久しぶりに「家族問題」のテーマです。

 

親族の仲間入りをしたパートナーさんが、子育てするにあたって「苦しいトンネル」をようやく抜けられたとのことで、この記事を書くことができます。

 

発達障害を持つ子供は、いずれ大人になります。そして子育てをしていくことでしょう。ですが多くの場合、発達障害で「あった」という診断のないまま、

 

「親を困らせる子」

 

「扱いにくい子」

 

「何を考えているかわからない子」

 

として家庭でやっかいもののように扱われ、そのトラウマを抱えて成長し、いざ自分が家庭を持って子育てを始めた時に困った事態になることがあります。その一つの実例を、これから書いていこうと思います。

 

私たちの親族の一人と結婚し、田舎で過ごすことになったお嫁さんがいます。親族は発達障害ですが、生まれた時から同じ発達障害の特性を持つ親から療育的な関わりをされながら育ったこともあり、途中で高校を変わるなどありましたが、大学を出てサラリーマンとなり、平凡ながら心落ち着く毎日を過ごしていました。

 

職場で出会い、結婚するにいたって、町の方で生活するつもりでしたが、奥さんの様子を見て「親族の側で過ごした方がいいかもしれない」と思い、田舎にお試しで暮らしながら通勤し、子供ができた時に奥さんが「ここに住みたい」と申し出て、腰を落ち着けたという経緯です。

 

奥さんが町や実家近くに住まず、わざわざ不便な田舎にいたいと思った理由はご実家のご両親の「私や、夫にまで口を出そうとする上からの指示、支配が怖かった」と言っていました。側にいれば、ごめんなさい、親が言うことが正しいです、と言うまで強い口調で自分のダメなところを指摘され、親が正しいと認めて反省すると示すまで、絶対にひきさがらないのだそうです。それを夫である親族の行動にまで言及し、家賃を払って夫婦で生活しても共働きで家にいないのだし、二人とも実家で同居するのが一番ベストだと言い始め、「お前が何とかしろ」と両親から迫られるのが辛いということでした。

 

結婚した子や、娘と婚姻関係にあるとはいえ赤の他人である親族の行動や別世帯の夫婦の資金繰りや決定にまで口を出そうとするのは「自他の境界線を越えすぎている」行為です。おそらく、こうした境界線のない親子関係が、パートナーであるお嫁さんの心身を疲弊させてしまったのでしょう。

 

私たちは発達障害を持つ人間が多いですが、定型の親族も多いです。その全員が「あっけにとられる」話でした。

 

「大人である自分の生活や稼ぎを聞き出し、意見し、コントロールする??」

 

という内容に、窮屈さを覚えますし、「どこまで、いつまで介入したいのかな?」と途方もない親のお世話欲というか監視欲、ひどい言い方をすれば支配欲を感じるわけです。

 

親子の関係は「健康であるかどうか」で、はっきりと自分にとっても親にとっても良いのか悪いのかがはっきりすると、私たちは思っています。親子が煮詰まるなら、誰かを入れて風通しを良くするとか、一時離れてみるのは「親子の関係をより良いものにするためのテクニック」だと割り切っています。

 

それが、子どもには力がない未成年の時期に、親が子供の心を重くするほどの強い欲望を持って子が「こうしたい」と思うことをはなから取り合わず、親の意志の具体化をするツールとして納得していない子供を使うのだとしたら、それは少々いびつな関係性であり、子どもの心身が健康に育たないのは仕方ないと思います。

 

ただ、過去に親族と結婚したパートナーさん達の場合、こうした親子関係のこじれは案外多く、発達障害であったけれど子供時代に診断されず障害があると知らず育児に奮闘してきた親にとっての苦しさもあるのだろうと思います。ほとんどのパートナーさんは、親子関係のいびつさに気が付かず、親族と付き合い、自分の特性に気が付き、成人の発達相談などにカウンセリングへ行って医師につながれ、診断されるというような過程をたどっています。つまり、親子で「発達障害」というものを知らずに、なぜ、どうして、と思いつつ適切な対応や知恵のないまま、いろんな考えや思いがあってたどり着いた結果だったのでしょう。

 

ですが人生は続いていきます。

 

結婚し、妻となり母となり、赤ちゃんを授かった時には気が付かなかったことに直面していきます。子供が生まれてからどんどんと「自分を、我を失う」という経験をすることがあります。それがこの奥さんのケースです。

 

子供の、当たり前の幼さや不器用さが、この奥さんには

 

「できないこと」「子供らしいい不器用さ」とは映らず、

 

「言ってもやろうとしない」

 

「親の言うことをないがしろにしている」

 

「甘えてばかりで、自分でやろうとあまり努力しない」

 

「人の嫌がることをするなと言っているのに、すぐに忘れて同じことをする」

 

と、常にイライラと、子供の至らなさに「できない子」「最悪な悪い子」と思うようになりました。

これがまさに、離乳食の時期から急激にひどくなっていったのです。

 

離乳食の時期、子供は0歳~1歳代です。そのころに、器用に汚さず食べられる赤ちゃんはいません。ぶーっと食べ物を吹き出しますし、お茶もまともに口に入れられずこぼします。よだれもたらしますし、手でテーブルにべちゃっと食べ物をなすりつけたりします。

 

こうした事があるたびに、言い聞かせても「思うようにちゃんとしない」ことが過剰にパートナーさんには「反抗的」に感じました。そのころから、子供の「不器用さや甘え」を、年齢相応のごく自然なものと受け入れられないハードルの高さがあることを察知した親族は、奥さんと時間をかけて話し合い、カウンセリングに通い、保育所に預けるなどして育児時間を減らすことにしていました。その期間中に、育児ができる「心の健康を取り戻す」ことが必要だと感じたからです。

 

奥さんの心の葛藤は相当なものでした。

自分が、子供のころから両親に甘えることを許されず、常にできないことを批判されてきた身であるので、

 

「しつけはきちんとしないといけない」

 

「物心つく頃から、言い聞かせてしっかり親ががんばらないと」

 

「過剰な甘えは許しては子供のためにならない」

 

「社会に出て恥ずかしくない子にするのは親の役目」

 

と、0歳児だろうと3歳児だろうと、親を当てにして「これやって」と頼る子どもを甘えすぎと感じ、まず自分でやらないといつまでもできないでしょう!と叱咤したくなる激情がわきおこり、きちんと説明していたのに「できない、失敗する」子をみると、それが度々だと「親の言うことをないがしろにして聞いていないからだ、やる気がないからだ!」と憤慨してしまう。

 

その場面が増えると子供が委縮するので、怒りが爆発する前に親族が止めに入り、別室でなだめることが増えていきました。そうするうちに

 

「私はおかしいの?

他のお母さんは、なぜあんな風にめちゃくちゃにしてしまう、言うことを聞かない子どもにどうして笑いかけられるの?

叱ってても優しい言い方、私にはまだるっこしく見える。はっきり言わないと子供には伝わらないんじゃないのって不満に思ってしまう。

あんなに甘えさせて、だから児童館や幼稚園や保育園で、いたずらしたり他の子にめいわくかけたりするんじゃないの?甘やかしすぎじゃないの?」

 

と、泣きながら、でも自分の言っていることは正しい、でも何か違う、と混乱して訴えたのです。

 

自分は、幼いころから親に厳しくされた。甘えは許されず、失敗も許されず、間違ったことをしたらとてつもなく叱られた。正しくないとみんなに迷惑をかける、そんな人間になるなとずっと言われてきた。それが普通なんじゃないの?という気持ちがどうしてもついてまわり、自分の子供を少したりとも許せない、と。

 

それは

 

「親に甘えて許される」という、唯一手放しで誰もが甘えさせてくれる乳幼児期を経験できなかったパートナーさんの、心の傷であり、自分が許されなかったことを子供にも許せないという「同じ土俵に上がっての厳しさ」があるのかもしれず、また「厳しくされたからこそ自分はしっかりやれた」という経験が、子供にも「しっかりやれる子になってほしい」という母心と結びつき、赤ちゃん、乳児期という未発達子の上ない年齢の対象であっても関係なく「厳しく」してしまった理由でもあろうと思います。

 

カウンセリングや親族の親子関係を実際に見せる中で、このパートナーさんは

 

「子どもから大人になるまでの成長過程というものがある」

 

「人間は動物と同じく、親を必要とし、頼る時期がある、それは大昔から変わらない生命の強い者と弱い者の関係性である」

 

「子供時代に甘える事は、ただの甘えでなく『できないことをゆっくりと親から受け継ぐ』儀式のようなものであり、繰り返し儀式をしていないのに『すぐにできるようになれ!』は、成立しにくい」

 

「子供の甘えを受け止めるのは、多くの親にとって大変なこと。生活の中で忙しく動き回る中で、疲れている中で、子どもを手助けするのも教えるのも『親の自分のためじゃない』、その体力と精神力ぎりぎりの中で、なんとかふんばって親を務めているだけであり、余裕なんてないことが多い。

 

でも、子供の時に甘えられなかった経験があると、子供が手助けを求め、甘えてくると、親の側の「ふんばり」がきかずにプツンと何かが決壊してしまう。それが子どもを許せない気持ちに一気に乗って、子に頑張りが足らないという風に置き換わり、『親の自分のために』守りに入ってしまう。

 

つまり、自分より子を先にするには、心の中で自分が親との関係に満たされていた経験が支えになって作用するのであり、幼かった自分が満たされていないのに、いくら大きくなったからと言って心は満たされていない子供のままなので、その『満たされていない自分を後にして子を先に甘えさせ受け止める』ということができない、自分を必死で守っているぎりぎりの状態」

 

というような内容を学んでいきました。

 

満たされていない自分が、子どもを前にするとあふれてしまう・・・

 

親族が、乳幼児期に子供をかわいがる度に、甘えさせすぎと反発心が生まれたのは、自分がそうして満たされることがなかったから。

 

ただそれだけだったのだ、と発見し、これからは子供と自分と二人とも、満たされればいいのだと励まされ、パートナーの奥さんは、親族の両親である義理の父、母が「子供は男の子ばかりだったから、娘もとてもかわいい」と言ってもらい、お父さん、お母さんとご飯の用意や孫の面倒を見てもらうなど「今」やっと甘えられるようになり、時々涙ぐんでいるぐらい「嬉しい」ということで、念願の「平和で優しい家庭」で過ごすことができています。

 

田舎で何もない場所ですが、人員だけはたくさんいますし、持ち前の生きにくさをあれこれと試して工夫して研究して、それなりにやっていく方法も持っていますので、これからをより楽に、気持ちよく生きていける方法をさがす手助けをすることもできると思います。

 

ピアノを習っていたからと、指を守るために土をいじることを禁じられ、大好きな花屋さんにアルバイトが決まった時も親から怒鳴られて辞めさせられた、という経験を持つこのパートナーさんは、今はいそいそと親族の畑に出かけて、忙しい季節が来ると大事な仕事の戦力になっています。家の前は花だらけです。

 

子育てをする際に思わぬ「自分の中の謎」に直面して迷走することもありますが、やり直しはいくらでもきくのが人間だと思います。「自分が居心地のいい場所」を探して、自分の人生を楽しいものにしていく自由が誰にでもあるので、笑顔でいられる人生を選んでいってほしいと、これから巣立っていく親族達にも日本のどこかの同じ傾向のある子達にも、願っています。

 

 

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