〜Godess Esoterica Life Training〜
ライフトレーニングの山ごもりへ行ってきた。
そこで通ったプロセスは
日常へ戻り、生活の歯車に座り直しても
まだまだ強烈に、内側を揺さぶり続ける。
なんだか、居心地がわるい。
こんな座り具合だったっけ?
気づかずにいたのか、
気づいていたけど
見ないふりをしていたのか。
いつだって、
幸せを感じたり
愛に包まれたら
それが歓びである。
誰かに認めてもらったり
自分の正しさを主張したり
人間らしく、エゴやマインドを
組み立てて鎧をつけて、仮面をつけて。
役割の中で存在を認められたら
それはそれで落ち着く。
それだけだって生きているといえる。
敢えて、自己探求をして
まるでそんな自分が崇高なことをしているような
錯覚だって、それも美味しい。
胸焼けしそうな美味しさだ。
この数年、タオイストジャパンでのお仕事を通して
私は私であることにくつろぐために
いままでそうと思っていた自分を壊してきた。
もちろん、資質や残すべくものはそのままに。
ここにきて、ライフトレーニングにおいて
チャクラの観点から
また深く注意深く自分のことをみている。
また、関わる人たちのこともみている。
変化を恐れること。
変化し続けることだけが変わらないことだ、
と師は言ったけど
やっぱり新しい自分に出会うのは少し怖い。
いままで慣れ親しんだやり方や関係性が
いま、戻ってみて居心地わるいと感じている
生活の座が
変化をしていくだろうことは
得体の知れない深い沼にジャンプするようで
なんの保証もない。
そんなことしなくても。
私もいつもそう思っている。
敢えて古傷を探さなくても。
ちいさい内なる子供に会いに行かなくても。
隠している蓋を開けなくても。
じゃあなんで、
こうやって自分に対して真剣に向き合うのか。
それはさ、どうしたって
そこがギフトだからなんだ。
痛みやみたくないもの、
自分の創造性の影で
ないことにされている、生ゴミ。
やっぱ隠し通しても、臭うよ。
幸せでいたいから痛みをみるわけでもなく
愛に包まれたいから
影を探すんでなく
そうして、光も闇も
陰も陽も、すべての二元性を
分け隔てなく扱いたい。
その先にどんな光明があるかは知らない。
なくてもいい。
悟りなんて、目標じゃない。
でも、全力で、全開で、生きたいのだ。
かっこわるい自分も全開でいく。
そしてそんな世界はやっぱり
安心で安全な私のフィールドである。
そんな自分と出会い続けたい。
ポエマーww わっこ。
