多岐にわたる因を広く受け止める心 | 伊丹のおくりびと

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伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。

ずいぶん前の話だけど友人から電話で

 

「お店の常連(地元の名士)さんとの何気ない会話で突然キレられて、二度と来ないと言って帰らせてしまった」

 

と相談を頂いた。

 

 

 

 

内容はお酒の席でよくある話ではあるが...

 

 

 

 

 

その時の会話だけで判断するのは如何なものだろう

 

酔っていた事もあるし、また改めて素面の時に

 

「あん時はすいませんでした」と軽く誤ってみると

 

以外と大した事じゃないかもしれない

 

 

 

 

そういえば

 

会話って

 

どんなに伝え上手な人でも思いの8割を伝えられたら良い方で

 

どんなに聞き上手な人でも話しの8割を聞き取れたら良い方で

 

実際に伝えたい事ってスペシャリスト同士でも6割(8x8=64)しか伝わらないというし

 

 

 

 

話しを聞く限り

 

大事な事を伝えてない。。。

 

 

 

 

 

そしてこの相談を聞いた時に思い出したのが

 

お釈迦様が鍛冶屋のアーナンダに「チュンダを責めないように、また誰かがチュンダを責めに来た時も、チュンダ自身が自責の念に駆られた時もこう言って慰めてあげてほしい...」
 

と言う話し

 

 

 

これは

 

お釈迦様の死因の一つになった食中毒


その食中毒を起こす原因になったお料理

 

スーカラ・マッダバを提供した鍛冶屋チュンダ

 

弟子のアーナンダに

 

チュンダを守ってほしいと託す心

 

 

 

 

「チュンダの行いは必ず利益となるから

 

私が天上界に生まれるような業を積んだのだから」

 

 

 

 

 

 

 

そう言いながら

 

死因は食中毒だけじゃなく

 

自分が高齢だという事や

 

その前に雨宿りをしたペールヴァ村を出る時からお腹痛かったし

 

長旅で体力減ってたし

 

免疫力も下がってるし

 

 

 

 

食中毒はそんな様々な「因」の中の一つでしかないと。

 

 

 

 

その原因を作った鍛冶屋のチュンダを責める事はないと。

 

 

 

 

友達との電話で聞いていた出来事の

 

「あんな事やこんな事を言ったから怒らせたんだろうか...」

 

というのも

 

その場の言葉だけに「因」を捉えず

 

そこに至る経緯もあるし

 

相手の気分や背景もある

 

どんな気分で飲みに来たのか

 

そこに来る前にどんなお酒を飲んでいたのか

もちろんイマイチ好きになれない相手とは

 

言葉を超えたところで「イマイチ感」を共有しているだろうし

 

 

 

 

その場の会話や出来事も

 

この先起こる様々な出来事にとってたった一つの「因」でしかないんだろう。。

 

 

 

その「因」をどう捉えれば自分や相手の利益になるのか

 

そこを大切にして欲しいな♪

 

 

 

生きてたら色々あるし

 

これからももっと色んな事があるだろうしね♪