それはときに
見る者を苦しくさせるほどの
大きな悲しみや慟哭を含んでいる
先日とあるワークショップで
この動画を見せてもらったとき
私の中の悲しみの蓋が一気に開いた
↓↓↓
これを公開してくれた船長は
身内を自死で亡くされているそうだ
身内を亡くしたときって
実はやることがたくさんあって
悲しみを感じ切ることがなかなか難しい
(一気に全部感じ切らないための
優しい仕組みなのかもしれないが)
特に男性は
・人前で泣くのは恥ずかしい
・感情を感じる暇があったら現実に対処すべき
・自分は後まわしで家族を守らねば
という感覚を持っている人もまだまだ多いだろう
その強さや優しさ自体は
とても素晴らしいことだけど
その代償として男性の中に封印された
未完了の感情は膨大だと思う
そしてその蓄積された感情は
気付かぬうちに私たちの意識を支配し
世界観に影響を与える
上記の動画を見た後の
感情解放ワークでわたしは
「助けてあげられなくてごめん」
という強烈な感情に圧倒され
泣き続けた
私にも同じように
自死を選んだ身内がいた
頭ではちがう
とわかっていても
心のどこかでずっと
私のせいなのではないか
という想いが残っていた
また
残された家族の落ち込む姿も
鮮明に蘇ってきた
絶望する家族に対して
何もできない自分の無力さ
家族全員を襲う罪悪感
そこまでは
自分との対話の中で
何度も向き合ってきた感情だった
(まだこんなに残っていることには
驚いたが、でも想定内)
しかし、ここからが
さらに深い解放だった
貧しさで我が子を失った記憶
自分の勇気のなさから親友を見殺しにした記憶
災害で仲間が全滅してしまったこと
戦いで一族が無惨な最後を遂げたこと
救えなかった小さな命
夫の心の苦しみ
子供の抱えている悲しみ
…
前世、今世の記憶が入り混じり
何重写しにも重なって
「助けてあげられなくてごめん」
を追体験した
そして気づいた
ああ、私は今まで
この罪悪感と無力感というフィルターを通して
全てを見てきたのだ
文字通り、全てを
どんな現象を見ても
このフィルターを通しているから
「私は無力で、罪深い者」という色合いに染まる
そのフィルターは
気付かないほど自然に
全ての景色に入り込んでいた
今までこんなに偏った見方で
世界を見ていたのか!
そのことに驚いたと共に
ああ、気づけたからもう
このフィルターを外せる、とホッとした
すると
もう一つの言葉が湧いてきた
「私も苦しかったの」
「私も助けて欲しかったの」
絞るように痛切な叫びだった
そう
「助けてあげられなくてごめん」の裏には
私もまた苦しくて助けを求めていた
という事実があった
そして
私は自分の命を選んだ
どんなに身勝手でも非道でも
ギリギリの状況の中で私は
自分が生きるという選択を
自分の手でしてきたのだ
その力強さ、強かさ、逞しさは
決して清く正しくしおらしい
いわゆる「いい人」のそれではないけれど
でも
正真正銘の私の生き様であり
力強さだった
ずっと昔に置き忘れてきた
私の大切な一部だった
その逞しさを再インストールした目で
過去の自分をもう一回見てみると
私は全然、無力な罪人ではなかった
自分で選択し
結果を自分で引き受けて生きてきた
力強い人間だった
ついてきていないのは
自分を責め、いい人ぶりたい
頭=エゴだけだった
私はまた一つ
置いてきた自分のパワーを取り戻すことができた
この動画を公開してくれた船長
1万人のワークを導いてくれたさっちゃん
本当にありがとうございました


