『自然』。。。「しぜん」と「じねん」 | 伊丹のおくりびと

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伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。



暑い日が続きますが

皆さん如何お過ごしですか?

週末から寒波が来るそうですね

お疲れ様です、速水です。




さくらホールのロビーにある本棚から

ふと手にした本「宗教のしくみ事典」を読んでいて

「自然(しぜん)」について思い出したので

改めて調べてみました。




広辞苑にでは

「おのずからそうなっているさま。

天然のままで人為の加わらぬさま」

と書いています。





気になっているのはそんな事じゃないんです。




ウィキペディアでは

日本語では自然という語は平安時代にさかのぼる。平安末期の辞書である『名義抄 』に「自然ヲノヅカラ」とあるのがもっとも古いようである。より古くは、中国のいわゆる老荘思想 では無為自然 という語があるが、老子 な どには無為はあっても自然はない。いずれにせよ、この語は意図せずに、意識的でなく、と言うような意味である。ただし老荘思想では無為自然を重視し、それ に対立するものとして人為的なものを否定する。そこから現在の意味の「自然」を尊いものと見る観点が生まれたと考えられる。彼らは往々にして山間や森林に 隠れ住み、また山や川を愛でた。いわゆる水墨画山水画 などもこの流れにある。

 

人の手の触れない地形や環境を指す言葉としての自然は、開国後に「nature」等の外国語を訳する際にできた言葉だと思われ、そのような使われ方は明治中期以降のことである[16] 。日本語としては天然(てんねん)がほぼ同義であるが、使われ方はやや異なる。現在では単に天然と言えば天然ボケ を指すこともある。なお、自然(じねん)と読んだ場合、むしろあり得ないものが勝手に生まれるのを指す。


とある。


ここです。





広辞苑に書かれている意味で使われる様になったのは


明治の開国時、


英語の「nature」を訳す日本語が無く


「自然」を今の意味で使う様になった。





それまでの日本には

人為と区別する為の「自然」は

無かったそうな。

人と、その営みと、それを取り巻く環境を

分けて考えるのではなく

一体として考えていたんでしょうね。




ちなみに、

wikiの前半に書かれているように

「自然」を「じねん」と読むと意味が変わり

仏教的な解釈になるんですが

広辞苑にも

「おのずからそうおあること

本来そうであること

ひとりでに」

と有ります。

「無因論」ですね。




僕自身の身近に有るのは

「正信偈」の中の

「自然即時入必定」の一節です。

「おのずと仏の身となると定まる」と言う意味ですが

前後の文脈が無いと何の事か解りませんね(^^;)


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