エイブラハムの
感情の22段階ってご存知でしょうか?
人間の感情が発する波動を
スケール化したもので
その真偽はともかく
感情の区分けを見ると
人間の感情ってとってもカラフルだなぁ
と感じて面白いのですが
1.喜び/気づき/力があるという感覚/自由/愛/感謝
2.情熱
3.熱意/意欲/幸福
4.前向きな期待/信念
5.楽観的な姿勢
6.希望
7.満足
8.退屈
9.悲観的な姿勢
10.不満/苛立ち/焦り
11.打ちのめされている状態
12.失望
13.疑い
14.心配
15.批難、自責
16.落胆
17.怒り
18.復讐心
19.嫌悪/憤り
20.嫉妬
21.不安/罪悪感/自信喪失
22.恐れ/悲しみ/うつ状態/絶望/無力感
これを、見るとわかる通り
一番波動の高い感情は
喜び、愛、自由、エンパワー感など
もはや感情という枠を超えた
スケールであるのに対し
一番低い波動の感情は
無力感、うつ状態、絶望など
石のようにかなり重い感じがします
私たちは、この一番上の感覚から
一番下の感情までを行ったり来たりしながら
カラフルなこの世界を味わう
特権階級とも言えますよね😁
なんて、ちょっと話が横道にずれましたが
今日お話ししたいのは
15.批難、自責
についてです
英語だとblame(責める)ですね
ただの批難でなく
自責も含めているところが
鋭いなぁ、と思うのです
一見ね
人のせいにする他責より
自分のせいにする自責の方が
なんかいい人そうというか
レベル高いような気がするかと思うんですが
私の感覚だと
自責と他責は、
責める矛先は違うものの
ほぼ同一の感情状態です
しょうもなさレベルで言うと
どっちもどっちww
なぜか?
これから説明していきますね
ああ、なんて私はダメなんだろう
私がこんなじゃなかったら
こんなことにはなっていなかったのに!
自責って大体
こんな脳内おしゃべりですよね?
一見反省してる風
でもね、反省とは実はちょっと違うんですよね
もっと巧妙にコズルい。
自責してるとき私たちって.
自分自身を
「ダメな自分」と「正しい自分」に分割して
「正しい自分」の側から
「ダメな自分」を責めている状態なのです
自分を二分割して
責任をぜんぶ
「ダメなほうの自分」に押し付けている
自分は「正しい」という
究極の安全圏に立ったまま
ね?ズルいでしょ?笑
安全圏からする批判て
気持ちいいのですよね
圧倒的に正しい立場だから
炎上した有名人をここぞとばかり叩く
顔の見えないネット民みたいなもの
しかし、この圧倒的に正しい立場に立って
誰かを(自分を)責めている時、
人は自分のダメなとこも
目の前の現実も
まったく受け入れられていないのです
何かのせいにして
目を背けている
責める相手が
自分であれ他人であれ
「責める」という行為自体が
目の前の現実からも
自分自身からも
逃げている、ということとイコールです
何かのせいにしていれば
自分を見なくて済むものね
むしろまだ
潔く他人のせいにした方がマシで
責めるという行為を自分に向けることで
いい人っぽさを出す方が
狡猾だなぁと思います
かく言う私も
かつて自責のエキスパートだったときは
自分を責めることで
問題からも、自分からも逃げているんだ
なんて全く気づかなくて
結構本気で自分のこと
いい人だと思ってました笑
この「私はいい人」っていうのが
結構クセモノなんですよね笑
うまくできないし
ダメダメだけど、でも
私は頑張ってる
私は一生懸命やってる
私は悪気はない
なのに、、、ってなってる時
たぶんもう、被害者意識が入ってる
かわいそうな自分
不遇な自分
無力でいい人な自分
って自己認識がどこかにある
被害者意識ってつまり
加害者(悪者)のせい、ってことですからね
多分この被害者意識(自責、他責)に
入ってる時って
めちゃくちゃ気分が悪いはず
だって自分には
現実を動かす力も
自分を受け入れる力も
ない、と思っているということだから
無力感、はそれこそ
22段階の最下位の感情ですからね
本来の私たちとはかけ離れたものだから
本当の自分て
もっとずるさも、素晴らしさも
全部許容するとてつもなく大きな存在だから
勇気をだして被害者、いい人の仮面を
脱いだとき出会う自分は
嫌な奴でも
迷惑者でもなくて
ただただ自由で
子供みたいに無邪気で枠のない
喜びに満ちたなにかなのだと思えてなりません。
