さて、先日、私は熱を出して寝こみました。その際にそばにいるのは私の夫のみ、です。夫は成人してから自分の発達障害に気づいた、成人の発達障害の特徴(子供のころから療育を受けていない・成人してから自分を知る活動を始めた)を持った人です。

 

夫は、今回の私への対処で多少、落ち込んだようです。彼いわく、「自分はまだまだだ・・・。」だそうです。それほど落ち込むようなことはなかったはずですが、彼自身が課題としている「結婚するまでの間に染み付いたマイペース加減」が、「他人を意識してその人と共に住んでいるというメリットが発揮できるような言動ができないことがある」らしいです。彼が厭うているのは「自分一人の世界(自閉)に戻ってしまう」感覚だそうです。

 

私としては、こんな風に悩んで反省する、素直な性質がとても好ましく、長く夫婦としても、友人としても家族としても関係を築いて行ける最大の彼のチャームポイントだと思うのですが、本人にその自覚はありません。彼が理解しやすいのは「自分が取った行動と、その結果」からなので、どうしても概念があいまいな「素直」や「誠実」といった性質は他人に対しては評価できても、自分のものとして理解はできないようです。真面目なのです。

 

彼が落ち込んだポイントはいくつかあったそうです。書いてみます。

 

私は寒気が続いた日、夜ご飯を「準備お願いしていい?鍋でいいので。」と夫に任せました。彼は鍋料理なら切って入れるだけなので負担感もなく、やすやすとやってくれます。それを食べて薬を飲み、就寝しました。

 

夜中、1時過ぎに猛烈な寒気と共に、徐々に熱が上がり、体温計で測ったところ39℃を突破していました。これは頭を冷やさないといけないなあ、と定番の水枕に氷嚢を用意して、そのまま寝ました。熱がさがることがなく朝になったので、部屋が乾燥していたこともありのどが渇きました。お茶を飲み、また就寝して朝ごはんは「熱があるから作れない」と伝え、そのまま寝ました。

 

夫は私の眠りを妨げないように自分で朝食を適当に食べ、私が話しかけたタイミングで病院に行かなくていいか、家にいなくていいか聞いてきました。「熱が高すぎるので歩くとふらつくから、熱が38℃くらいに下がれば夜診にでもいく」と伝えると、そうか、と納得して出かけて行きました。

 

熱が40℃近くまであがりきってのどが渇き、お茶を飲もうとしたところ、全部飲み干して残ってませんでした。飲み干す、その時にお茶を作り足す、という習慣が以前に書いた過去記事にもありましたが、私達は小さいころからしつこくしつけられており、ない、という状況に大人になってから遭遇することは少ないです。夫も、普段であればちゃんと意識して作り足してくれます。ですが今回はおそらく、私が寝込んで何もできない状態という「変化」が急にきて、自分で朝食の用意もしないといけないし、嫁を気遣わないといけないという「頭が考えないといけないことで忙しい、体も普段よりやることがあって忙しい」ので、スコーンとお茶のことは抜け落ちたようでした。

 

夫は親族にしつけられたわけではないので、「こういうこともあるだろう」というのが私の感想で、家に緊急用に置いてあるペットボトルの水を持ち出してきて定期的に飲んでいました。夫は帰宅して、それをみて「がーん」とかなり落ち込んだそうです。

 

熱が出てのどが渇くのは当然なのに、配慮できなかった。

自分が全部飲んだのに、その時に残すということがさっぱりうかばなかった。作られることに慣れすぎたのか、嫁がいるのにその時は全く存在を考えてなかったのか、どちらにしても自分はひどすぎる。

 

のだそうです。それほど落ち込むことかな、障害特性があってもなくても、おそらくそういう「うっかり」はよくあることだし、だから寝込んだ側が「リクエストシート」を用意して「晩御飯は自分の分は食べてくるか弁当を購入してください。私の分はレトルトのおかゆとゼリーを購入してきてください」「2日目になると洗濯ができていない分の汚れ物がたまるので、自分の分だけでも洗濯してください。」等々を書いて見せるわけなので(嫁が風邪で寝込んだ時のマニュアルが作ってあります)、こうしたことをお願いされてできる、というだけで十分だと思うのです。

 

実際、レトルトのおかゆとゼリーの他に、りんごやキウイなどの果物や私の好きなヤクルトなどを購入して帰宅してくれました。製氷機がおいついていないので、氷も購入してきてくれました。これは十分な配慮だと思います。

 

夫はしばらくかわいそうなぐらいに落ち込んでいましたが、私が食欲はあるのでおいしいよ!と果物も食べつくし、ヤクルトもありがとう!と成大にお礼を言っておいたところ、少し浮上しました。素直な性質なのも、気に病みすぎる分、過去に二次障害で何度もうつ病になった理由がわかろうというものです。こんなに真面目だと、成人するまでに傷だらけになっただろうなと、こういう時はひしひしと感じます。あと、まだまだ完璧主義な自分の性質が落ち込みを加速させたのかもしれません。「それぐらいで」と私が思うのとは違う比重で「がーん」と明らかに落ち込んでいる様は、「それぐらい」と言えないものがありました。彼の価値観では自分にがっかりする究極のポイントだったのでしょう。

 

彼を浮上させるポイントは、「お願いをして、動いてもらう。」ことです。動いているうちに、あたまの多動(悩み落ち込むこと)から抜け出て、「自分はこれだけやった・やれた」という実績を感じると、どうやら充実感を感じて精神的におちつくようなのです。あまりハードルが高くないようには嫁として配慮はしているつもりで、でもやってほしい用事を具体的にお願いすると「頑張れる」夫は、頼られて気分が上向きになりますので、そのあとバスタオルなどの洗濯物や掃除機をかけるのをお願いして、次の日はめったに食べないけどフルーツがたくさん入ったヨーグルトが食べたくなったので買ってきてほしい、というとまたいろいろと買ってきてくれました。

 

私としては、たとえ「自分の家」という物質的な自分の居場所があったとしても、それは人生を彩りません。生きて行く上でこうして「一緒にいる」相棒がいる、ということだけで人生の行幸です。特性があるから他人との生活が困るというなら、特性を良く知ってお互いに補う工夫をすればそれなりに暮らしていけると経験上感じますし、一人ぼっちで熱が上がって「どうしよう」と心細くなるよりは、夫が帰宅して「病院はどうする?」「食べられる?」と業務確認のように、定番のセリフを言ってくれるだけでも、頑張ってるな、と微笑ましくなるのと同時に、ああ、二人だな、と安心できます。

 

「熱がひどかった夜にいてくれるだけで安心できたよ。」と言うと、かなり能面で表情のない夫の顔が少し嬉しそうでした。人に必要とされる、役に立つということは夫にとって重要な自己肯定感のための要素です。子供時代にはその自覚もなく経験も少なかったことから、能面ははりついて喜びの感情が薄いまま成長してしまいましたが、今では「自分は安定していると思う」とうつ病とはかけ離れた二次障害に関係のない数十年を過ごせています。

 

少し脱線して夫自身の話になりましたが、こんな発達特性をもつ夫婦の「片割れが病気になった時のひとコマ」を書いてみました。

 

 


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