先の記事,

①人の相談にのって大丈夫な人、大丈夫じゃない人。「自己の思考の渦に取り込まれやすい」人のこと。
の続きです。


自分自身や、親族の子供たちや、成人してうつ病など二次障害を抱えたパートナーもやってきた、「現実世界で行動して生きることとは何か」という具体的な例を、一つだします。


例えば、

生活に張りがなく、部屋もごちゃごちゃで、何も気力がわかない、自分には整理整頓の技能もない、

と悩んでいるのであれば、限定された一つの小さな空間、トイレだけを掃除してみてください。一日の生活で頻繁に使うのはトイレです。そこだけを、まず「はじめの一歩」として掃除をし、トイレットペーパーの予備を、自分の趣味に合うようなかわいい物やシンプルなものを選んで購入して備え、トイレカバーやマットを、自分の心が明るくなるような色合いやデザインのものにしてみてください。

それが、「現実の世界で行動する」ということであり、家という空間での社会生活を整えるということであり、自分の気分を整えるということでもあります。行動によって、自分や環境が影響されて良い変化が生まれるのです。

逆に言うと、行動しない=現実的な変化は期待できない、良い影響もふってわいてこない、、ということなのです。

そして、このたった一回のトイレ掃除こそが、「日常生活、現実でやった努力」であり、その努力は掃除だけでなく、環境を整え明るくするという計画性や計画に基づいた行動実践の具体的な練習にもなっており、その結果を「毎回トイレを使う」ことで実感できるという、複数の学びや体験がついてきます。

世間一般の定型の人が言う「努力」とは、こういう小さな一つの行動であり、自分でできることからやりなさい、というアドバイスは、こうした「小さな行動と結果」なのだということを、発達障害の人間は知っていくことで社会生活の「普通の、小さい行動と結果の集大成」であることがわかってきます。このことに気が付かず、思考の中で生きていると、ただ悩んで、ぐるぐると不安になり、体験も経験も実行もなく、疲労して消耗してしまう日常=自閉ワールドでの生活となります。

発達障害の子供は、生まれながらに自閉の思考の中にいて、それが「自分の自然体」として自閉ワールドこそが、自分の常識であり、生きる世界であり、学ばずに得た特徴、特技として成長しようとします。

その子達が「家庭という小さい集団社会」「保育・幼稚園という中集団社会」「外の子供・大人という広範囲での現実社会」でやっていくには、自閉ワールドではとうてい対応はできず、ギャップがありすぎるので、こうした「トイレ」という空間ですら、人間の生き物としての生理現象の一つであり、その場所であり、管理している場所である・・・という現実社会の生活・人の営みの中の一つなのだ、ということを、ただ、活動するという実践から経験し、「社会生活」を覚えていきます。

発達障害の人は「経験からしか学べない」と専門家や本から、聞いたり読んだりしたことはないでしょうか。経験とは、自分に影響を与える効果的な方法であり、活動が、その手段なのです。

思考の波にとらわれやすい子供や成人してから発達障害と知ったパートナーさんは、こうした「小さい行動」を、生活の中で意識的にして、その影響を自分で感じるという「認知行動療法」をすることで大きく意識がリフレッシュされています。

心の渦から一歩出て、二歩でて、紆余曲折しながらも「自分でできる、自分なりの方法と工夫でやれる」小さい行動を重ねることで、苦しい思考だけの完結した世界から、苦しみや悲しみもあるけれど、確かに喜びをもたらすこともある現実社会で、「得た経験」から、変わっていきます。

現実社会で生きていくということは難しいことではありません。

毎日の、小さい生活の営みの、ほんの一つを「実際にやってみる」のが、生きることです。

頭の中で、大仰に、大変なことのように思いこまず、現実社会とはこうした「小さいこと、小さい行動の集大成」であることを行動していくごとに実感していくことでしょう。社会生活は大変なことではなく、小さいことを、長年一つ一つ、できることを少しずつ増やして、ごく平凡な小さな繰り返しをしていくことで いつの間にか生活が、思考が、自分が「整っていく」ものである、ということを書いて終わりにしようと思います。





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