昨日、『神』という言葉が、私に引っかかった。
仲間との会話で、聞こえた言葉。
私は、特に、何かの宗派の信者ではない。
…が、八百万の神の文化で生まれ育っているから、
無意識の根底では、神のような存在を信じている。
「お天道様がみている」
…と言った類のものだ。
父母からか?祖父母からか?教育なのか?
子供の頃に触れた昔話から…かもしれない。
いずれにしても、
『人として正しくありたい』という気持ちがあり、
自分が自覚していた以上にどうやら強い方らしい…と、
なんとなく、最近、わかったような…。
けれど…
おかしなことに?いや、だから?
なんで、私ばっかり?!…と、
被害者意識もたげがちだ。
PTA、ボランティア、仕事、家族、趣味…etc
社会で生きる私には、人との関わりで、
どうやら、その被害者意識がつきまとってくる。
私の中の怒りの源は、大抵、この被害者意識だ。
神に祈る、ゆだねるということ。
神は、特定の宗教のことではないらしい。
心理学業界では、『人の本質』 とか『原則』
スピリチュアル業界では、『魂』
断捨離®のやましたひでこは、『命』
…という、どうやら、共通したもののようだ。
こんなに他者の為にエネルギーを使っているのに、
なぜ、幸せ感じゃなく、シンドくなっていくんだろう?
神も仏も誰も助けてはくれない…
そんな思いが、私の無意識にずっとあった。
『神』という言葉から、
そんな自分は、神にゆだねるどころか、
信じることすら、抵抗感が襲ってきて、
出来っこない!という反応していた。
けれど。
比較検討は出来ないのだが、やっぱり…
誰かの為に動いている自分がいるのは、現実で。
現実と感情(被害者意識)の2つの間(はざま)で、
行ったり来たりを繰り返している、そんな日々。
だが、ふと、気づいた。
ただ、思考、自分への見方…だ。
神を目指して、頑張る…という視点でなく、
自分の中の『神』をただ拾うこと…なのだ、と。
現実ベースで、優しさも貢献も奉仕も
私も、私なりに、ちゃんと発動しているではないか!
「お天道様がみているよ」
これが、私の『神』だった。
茶道では、所作をすると
「ゆっくり」と、ご指導いただいた。
声をかけられて、自分の脳内が、
いかに忙しなく動いているか…に気づく。
ゆっくり、ゆったり…を意識すると、
脳内が静まっていくのがわかった。
そうして、脳内の忙しなく動く思考を和らげ、
自分の中の『神を拾う』
茶道とは、そんな時間かもしれません。
断捨離®は、違和感を拾って
自分にとっての不要・不適・不快を手放すこと。
そうして、最後に残るものが、
自分の中の『神』に通じるもの…なのかもなぁ。
まだ確信ではないので、
引き続き、断捨離®もお稽古して、
解明して行こう…と思えた。
断捨離®トレーナー
和文化サークルのお仲間




