発達障害の子、自閉の子は全般的に一部の子を除いてコミュニケーション能力が低いことが多いです。

 

周囲の子供達よりも様々な技能、能力の発達年齢(実際の年齢ではない能力別の成長度合い)が遅れていることが、そもそも同年齢の子達と対等に関わりあえない原因となっています。

 

さらに他者に興味を持つ部分が偏っていたり、全く他人の個性に興味がなかったり、と「他人の全般的な人間像」を把握しようとする関心や能力が低いことも、コミュニケーションがそもそも成り立たなくさせる要素でもあります。他者の情報を何も自分から得ないまま、ネタのないまま話をしても相手にはつまらない相手だと判断され、疎遠なままでいることも多いからです。

 

そんなこんなで、集団社会では孤立することも多く、また子供達から意図的に仲間はずれにされることもあります。そうした時、さて大人はどうこの「仲間はずれ」に対応したらいいでしょうか。先生は、どのように対処するでそうか。

 

基本、小学校の低学年ぐらいでは「みんな仲良く」を先生は提唱するでしょう。そして年齢があがるにつれ、グループ化してくるので、興味が同じ人、性格が似ている人などで遊ぶことを先生方も認め始めます。それが学年が上がるにつれて自然の成り行きだからです。

 

親はどうでしょうか。

学校から帰宅して、わが子が近所の子と遊びたくてさそったら、みんな外で集まって遊んでいるのに自分はダメだと言われた。休み時間、皆がドッヂボールをするから寄せてもらおうと思ったら、お前は入れないと言われた。遠足に行くグループを決める時に、自分だけあぶれて誰も入れてくれない。先生が頼んで、やっとどこかの班に入れてもらえた。

 

そういう話を親が聞くと、自分のことのように共感する親御さんほど心を痛め、自分であれば耐えられないと気にされることと思います。ですが子供の世界は厳しく、人を選ぶ自由は全員が平等に持っていて、選ぶのも選ばれるのも、また人間の世界では大人も子供も同じであるのですよね。

 

私達は、子供が「仲間はずれにされた」と訴えた時に、いろんな方法で子供に話をします。そして子供の性質に合わせて、提供する話の内容を工夫はしています。

 

例えば、心がそれなりに強く、1人で遊ぶことができる子には、「人は付き合う相手を選ぶ自由があるから、あなたにも、相手にも誰と遊びたいのかを決める自由がある。でも相思相愛じゃないと一緒に遊べないんだよね。片思いも、よくあること。大人でも恋愛でもそうだから。自分が思った相手に思われる、ということも、いつかあるよ。」

 

という、自分が相思相愛になれる相手にいつか出会えるという希望と、自分だけの意志ではどうにもならないのだという当たり前だけれど厳しい現実を言葉にして教えておく、将来に備えての心づもりもさせておく、ということを、少しすすんだステップで教えて行きます。

 

こうした子は、そういう相手と出会うまで、自分を豊かにしよう、他人に優しくできる言動を練習し、楽しめる趣味を持ち、1人でも楽しく過ごせる技術を持とう、と「自分が輝く人になる」ことを応援していきます。一人であるからこそ、熱心に自分を磨ける時期だと励ますわけです。

 

親族の最近の例としては、

合気道を初めて気持ちが強くなったような気になり、発言に明るさが出て、それに比例するように少しずつ友だちができ始めた子もいます。おそらく自分に自信が付いて言動が変わっていったことで、周囲の子達のその子への印象が変わったのかもしれません。

 

他の例では、休み時間に熱心に昆虫の本を図書館から借りて読みふけっていた子に、図書館の先生が「〇組の〇〇君もよく昆虫の本を借りてるよ」と教えてくれて、放課後に「この子だよ」と紹介されたことで、虫の話をするようになり、放課後の図書館での時間が楽しみになった、つまり楽しく話せる相手ができた、というケースも実際にありました。その後その子とはクラス替えの時に同じクラスになり、やっと「普通に話せる」友だちができた、という何年もかけて友達を1人得た、という子もいるのです。

 

友だちは「ほしい」と思って、ドン・キホーテのようにやみくもに勇ましく頑張っても得られるものではなく、「他人が魅かれる要素」を自分が放っている、それを他人がアンテナでひろう、というカラクリが動いて成り立つものだ、ということを、親が子供に伝えていく、それがコツとなり、一度体験すると「ああ、こうして人は仲良くなるのか」と納得し、コミュニケーションというものを少し理解します。

 

それこそヘレンケラーは目が見えないのに、「水」を手でさわって、流れる冷たさを感じて、サリバン先生が「water」と手のひらに何度も書き、繰り返し水触らせて、繰り返しwaterと書き、それを続けてヘレンがやっと「この冷たい流れるものがwaterというものなのだ」と理解した時、はじめて物に名前があるのだ、と知った経験とまさしく同様の体験です。

 

発達障害の子は、この大人から教えてもらう経験、「発見」があればヘレンケラー同様、開眼して伸びることが多いのです。知らないままだと泣き叫び荒れ狂う獣同然だったヘレンケラーと同じである、ということです。世間でいう早期発見、早期療育はすべてがうまくいっているわけではありませんが、それでもしないよりは、自分で学ぶ能力が低い子達に専門家が発見を与える機会でもあると思います。

 

話がそれましたのでもどします。

次に、友達ができないと悩む子で、不安が強かったりあらゆる言動を否定的に取るような子の場合は、最初の集団生活の入り口を「少人数」でやんわりと、できるだけ大人の目が介入する環境に置くようにします。

 

ずたずたに傷つけられてからでは、他人への警戒心や敵意、不信感を育ててしまい、他人への信頼感や人と関わることの楽しさの逆教育となってしまい、それを解消するのが難しくなるからです。

 

少人数であれば、相手がたとえ気の合わない子であっても、その場に大人がいて止めたり、相手のひどい行為などは止めてもらえたりと、そこに一人でも「信頼できる人」がいるだけで、随分とコミュニケーションの学びはやりやすくなります。

 

気の合わない子供とのいざこざがそこで起こったとして、警戒心や敵意、不信感を多少でも持ってしまうことは仕方のないことですが、それは人数的に1人や2人と少人数におさえられますし、「みんなが自分を傷つける」ではなく「〇〇くんが自分を傷つける」と、個人を特定できることで、人全体に対するネガティブな思考になることを避けられます。

 

注意:もちろん、子供一人ではそうした学びはできませんので、大人が「色んな人がいるね」と教えてあげないと他人を選別できません。一人の子といざこざが絶えない場合は、大人の仲介と信頼できる人からの保護(付き添い)などが必要なのはこの視点を育てるためです。

 

1人、2人の人間と合わないという経験、それは社会に出た時の「人を見る目を育てる一つの方法」として割り切れますし、介入する大人、特別指導の先生や保護者など支援者がその場にいることで、守ってもらえる、つまり守る人への信頼感というものも自然と育ちますし、安全地帯として人との関わりを意識できるようにもなっていきます。

 

他人といざこざがある、ということは悪いことばかりではなく、こうして信頼できる人がいる現場で数人とのマイナスの経験は、プラスとマイナスが共にあることでつり合いがとれる、つまり程よい現実を優しいレベルで学んでいける、ということになり、その効果を感じるため支援級でのスタートは私たちは好んでいます。親がお手伝いをしやすい、という環境も子にはハードルを下げてやれるので好都合なのです。

 

ただ、コミュニケーションの基礎ができ、その後、途中から普通級に移ったからと言って友達を作れるかというとそうであはりません。自分を傷つける人を察知できるようになり、自分に害のない人を判別できるようになり、どちらかというと1人で行動することが身を守ることだと感じる子が多いからです。それはそれで、その子の知恵ですし過ごしやすいのですから悪いことではありません。

 

ただ、孤立している子と言うのは意図的な仲間外れにも合いやすいです。特に学年が高学年になると、グループ活動や班活動が盛んになるので、授業時間や行事で困ったことになります。こうした場合にだけ、親は先生に一言、協力をお願いすることがあります。

 

どの子も誰と過ごすかを選択する自由があります。ですが、授業内での班活動や研修旅行などでこれをされると、学習の権利が脅かされます。学業に影響するような仲間はずれは行き過ぎであるので、 「授業内の活動」に限っては、先生に集団学習をスムーズにするため、とか集団行動を適切にするため、とか、よく定型が言う「集団の協調性」をこちらから釘をさすというか、外れたままで放置し一人だけ学習や研修が困難になる状態にはならないように配慮をお願いすることがあります。

 

休み時間や放課後の友達関係に口をはさんでしまうと、たいていの先生や相手の子供の保護者は、子供達の自由を制限するまたは子供達のテリトリーにそこまで介入することに抵抗感を感じます。こちらもそこまで相手の自由の領域を侵害するわけにはいきません。

 

ですが「授業内の活動」に関しては、教育の範囲内ですので、集団教育を受けている以上は仲間はずれで学べなかった、というのは学校指導上はまずいのです。学ぶことが優先されますので、仲間はずれはそれこそ、特定の生徒に対する授業妨害となってしまいます。この場合は先生も理由がはっきりとしていますので指導がしやすく、協力してくださることが多いです。

 

親が介入する時点というのは、私達の場合はこの「授業に関わる場合」がほとんどです。逆を言うと、集団生活の中で、他の生徒さんの授業妨害になるような言動を取る場合は、私達の方から子供を指導する立場になります。妨害しないように授業に付き添うなり、支援級で個別指導を受けるなり対処します。

 

対人関係やコミュニケーションについて、仲間外れについて書いてみましたが、色々とテーマ以外のトピックが入ってしまい読みづらくなりました事お詫びいたします。

 

 

 

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