ワタリガニと海老まみれになった手や顔をサッパリさせて
次の目的地、
半田市のミツカンミュージアムへ
運河を挟んでこの辺り一帯がミツカンの建物だ
隣にそびえ立つ本社ビルも凄い
遡ること文化元年(1804年)
酒粕酢醸造に成功した初代中野又左衛門(またざえもん)が
造り酒屋からの分家独立に始まり210有余年の歴史
清酒発祥の地、伊丹に住む僕たちにとっては馴染みのある風景
ミュージアムをぐるりと回って外に出て気付いたあの建物
もしかして、、、
と思い、グーグルマップで調べると
あの建物は半田市役所の庁舎。
市役所が庁舎のデザインを寄せて来るって
凄いなミツカン。。。
そして
2件目の社会見学は
新美南吉記念館
誰?それ。。。
そう、
日本人なら誰もが知る「ごんぎつね」の作者
僕も今日まで知りませんでした...(^_^;;)
近所の子供達の笑い声が響く芝生の奥に記念館
その構造の殆どを曲線で構成されてる記念館に広がるごんぎつねの世界
病床に臥す母親のために鰻や魚を取る兵十さん
そんな事情を知るはずもなく兵十さんのビクから魚を逃しちゃうイタズラ好きのごんぎつね
食べたかった鰻を食べられないまま亡くなった兵十さんのお母さん
その事を知り毎晩木の実を兵十へ届けるごんぎつね
それで終わり。
原作のラストを見てみると
(引用始まり)
兵十は、立ち上がって、納屋にかけてある火縄銃を取って、火薬を詰めました。
そして足音を忍ばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンと撃ちました。
ごんはばたりと倒れました。
兵十は駆け寄って来ました。
家の中を見ると、土間に栗が固めて置いてあるのが目につきました。
「おや。」と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目を瞑ったまま、頷きました。
兵十は、火縄銃をばたりと取り落としました。
青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
(引用終わり)(漢字多用)
シュ...
シュール過ぎる。。。
新美南吉は何故に児童書としてこんな作品を作ったのだろう。。
それは4歳に母を亡くし親戚の家を転々と過ごした成長期
頭脳明晰にして教師になるべく受験した岡崎師範学校
余裕で合格する成績だったのに身体検査で不合格
強烈な負けず嫌いの南吉はこの後
自分と同様の理由で不合格となった学友を意地悪くこきおろしたり
合格した親友を挑発したりしたかと思えば
日記でおおいに反省したりと
不安定な時期を過ごしていたという記述もある
そしてこのごんぎつねを書いたのは18歳の時
南吉の大人に対する強烈な不信は現代のその成長背景故だろうか
それだけで終わってしまうと残念だけど
南吉がその後二十歳になって書いた「手袋を買いに」のラストでの
「人間は本当にいいものかしら」と呟く母狐の気持ちに
南吉の「それでも人を信じたい」との思いを垣間見る事ができる。
行年31歳(満29歳)
法名:釈文成(しゃくぶんしょう)
その短い人生で残した数々の童話や小説
新美南吉さん、
凄いですね。。
半田市に行かれた時は
街のあちこちに居てるごんぎつねを探してみるのも面白そうですね♪


















