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「おかあさん」を呼び、強く求めるその気持ちの先には
実際の「お母さん」を超えた
何かもっと大きく絶対的なもの。
そのような存在があるような気がしていました。
それは、言葉にすると
生命の源。
そんな感じ。
そういえば、私自身、昔は母とけっこうぶつかってきて
小さい頃に言われて嫌だったことや、やってほしかったのにやってくれなかったことや、かけてほしかったのにかけてくれなかった言葉なんかを
大人になってからもしつこく覚えていたりした😂
サラーっと流して忘れたいのに、なぜか母とのことになると
簡単に流せなくて、変に執着しているような気持ちになることが多かった。
色んな人の話を聞くと「おかあさん」に対して、簡単に流せないような気持ちを感じているのは
どうやら私だけじゃないようでした。
近くのフレンチでランチしました🍴ブルーのお皿がかわいい🩵
講座の中で、体感が悪くなるとき頭の中で考えていることを【頭の声】と呼んでいるのだけど
小さい頃にお母さんから言われ続けた言葉がそのまんま【頭の声】になっているケースが、めちゃくちゃ多いのです。
例えば、
「早くしないと」とか
「ちゃんとしないと」とか
「○○できないと恥ずかしい」とか。
頭の声として出てくる言葉は、自分の価値観ではなく、お母さんの価値観(お母さんも誰かに言われただけかもしれないから価値観じゃないことも多い)だったりする。
そのくらい、私たちは「おかあさん」に大きな影響を受けている。
それを、目の前にいる「人間のお母さん」と捉えてしまうと…
お母さんとどう関係を良くしていくか?
お母さんをどう許すか?
お母さんにどう接するか?
みたいな話になっていきます。
だけど、もしかすると
私がどうやっても影響を受けてしまうのは。
私が流せないのは。
私が執着してしまうのは。
人間のお母さんではなく、そのもっともっと先にある
全ての人間がどうやっても影響を受けてしまう
全ての人間がどうやっても流せない
全ての人間が執着してしまう
生命の源。
私たちが生まれてきた理由、
私たちの存在の根源、
命を持つ全てが創造された源泉。
そんな、
全てが還る先にある、生命全体のお母さん。
そういった場所を、目の前にいる人間のお母さんに投影してるだけなのかもしれない。
そんな風に捉えてみると
お母さんとどう関係を良くしていくか?
お母さんをどう許すか?
お母さんにどう接するか?
👆こういったことを考える必要なんて、ないのかもしれないと思ってしまう。
だって、色んな気持ちを向けているのは
人間のお母さんであるようで、そうじゃない。
だから、
大人になった今、お母さんに割り切れない色んな気持ちを感じている人も
逆に自分の子供に、お母さんとして色んな影響を与えてしまうことが怖い人も
「おかあさん」とは生命の源を投影しやすい存在である。
そんな視点を少しだけ持ってみてほしい。
あの日、私が見かけた
「おかあさーーーん!」
と、小さな子供たちがみんな一斉におかあさんを呼ぶ姿。
もちろんそれは、目の前にいる「お母さんが大好き」という気持ちから来るものだと思うけど
その根底には、自分という存在が本当の意味で生まれてきた場所。
そして、肉体を失った後、これからまた還っていく場所。
その場所への強烈な想いを、この物質世界で現実的に自分が生まれてきた場所である「お母さん」に見ているのだと思います。
そして、そんな風に捉えてみると
自分自身の「お母さん」に対して感じてきた色々な想いの理由も
【頭の声】にまで影響を与えてしまう、お母さんの大きな影響力の理由も
大人になっても「お母さん」との関係に割り切れない気持ちを感じる人が多い理由も
なんとなく分かるような気がするのです🌟
