好き→嫌い | あゆみの歩み

あゆみの歩み

自分研究中ᝰ✍︎꙳⋆

「好き」の反対は「嫌い」

辞書的にはこうなってるそうですが、他の考えでは

「好き」の反対は「無関心」というのも聞きます。


好きも嫌いも、相手や対象のことを"特別"に位置付けて意識してるわけだから、同じと言えば同じなのよね。



最近、好き嫌いについて自分の中でピースが揃ったことがありました。


ある人が仲の良かった友人のとある言動に違和感を感じて、そこからこれまでの付き合いを振り返ってみると、「仲の良い友達だから」というフィルターをかけてスルーしたり、違和感は感じたけど気付かなかったフリをしたりしてきてたことが溢れ出てきたんだそう。


そうすると、もうその友人に対して不信感がMAXになってしまって「このままではこの人のことを嫌いになりそう」って思ったんだそう。


悪気がないのもわかってる

悪い人でないこともわかってる

良かれと思ってやってくれてるのもわかってる


だけど、もう今までのようにその人のことを見ることはできなくなってしまった。



これについてぼーっと考えていたところ、ふと思ったんです。


あ、好きだった相手のことを嫌いになることへの許可が出てないんだなって。


過去のその人と過ごして楽しかった思い出や、その人に助けられたことへの感謝、その人のいいなーって思うところ…そういったものが全部ウソだったかのようになってしまいそうで、抵抗してるのかもしれないなって。



わたしも似たような感じで、身近な人に対して幻滅したりドン引きするようなことが次々に起こって、「頼むから、これ以上嫌いにさせないで!」って思ったことがあったの。


なんでそんな風に思ったのかがずっとわからなかったんだけど、その人とのこれまでの"よかった"って思ってる出来事やその人の良いところ、好きだなって思ってた部分まで、全てが崩れ落ちてしまう気がして心底嫌いになってしまわないようにブレーキをかけていたのかなって思ったのです。



どうして心底嫌いになっちゃ嫌なのかって考えると、わたしは好きー♡って思えば直球で愛を注ぐけど、熱しやすく冷めやすいいところもあって、「もういいや(・∀・)」って飽きてしまったり「こんな人だったなんて…ムリ!」ってなるともう全てが無理になってバツッと関係を断ち切ったりしがちなんですね。


でも、切ろうにもすぐには切れないような相手もいるじゃないですか。そうなると、「もう限界!もう1mmたりとも許容できない!ムリ!」ってなっちゃうと、日常生活に支障をきたす…それではマズイぞ…と思うから、0にはできなかったのかなーって。



だけど、第三者の立場で他人事として聞いてると、「嫌いになったってええやん(・∀・)嫌いだって認めたらええやん(・∀・)」って思ったの。


嫌いだって認めたら、その人の全てが嫌いになって、切りたかったわけでもない関係まで切ることになりかねない…って思ってたのは、思い込みなんじゃない?って。



あなたのこういうところは素敵だなって思うし、好きです。

でも、こういうところはわたしとは合わないです。そういった部分は嫌いです。

だからと言って、全てが嫌いで拒否反応が出るわけではないです。


このくらいの距離感で接する分には、「楽しいな」「面白い人だな」って思えるので、そこだけにします。


それ以外のところは、嫌だな・好きじゃないな・嫌いだな・自分は許容できないな…って思うので、そういうお付き合いはひとまず辞めてみますね。


しばらくそれでやってみて、またいつか「あの人とこれをしたいな」って思うことがあれば、また声をかけることもあるかもしれないし、自然とご一緒することも出てくるかもしれない。


でも、今の自分としては、距離感を見誤ってたことに気付いたし、あなたとの接し方もまだ模索中な感じなので、一旦これまでの付き合い方は中止しますね。


こんな感じなのかな〜って思ったんです。



要するに、距離感とか許容できる範囲を見誤ってたり、「仲の良い友人だから」というフィルターで見えにくくしたり、何でもかんでも「しょうがないなぁ〜今回だけだよ♬」ってな感じで許しすぎてたのかと思う。


だとすると、なんでもウェルカムで許容できる懐の深さ・大きな器があることが価値が高いと思ってたのかもしれないね。


懐が浅かろうが深かろうが、器がデカかろうが小さかろうが、そんなのどっちでもいいことだし、一律で誰に対してもその懐やその器で対応しなくていいのよね。


この人はがめついから、小さめの器にしておかないと根こそぎ持っていくぞ𓄺要警戒⚠︎って思うなら、浅めの懐・小さめの器で対応したらいい。


それを「みんな同じ」にしないといけないって、平等や公平に縛られていると、相手にとって都合の良いように利用されてしまって、自分や自分の周りが不快な気持ちになったり、トラブルに巻き込まれたりとばっちりを受けたり…ってことになりかねないのかもしれない。



そして、好きでも嫌いでもどっちでもない(・∀・)ってなると、今までならイラッとしてたようなことを言われたりされたりしても「あぁ、この人らしいな。この人ってそういう人だもんね。そりゃーこうするよね(・∀・)」としか思わなくなるんだよね。


言ってしまえば、それが"無関心"って状態なのかもしれない。



だけどさ、ここまで感情が揺さぶられたってことは、こういったことに気付くのにベストな人物だったってことだと思うのね。


それで、違和感を感じて"どうして引っかかったんだろう…何が気になったんだろう…"って考えていくことで、自分が何に拘っていたのか、何にとらわれていたのか、思い込みや偏った価値観はなかったかーっていうのが見えてくるわけです。


そうして、自分の中でピースが集まってバチッとハマれば、そこはクリアになるわけで、その人からは卒業となったりするわけです。


そうなると、自分の気付きや学びのために、言わば悪役を買って出てくれた形なので、ありがとうね🙏✨って感謝も湧いてきたりしてね。


そしたら、自然と会わなくなるよ。

「会おうよ」って言っててもスケジュールが合わなくなるんだよ、なぜだか。


つまり、必要な時に必要なものや人、出来事が現れるわけで、自分で用意しようとしなくても自然の流れに沿っていると全てベストなことが起こってるんだよね。


そこで気付けたら卒業だし、まだピースが集まり切ってないならそれまではまた同じようなことがあるかもしれない。


でも、ピースを集めようとしたって、ベストなタイミングでないと現れないんだから、そこはどうにかしようとするんじゃなくて、一旦忘れてベストなタイミングを待ってたらいいのよ。


そしたらそのうち来るから☺︎



慌てな〜い慌てない 一休み一休み𖠚ᐝ