私達、発達障害の人間が
「社会性に欠ける」とか、
「人の気持ちがわからない」
と世間で言われていることと、現実の特性を持っている人間の認識のズレの一つとして、「言葉の意味を正確に理解できていない」ことがあげられます。
これはおそらく、話をする方の定型の方が、「言葉自体が正確に相手に伝わっていない・正確に言葉の内容が理解されていない」ことを知らずに、特性持ちの人がしでかす言動がおかしいとか、タイミングが合わないとか、トンチンカンであるという「言動の部分」にフォーカスして感じているために、本などでは「社会性に欠ける」「相手の気持ちがわからない」という言い方になるのだと思います。
子どものトラブルや、親の言うことをさっぱり聞かないというありがちな問題でも、この「言葉の理解」が一番の壁になることが多いです。
例えば、
・ 脱いだ服はカゴにいれてね(床やカゴ以外の所へ置いてはいけない)
・ 片付けしよう(このまま置いておいてはいけない)
・ 今はごはんを食べる時間よ(今、ごはんを食べないといけない。他のことは後でする)
などの簡単な指示語は、カッコ内のことが含まれた意味をもつのですが、こうしたカッコ内の意味は一切理解していないのが、障害特性のある子どもの最初の特徴ではないかと思います。
経験を重ねて理解できるようになったとしても、自分がやりたいことがあるとそれを優先させてしまう、という状態を時々見せる場合は、このカッコ内の「してはいけない」「今はダメ」という、ダメ、という禁止的な意味合いが落とし込めていないからです。
障害特性のある人が、ダメだという言葉に敏感なのも、同じ事がいえます。「ダメ」と言われた時の言葉に、「ダメなこと以外はしてよいのだ」という、100%の行動を禁止される言葉ではない、と、本当の意味で自分の中に落とし込められないからです。
その人の理解の中では「これをしてはダメ」は、自分がしていい行動は0、ゼロなのだ、という禁止用語としての把握が強く、同時に意味する「それ以外は今は禁止されていない、してよいこと」という余白を読み取れないのが原因で、よくパニックをするわけです。
これは自分でしっかり自覚して、人と交わす言葉の正確な意味、「言われた言葉の単語レベルだけで考えない」「ダメなことは限定の意味を持ち、他にダメじゃないことを含むのだ」と考えたり、定型の人の発する言葉の性質を考える癖をつけないと、正直、まともなコミュニケーションができません。
子どもだと学校生活のあらゆる部分に支障が出てきます。
例えば、
「算数の教科書、10ページを開いてください」と
いう指示は、「今、10ページを開こうね。後で開くのはダメですよ」ということに等しいです。今から授業をするのだから、10ページを今開かないと、筆箱から鉛筆を出したり、消しゴムをいじったり、ノートに落書きして無視をしていたのではダメだという禁止の意味もあろうかと思います。
ところが、「言葉」というツールの大切さを実感しない障害特性のある子や、こうした「今」先生がその言葉を言うのはなぜか、という指示のタイミングを理解しない子は、この言葉は「聞いても聞かなくてもいい、参考程度の音声」として聞き流します。
ですので、親が先に
「先生が、算数の教科書の10ページを開きなさい、と言ったときは、今そのページを見てください、説明をしますから、という意味があるからすぐに開こう。」
「開かないと、『言われていることができない』って、お友達や先生から思われるよ。」
「いつもいつも、先生の指示を聞いてもやらないと、大人の言葉をあえて無視する反抗的な子、とか、言われていることがわからない頭の悪い子、とか、よくないことばっかりお友達に言われることにつながるよ」
と説明して、先生の指示だけはきちんと聞いて、クラスでの自分の立ち位置を「反抗的」とか「できないおばか」と言われないように努力することは大事だと伝えると、少し「先生が発する言葉は大切だ」という意識が育っていくように思います。
(注:一斉指示がある程度通る子が対象です。一斉指示が聞けない子に、この方法はハードルが高くただの苦行となるのでやりません)
よく、学校で
「お友達が間違ったことをしていたからダメだって教えたのに、うるさい、お前が馬鹿だって言い返されていじめられた」
というような、正義感から人を指摘してのトラブルというのがあるのですが、結構パターンがあり、本人が「してはいけないこと」を100%、どの状況でも、誰もが、絶対してはいけないこと、と思い込んで、誤解して間違った指摘をしていることがある、というケースと、指摘した内容は正しいのですが、お友達の方が指摘した親族の子が、クラスで一番先生の指示を聞けず、クラスでトンチンカンなことや勘違い、間違いをやらかしているので、そうした子に指摘されても、「親族の子への信頼感や信用度が低い」ため、馬鹿にして聞きたくもない、聞こうともしない、というケースがあります。
親族の子にすれば、自分は正しい指摘をした、わざわざ教えてあげたのに、馬鹿にされた、という意識でいるのですが、周囲で見ていた子の話しを聞いたり、先生に「禁止されていた内容」を聞くと、親族の子が正しい意味を聞き取れていなかった、ということが多々あります。
例えば最近では、サッカーのゴールポストというのでしょうか、あの鉄のゴールの所においているやつです。あれを、「危ないから使ったらダメって先生が言ってたよ。やめなよ」と何度もお友達に注意をしたら、反撃されて泣いて帰ってきたそうです。
先生は確かに同様の言葉を言いましたが、「サッカー部の子に使ってはいけない」とは言っていません。そんなことをしたら休み時間や放課後に、サッカー部の子が練習できなくなってしまいます。
親族の子は、ユニフォームを着た人が、放課後にサッカーをする状況なら注意しなかったかもしれません。ですが、この日は公式練習ではなく、自主的なトレーニングをする子だけが先生にグラウンドを「使う許可」を得て、私服で数人でゴールの練習をしていました。
それを見て、
少人数
私服
ゴールを使って「遊んでいる」
と子どもは思い込み、「危ないから使ったらダメ」と注意したのです。先生の許可を得ていて、サッカー部の子である、この条件で使っていけないと思うことは普通はないのです。
ですが、親族の子は、自分が見て聞いた「言葉の範囲」で判断します。たまたま、自分が昼休みにゴールポストにしがみついて数人で遊んでいたら「危ないから使わないように」と注意された。だから、誰もが、どんな時も危ないから使ってはならない、と勝手に思い込んだわけです。
「危なくない時は使って良い」
という言葉の中に含まれている意味は、全く存在しません。
サッカー部の子は、ゴールポストに「しがみついて遊ぶ」危ない行為をしません。適切に、「ゴールする先」として使用します。危険ではない使い方ができるのです。それならばダメ、にあたりません。
こうした、聞いた単語だけが示す意味でとらえがちの特性のある子には、日々が「周囲の子どもとのズレ」を作ってしまうので、どうしても下に見られやすく、また常識がないとか、こんなこともわからないのか、という軽く見られてしまう原因となるのかなと思います。
その対策といってはなんですが、定型の人からの指摘を参考にしたり、
「状況というもの」
「タイミングというもの」
「ダメの範囲と、ダメじゃない範囲が同時にある」
ということを意識しながら国語の問題を読んだり、読書をしたり、テレビのドラマを見たりして自分だけで消化せず、他の人と話をしてズレを発見するような取り組みをしていくと、だんだんとコツがわかってきて、おとなになる頃に「典型的な誤解をする」ことは随分と減っています。
子供の頃のことを思い出すと赤面するような思い出は多いのが私達ですが、自分の「傾向の一つ」として意識して取り組んでおけば、大人になってそうそう、赤面するような大事になる間違いはやらかさなくなります。特に、仕事では用心できるようになり、思い込みをしないように、報告、連絡、相談というホウレンソウを「ズレがないか確認する方法」として多様するようになれます。
子どもに一番多い、この「言葉の軽視」や「言葉の単語だけで理解する」「言葉が効力をもつ範囲がわからない」という特性は、できるだけ早めに親子で意識し、家庭でもしつけの時に
「ごはんだよ」と声をかけた時に何度も無視をされたりスルーをされるときには
「ごはんだよ、って声をかける意味は、ごはんができたから、冷めないうちに今食べるよ、後で食べるっていうのは皆を待たせるし、ごはんが冷たくなるからダメって言う意味だよ」と説明したり
「後で食べるという、しちゃだめなことはわかるかな?言葉の意味をしっかりとろうね」
と確認して反応を見てみたりするといいかもしれません。
ちなみに、子どもによっては「言葉の効力が持つ範囲」が円グラフになって頭に思い浮かぶようになった、という子もいます。
「兄弟で遊んだ後、お母さんから片付けなさい」と言われた時は
「できるだけでいい」という意味で80%
弟は小さいからできなくていいという意味が10%
弟を手伝ってもらいたい、という意味が10%、
と理解したそうです。この図式が、弟と遊んだ後に「お片づけの時間よ」と言われると、ぱっと浮かぶようになってからは、イラッとすることも、弟は全然片付けないじゃん!と口答えすることもなくなったそうです。年齢差、できること、できないこと、自分が完璧にしなくていいこと、できる範囲でいいという期待値が入っていること、弟を手助けできる兄だともっといいけど、無理ならしなくていいという程度の意味も入っていること、などを説明されれば、それは納得のいくことだったのだそうです。
説明がないなら、ずっとイラッとしていたし、兄弟で自分ばっかり損してる!と反抗していたでしょうが、この子は「言葉がもつ意味にはこれとこれがある」という図を手に入れたので、すんなりと行動に移せるようになったのでした。
こういう練習は、子どもの行動を変えていくのにとても効果があると思います。それが結果的に、社会性につながります。人の発する言葉に応じた言動ができるようになっていくから、人と人のコミュニケーションにズレやおかしさ、ちぐはぐさがなくなり、社会性がない、と言われるような目立ち方はしなくなります。
言葉が「刃物」のように感じる子ほど、単語だけの意味で言葉を理解しようとする癖があると思いますので、できれば丁寧に言葉の意味の範囲などは、なるべく小さいうちから少しずつ教えてあげると認知の歪みはひどくなっていかないというメリットもあると思います。
言葉についての記事でした。