人生に起こることに無駄はない。
それらは真実だなって思うんだよね。
この見地に立てると、人生を幸せに生きていくことができたり、ぐるぐるを抜け出すきっかけにもなる。
だから、こういう視点も持てるといいなって思うんだよね。
でもさ、現実を生きているわたしたちはどうかな?というと・・・
日々いろんな体験をしていて、その度にいろんな感情もわきあがっているし、苦悩したり喜んだり驚いたり悔しがったりもしている。
常に俯瞰していられることってなかなか難しいかもしれないね?
でもねー、それでいいんじゃないかなって思うの。
楽に悩まずに幸せに生きたい。
人は誰もがそう思うかもしれない。
でもそんなこと、魂レベルは望んでいないんだよね。
どんな感情も味わって、体験する。
そこから、今まで気づけなかった宝物をみつけていく。
それは魂の観点でいけば、大きな喜びでしかないんだよね^^
誰とどういう体験をしようかな、というのは、人それぞれうっすら決めて生まれてきているんだけど、その違いに正しいも間違いも、なくってね。
確かに一時、その体験は、「悪いもの」「避けたいもの」として現れるかもしれない。
でも、その体験や感情などから何を感じとるか?得るか?で、その後の人生はいかようにも変わっていく。
同じように、自分や他人への評価や感情もジャッジも、ある出来事を境に、急に「いい人」が「イヤな人」になったり、「すごい人」が「くだらない人」になったり急に変わることもあるよね?
こうして人は日々「自分のみたいように、信じるように、世界を選択し、作っている」んだなって思うんだ。
それは、どれがいい悪いでもない。
だからね、自分が「いいな」「こうだな」って感じた世界を選択すればいいと思う。
いいなと思うコトも、自分の変化に伴って刻々と変わっていくかもしれないし、「やっぱり違った」と思ったりいつの間にか元に戻ったりするかもしれない。
それも自由でいいんだと思うのよー^^
今朝、ワタナベ薫さんの記事を読んで
「ねたみという、一見避けたいような感情も、避けなくていいんだな。」って感じた。
今までわたしは、ねたみという感情にどこか嫌悪感があって「そんな風に思われるのを避けたい」「そんな風に人を思うなんていけない」という気持ちがあったかもしれない。
でもね、それもあっていいんだね、ってストンって心の底に落ちた。
考えてみれば、今までわたしを動かしてきた原動力になった感情には、ネガティブと言われるものもあってね。
悔しい、悲しい、怒り・・・
沸き上がってきたそれらは、わたしが動いたり考える気力にもなったし、エネルギーを注ぐ原動力になったなって思うの。
そして、そこに費やしてきた膨大なエネルギーが今、エネルギーの出るベクトルを変えて、今のお仕事に活かされているわけで

誰もがどう生きることもゆるされている。
わたしの魂はチャレンジャーだから、たくさん体験したいし味わいたいと思っている。
だからこれからも、いろんなことで悩むだろうけれど、それを避けていくことはしないかな、って思う。
だって、体験して気づくことこそが、わたしの人生においての喜びでありギフトだから。
そして、それこそがわたしの生き様であり、使命の1つだと思っているから^^
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