ゴールデンウィークの帰省で親族の、子育て中の親子を見る機会があると、自分が育児に過ごした時間をVTRを見るかのように思い出します。久しぶりに、子供のことについて書こうと思います。

 

私にとっては子供との時間は、1日1日が貴重でした。

赤ちゃんはいずれ育ち、自立し、成人するまでが共に過ごせる子供との時間であり、もしも私立の寮に入ったり留学したりということがあった場合には、前倒しで12歳や15歳で子どもとの、いわばお別れが来ると分かっていました。なぜなら私たちがそうして育って大人になっていったのです。

 

子供は自立し、家を出て、自分の幸せを追求して社会で生きていきます。私や夫にできるのは、社会で困らないように、少しでも多くの知識を与え、少しでもうまく立ち回れるように不器用な人の工夫を伝授して、心休まる関係性を持てる人を見ぬく目を持つようになど「家族」という小集団にいて良かったと、幸せだったと言ってもらえるように努めることでした。

 

子供たちは私たち夫婦に似て、初めての集団生活では苦しんだり悲しんだり、困難が多かったです。自分の過去を彷彿とさせる子供の1日、1日の大変さが、ある意味手に取るようにわかり、私たちには何とか、私たちの子供時代よりも心やすらかな日々を過ごせるようにと願い、また行動してきました。

 

子供たちが笑ってくれることが、何よりもほっとしました。初めての親業を、こんな世渡りの上手くない親であったために子供が負担を背負わないように、夫婦で色んなことを相談し、子供たちそれぞれの考えや思いを見過ごすことがないように、自分たちと全く違うタイプの子であっても何とか力になってやれるように、親族の大人たちや主治医や専門家など色んな人に教えを請い尽力いただきました。

 

学校から帰宅して涙ぐむ子どもの顔を見ては、親の自分が泣きそうになるのを平常心、平常心と唱えながら、できるだけ聞き役に回って、どうしたらこの子は心が休まるだろう、どう尽力したら困ったことが少しでも減るだろう、どうやったら力がついていくだろう、と考えていました。

 

抱っこを嫌がる子には、正面を向いた状態でお腹に手を回して、外を見せてやることでしのぎ、親は背中から子供のぬくもりを感じ、後頭部のつむじを見て、小さいな、いい匂いだな、と子供の存在を感じていました。

 

力の限りを尽くさんばかりに泣き叫ぶ子を見ては、この子には今の親は役立たずだと感じているのだろうな、どうしたらこの子に必要とされるだろうか、と半ば途方に暮れつつ、考えていました。

 

やんちゃっ子がとんでもない突拍子もないことをして先生に呼び出しされた時は、子供に理解されないかもしれない、どうしたらいいか親もはっきりとした自信はない中で、平常心、平常心と唱えながら、それなりに親として落ち着いてふるまう事を意識し、子供がきっと把握していないだろう大人の見る全体像と子供がしたことのストーリーを、できるだけ正確に知らせて「色んな人が関わっている、色んな人が巻き込まれている」ということを知ってもらおうとしました。

 

無我夢中で育てていく中で、少しずつ体が大きくなってきたことに安堵と淋しさを覚え、着れなくなった服を見ては、手放さなくてはいけない時期が1年、また1年と迫ってくるのを感じていました。

 

どの子も、10歳になった時には「ああ、あと何年、一緒にいられるんだろう」と感傷的になり、夫から「まだ大丈夫だよ、色んなことをしよう。色んなところへ行こう。思い出をたくさん作ろう。」となぐさめてもらいました。

 

生まれてから4年も5年も、母親として必要とされず、認識していたかもはっきりしない状態だった子が、小学校の後半になると「お母さん」と頻繁に呼んでくれるようになった時には、いつもいつも帰宅しては抱きしめ、嬉しいことがあると髪の毛にキスをし、怪我をせず元気でいてね、お友達ができてよかったね、楽しくてよかったね、と神社へ出かけた時には一緒に神様に感謝して柏手をしたりしました。

 

宿泊研修やサマーキャンプ、親族の在籍する私立の宿泊体験などで留守をするようになったころには、「今頃、何しているのかなぁ。」と家にいないことを、ぽっかりと空いた場所に慣れずにそわそわと過ごしました。

 

子どもは私にとって、自分の過去を幸せに変えてくれる存在でした。自分の辛い記憶を、学習材料に変えて、現実世界で有効利用してくれ、そして泣く事や辛い事、色んなことがあっても最後は笑顔になってくれることで、子供が言う「楽しい」「幸せ」という言葉を聞くたびに、自分が救われたように感じて、子供が元気で巣立って行ってくれることが、とてつもない「強い気持ち」であることを感じていました。

 

欲望のような、懇願のような、子供が「幸せだ」と感じてくれることを嬉しいと思う強い気持ちは、子どもに対してだけ、自然と強まっていきました。これが世の中でいう親子の情なのだと思いますが、私には「強い感情、気持ち」としか感じられませんが、幸せな感情でした。

 

スキンシップが苦手な障害特性の、敏感な子は発達障害に多いと思いますが、思えば私は許される範囲で子供たちを「感じる」ことが好きでした。私とくっつくことを厭う抱っこされたくない子を、逆持ちにして、背中とお尻しかくっつくことができなくても、全く顔が見れなくても、子供が夢中で景色を見て他のことをしていても、後頭部をいつも見つめて子供の匂いをかぐことで、子どもを感じて嬉しかったのです。

 

いま、親族の子達がちょこちょこと、小さいのから小学生、中学生、高校生といますが、やはり子供特融のしぐさや、勉強をしている時の不器用な鉛筆の持ち方や、食べる時の口にすんなりと入れられず口周りをよごしてしまう不器用さや、何か楽しかったり嬉しい刺激や発見があったときに飛び跳ねているのを見ると、ちょっと嬉しくなるのです。

 

この子達とも、いずれめったに会えなくなる時期がきます。側にいて声をかけてあげられるのはあと何年か・・・子どもは育っていき、大人は見送るというカウントダウンが、年々私には切なく感じます。

 

後悔のないように、子供たちと夫とたくさんのことをしてきたつもりです。それでも、もっと小さい手を楽しみながら子どもの爪を切ったり、やっと手をつなげるようになった子と手つなぎしてお天気の良い日に散歩したり、もっともっと、たくさんのことをしたかった・・・と思います。

 

私は無力で辛かった子供時代を生きるよりも、大人になり、自分で自由も権利も選択も自分のものにできるようになってからの生に充実感を確かに感じていますし、感謝しています。子どもができてからの年月は、私にとってこれが私の選びたかった、夢中になれる子育ての日々だったと、感謝しています。自分で選んできた、一つ一つのことが、失敗したことも困ったことも、楽しかったことも全部合わせて、貴重な1日、1日でした。

 

親族の子供たちも、一番制限が多く自分で選び取ることができない大変な日々を今は過ごしていますが、大人になって、自分の道を自分ですべて選んでいくことができる中で、充実した日々を過ごしていけることを願い・・・今後も楽しませてもらいながら見守っていきたいと思います。

 

 

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