賃一日分以上に相当するためけっして安い額ではない。




○蕎麦と蕎麦屋

 江戸時代より前は蕎麦掻や蕎麦煉りといって蕎麦粉を熱湯で練って餅状に汁をつけて食べていた。
慶長年間(1596から1614年)に細長い蕎麦「生蕎麦」が登場し、元禄年間(1688から1703年)に小麦粉つなぎに使い「蕎麦切り」という現代の蕎麦と同じものに発展、安永年間(1772から1781年)に定着した。
 現代では蕎麦屋へ菓子を買いに行くことは珍しいだろうが、元禄までは菓子屋が副業として蕎麦屋やうどん屋を兼ねていた。作中ではその名残がある店という設定なのだろう。
 寛文四年(1664年)に蕎麦屋の屋台が浅草で始まったといわれ一杯が六文、作中の時代である明和安永年間(1764から1780年)以降は十六文に定着した。十六文という一見、現在の感覚では中途半端な値段設定は明和五年(1768)に発行された四文銭の高い人気によるものと思われる。四文銭は鋳造直後は色が黄金に似ていることから高い人気を得て、物の値段に四の倍数が増えた。
 最初は蒸籠で蒸した「もり」だが上から汁をかけて食べる「かけ」に人気が出た。寒い時期なら「もり」より温かい「かけ」が好まれただろう。



○居酒屋、煮売酒屋

 もともと居酒屋は享保年間(1716年から1735年)に酒屋の店先での立ち飲みが元祖。酒の肴に田楽を売り出した豊島屋が立ち売りを発展させて評判となり、居酒屋や煮売酒屋が続出した。
 文政年間(1818年から1829年)の記録によれば居酒屋で酒二、三合に肴が二、三品食べると百文になるそうだ。鬼熊酒屋は「安くて旨い」と評判なのでさらに安いのだろう。寛政年間(1789から1800)には煮売酒屋が盛んなため、作中の時代にはすでに成立していただろう。煮売り屋は昼間は飯屋を兼業している。
「なん八屋」という酒の肴を特別なもの以外は八文という店もあり繁盛した。
 豊島屋では酒を安値で飲ませることで客を集め、大量に出た空樽を売ることで儲けを出した。空樽は再利用され、一樽約一匁(作中の時代の相場では銀六十五匁が一両のため六十五樽で約一両)で売れる。安値路線の鬼熊酒屋は空樽を売ることで経営を成り立たせているのかもしれない。 時代劇では現代のように食卓の上で椅子に腰をかけて食べている。床机に腰掛けて横に食べ物を置いて手で持って食べるのが江戸時代では普通であった。時代劇では撮影上の都合が優先され現代風に変えたのだろう。





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