9月12日、天皇一家は特別機で長崎入り

結構遅く出発したんですかね。

 また水色。愛子内親王は水色しか持ってないの?

安定の3人公務。「ここに天皇候補がいる事をお忘れなく」的なマウント取り。

しかし、当のご本人はぼや~~~~っとしている印象。

供花。何だか沖縄の時と同じような服装。

制服っぽいのお好きなのね。

原爆資料館に。

愛子内親王のセリフは私達の斜め上というか、想像もしない事を突然おっしゃるんですね。

11時20分で止まった柱時計や、被爆者の写真などを見て、

被曝しても教会で御祈りは続けたんですか?」

盆地なので被害が平地に集中した事を受け

「「大浦天主堂がそういうことだと…」

「交通手段などが寸断されてしまった中で、救援物資とかは…」

さらに、当時の長崎は被爆者に対する差別が激しく、原爆手帳を申請しない人も多くいたと聞きます。

それに命が助かってもいつ発病するかわからない恐怖があったと。

心に傷が残るんですね

 

なんていうか・・・わからないわ。

事前に何も勉強してなかったんじゃないの?永井博士の事も。長崎のクリスチャンの事も。

単純に「被ばくして体が痛いのにお祈りしたの?」という風に聞こえて。そりゃさ、治療中はお祈りできなかったと思うよ。

「交通手段」の事も、原爆で街がやられるってどういう事か全然わかってなくて、ただ災害にあった程度の認識なのね。

確か愛子内親王は広島へ行った事がある。その時立派な論文をお書きになっていたじゃないですか?

それが何でこういうセリフになって出てくるのかしら?不思議。

沖縄行った時は「心に傷が残る」とは思わなかったんでしょうか。

天皇陛下に至っては差別があったんですね

って・・・65にもなってまるっきり勉強していないじゃないの。

事前勉強としては、永井隆著「この子を残して」を読むべきだし、加藤剛が主演した「この子を残して」という映画も見るべき。

せめてそれくらいはしようよ。

ついでにいうならNHKアーカイブからその「差別」のドキュメンタリーがあったはずなので借りてみるとか。

何だか被ばく者に対して失礼過ぎませんか?

思うに、愛子内親王の頭の中では「戦争」「原爆」「広島」「長崎」「沖縄」が線で繋がってないんですよね。

全部別々。その時だけ「ふ~~ん。車なかったの?普通、救援物資届かない?」と新潟公務を思い出していたに違いない。

いやはや。

 

皇族にとって太平洋戦争の記憶は繰り返し勉強しながら頭に叩き込む事が必要で、そういう帝王学を受けたはずの天皇が

「大変でしたね」で終わるっていうのは、どうなの?

父子相伝できない帝王学とかいうけど、悠仁親王は自ら京都の舞鶴へ行ったり常に国見をして帝王学を受けていますよ。

こんなにもの知らずな内親王が天皇になったら日本が滅びる。

滅ぼしたいからあえてみんなで担ぎ上げるんだろうけどね。

結局は神輿に乗りたがる愚かな一家です。