発達障害持ちの私たちでも、人を思う気持ちはそれなりにあります。
愛情なのか、と言われると気持ちへのラベル付けが苦手な面々は悩むと思いますが、親しみを感じている人間、長く付き合っている人間には「大事」だという意識はどこかにあると思います。
今回の地震の被災地にも、親族の子(学生)が熊本の学校へ行っていたり、仕事で隣の県から入っている人間がいました。こういう時には、まず家族、家族に連絡がつかなければ会社や学校、会社や学校が無理なら親族の思いつく限り誰でもいいので誰かに連絡、と決めてはいます。
思いのほか連絡が遅く、親族の間でも時間が長く感じました。パソコンしか持っていない子は、パソコンを置いて家を出てしてしまうと連絡の取りようがない、手段がなく、他人の携帯番号を覚えていない子だと、今度は緊急で使わせてもらえる電話が設置されても番号が思い出せない。
そういう場合の決め事を、さらに簡素化して明確にしておくことを早急に考えています。
一族のちび達には、学校の指示に従う事。
勝手に学校の指示なしにその場を離れないこと。
親か親族の誰かが迎えに行くまで、学校が避難所であればそこで待つこと。
必ず親族の誰かが見つけに行くので、知らない他人についていかないこと。
などを確認のうえ、ランドセルのかくしポケットに、両親の携帯番号を書いた紙をいれ、家の電話番号を暗記させました。
数字が好きな子はどこでも平気で電話番号を唱えてしまうのでそれができません。親の方が動かないといけないので、学校の預け先と「どそれまでどうするか」を明確に決めておかないといけないです。
うちの親族の子達は、学校への連絡先のお知らせの紙に、親族の連絡先がたくさん書いてあります。親が共働きの家庭も多いですし、兄弟姉妹もいますし、すぐに帰れる距離で働いていなかったりもします。その際は親族の年長者や、手の空いている独身者にも動いてもらわないといけないからです。そして何も緊急時だけにこの連絡先は必要とは限らず、日常生活の中でも、突然の事態はしばしば起こる発達障害児なので、連絡先の親族はよく活躍しています。私も今では連絡先にのる親族の一人です。
被災地の、今後の安全を祈ります。山の神、地の神が人を守ってくれますように。