<<本日の御法話から>>
「 雨 」
この雨で昆陽池公園で開催されるitami greenjamが中止になった。
楽しみにしていた人にとっては生憎の雨だけど
楽しみにしていた人にとっては生憎の雨だけど
視点を変えて
乾燥地帯に住む人たちにとっては羨ましい雨
例えば学生時代の体育の授業のプール
・水泳が得意な子供は
晴れてプールに入れる事が嬉しくて
晴れてプールに入れる事が嬉しくて
・水泳が苦手な子供は
プールの授業が中止になる雨が嬉しい。
例えば「良い人」
「あの人は良い人ですよ」って言う時の「良い」は、
何を持って良い人としているんだろうか。
何を持って良い人としているんだろうか。
逆に「悪い人」
「あの人は悪い人だな」と言う時の「悪い」は、
何を持って悪い人としているんだろうか。
何を持って悪い人としているんだろうか。
その「良い」も「悪い」も
言ってる本人にとっての良し悪しで
他人にとっての良し悪しとは別。
そもそも人に良し悪しを言う事自体が好ましい事ではないが
それを人に言うと更に事がややこしくなる。
伝えてる相手にとっては良し悪しが逆転している時も少なからずあるだろう。
それぞれが持っている定規は一致しないのです。
「 備えあれば憂いなし 」
中国の宋の時代におられた王日休というお坊さんが残された
「備えあれば憂いなし」というお話がある
昼には必ず夜がある。どうして夜の備えをしない人があろうか。
暑には必ず寒がある。どうして寒の備えをしない人があろうか。生には必ず死がある。どうして死の備えをしない人があろうか。
何を夜の備えとするのか。灯火・寝具である。
何を寒の備えとするのか。衣料・燃料である。
何を死の備えとするのか。浄土往生である
如何でしょう、
大きな台風が来ても
ミサイルが飛んできても
南海トラフ地震で津波が来ても
その全てが来なくても私たちは必ず死を迎える
その死に備えるのがお念仏なのではないでしょうか
お釈迦様ご入滅の紀元前3〜500年前から2000年以上の時を経て末法の世界を迎えているとされている現代で
確かに身の回りに本気で悟りを開こうと修行をされてる知り合いはいないけど
お釈迦様の教えに人が寄る
何も難しい事ではなし
大切な事だと思う。
来月もまた寄せていただきます♪

