「分別」と「無分別」の本当の意味 | 深層意識の力を利用し、夢を実現する

「分別」と「無分別」の本当の意味

 

いらっしゃいませ、マスターの濱田です

 

あなたは、【目覚めている意識】と、「目が覚める前」とでは、【世界の見え方】はどう違うと思いますか?

 


実は(固定観念から)目の覚めた状態では、以前と同じものを見ていても、見え方、捉え方が全く違うんですね。

 


それってどう違うんでしょう?

 


固定観念に囚われた世界では、どんな問題が生じているのか?

 

そしてそこから目が覚めた世界では、どのように仕事や人間関係、人生が変わるのか?

 

今夜は、このことについてバーのカウンターで、マスターと常連のレイコさんが話していますよ。

 

あなたも一緒に、2人の会話を聴いてみませんか?

 

さああなたも、カウンターの隣の席にどうぞ。

 


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 「分別」と「無分別」の本当の意味
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登場人物

【М】
マスター


【R子】
常連レイコ
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【R子】
ねぇマスター、最近気になっていることがあるんですよ。

 

 

 

【М】
どんなことですか?

 

 

 

 

【R子】
悟りとか目覚めの世界観において、大多数の人は【眠っている状態】だと言ったりしますね。

 

 

 

 

【М】
あ、はい。

 

 

 

 

【R子】
「目が覚めている人」と「眠っている人」とでは、世界の見え方というか、捉え方ってどう違うのかしら?

 

 

 

 

【М】
なるほど。

ひとつは【分別知(ふんべつち)】と【無分別知(むふんべつち)】の違いというのがあると思います。

 

 

 

 

【R子】
【分別知】と【無分別知】???

それなに?

 

 

 

 

【М】
まず、【分別】という言葉がありますよね。

 

 

 

 

【R子】
一般的に【分別】というと、「あの人は分別があるとか」という具合に、

いいことと、悪いことの区別がちゃんとできる、物わかりのいい人みたいな、いい意味で使われますよね。

 

 

 

 

【М】
そうですね。

ですが【分別】というのはもともとは「仏教用語」なんですよ。

 

 

 

 

【R子】
え!そうなの?

【分別】って仏教用語なんだ!

 

 

 

 

【М】
ええ。

わたしたちは何かを見聞きするたびに、【無意識に分別】をしています。

 

 

 

 

【R子】
無意識に分別?

 

 

 

 

【М】
ええ。

たとえば目の前のコップやグラスを見ると、わたしたちは考える迄もなく「これはグラスだとか、これはコップだ」って判断していますよね。

 

 

 

 

 

【R子】
あ、うん。

 

 

 

 


【М】
それだとか、誰かを見た瞬間「あ!あの人はいい人」とか「あの人は好きじゃない」って反応が起こりますよね。

 

 

 

 

 

【R子】
ふんふん。

「あれは好き」、「これは嫌い」、「これはいい」、「これは悪い」。

「これは許せない!」、「これはこういう意味」というような判断をしているということね。

 

 

 

 


【М】
ええ。

で、この判断って、【自分の意志ではやっていない】ですよね。

 

 

 

 


【R子】
自分の意志ではやっていない???

 

 

 

 


【М】
たとえば誰かを見た時、「あ、この人好み!」とか「この人いけ好かない」って、【考えてから判断】ってしていませんよね。

 

 

 

 

 

【R子】
ああ、確かに。

考える前に、観た瞬間に、瞬時に判断していますよね。

 

 

 

 

 


【М】
そう。

瞬時に反応していますよね。

それも自動的に。

 

 

 

 


【R子】
自動的に?

そう言われれば確かに、自分の意志でやってはいないですよね。

なにかに触れたり、なにかを見聞きした瞬間、自動的にもうそうなっていますよね。

 

 

 

 


【М】
そう。

【自分の意志で決定しているわけではない】ですよね。

【瞬時に、自動的に反応が起こっている】んですね。

それをわたしたちは勝手に、【自分が判断していると思い込んでいる】んですね。

 

 

 

 

【R子】
判断は自動的に起っているのに、それをわたしたちは自分の意志で決めていると思い込んでいる?

 

 

 

 

【М】
そう。

 

 

 


【R子】
つまり、わたしたちは、自分の意志で物事を判断していると思い込んでいるけど、実は自分の意志じゃないんだ。

自動的な反応でしかないのね。

 

 

 

 


【М】
そうなんです。

しかもその反応は、自分や周りに対してよい結果を生まなかったり、自他を苦しめることになるかもしれないんです。

だけど【自動的】にそうなっていて、

しかも殆どの場合、それを【正しいことだと思い込んでいるので、自分で自分を苦しめることをやっているとは、気付かない】んですね。

 

 

 

 

【R子】
げっ!

自分で自分を苦しめることをやっていながら、無意識で自動的なので、全く気付いていないんだ!

それが眠っている状態ってこと???

 

 

 

 

【М】
ええ。

気付いていないことにすら、気付いていない状態です。

エックハルト・トール氏は、多くの人は機能不全を起こしていると言ったりしますが、このことと言えますね。

 

 

 

 

 

【R子】
自分でも気づかないうちに、勝手に「これいい」「これは悪い」「これはこういう意味」と判断している。

それが【分別知】ということ?

 

 

 

 

【М】
はい。

 

 

 

 

【R子】
じゃあ【無分別知】はどんなものなの?

 

 

 

 

【М】
このような自動的な反応が起こらない状態。

またはこのような反応にとらわれず、【見えるものがあるままに見える状態】のことと言えます。

 

 

 

 


【R子】
見えるもの、触れるものに、意味が引っ付いていない状態のこと?

 

 

 

 


【М】
はい。

たとえばレイコさんは、お札を目にしたら、どんな反応が起こります?

 

 

 

 

 

【R子】
あ!お金だ!って思いますよね。

で、お金にまつわる様々な感情も湧いてくるわ!

 

 

 

 


【М】
ですよね?

もしお札が【無分別知】の世界観で見えたらどうなるでしょう?

 

 

 


【R子】
ああ、なるほど。

ただの紙切れに見えそうですよね。

っていうか、そもそも、紙だとさえ思わないかもですね。

 

 

 

 

【М】
ですよね。

 

 

 

 

【R子】
たしかにこのように会話していたら、なんとなくわかったような気がするけど、

実際の【無分別知】で見える世界というのは、【分別知】の世界の住人には、想像がつかないんだろうなぁ。

 

 

 

 


【М】
ですね。

 

 

 

 

【R子】
でもさ、【分別知】の世界にいると、どんな弊害があるのかしら?

具体的な例ってあります?

 

 

 

 

 

【М】
そうですね。

たとえばダライラマ14世が言ったという、こんな話があります。

 

 

 

 

【R子】
どんな話?

 

 

 

 

【М】
ダライラマが日本で講演会をやったときのことです。

質疑応答の時間に、ある人がダライラマにこんな質問をしました。

 

 

 

 

【R子】
ふんふん。

 

 

 

 


【М】
「世界中にたくさんのいろんな宗教があるけど、言っていることの根っこは、どれもみんな同じなんですね?」

そう聞いたそうです。

 

 

 

 


【R子】
ふんふん。

 

 

 

 


【М】
そうしたらダライ・ラマはこう言ったんです。

「違いますよ」って。

 

 

 

 


【R子】
そうなんだ!

 

 

 

 

【М】
わたしたちって何かを見聞きしたとき、「あ、これってあれと同じだ」って思うときってありますよね。

 

 

 

 


【R子】
あ、うんうん。

 

 

 

 

【М】
だけどそれは、自分の勝手に思い込んでいることで、自動的に判断が起こっているだけかもしれないんです。

 

 

 


【R子】
つまり、「あれとこれは、実は同じことを言っているんだ」って思ったとしても、それは勝手な思い込みの判断かもしれない。

その勝手な判断は間違っているかもしれないのに、それを正しいと思ってしまうかもしれないってこと?

 

 

 

 

【М】
ええ。

その結果、そのものにある、本当に大切な本質が(勘違いにより)解らないままになるかもしれないんです。

 

 

 

 


【R子】
それってめちゃくちゃ「あるある」じゃないですか???

 

 

 

 

【М】
ですよね。

 

 

 

 

【R子】
じゃあもしかしたら、間違った知識で勝手に判断して、自分は解った!って気になっているかもしれないことが、

もしかしたらたくさんあるかもしれないってことですよね??

 

 

 

 

【М】
ですよね。

更に成功者の話でも同じことが起こります。

 

 

 

 


【R子】
成功者の話?

 

 

 

 

【М】
成功者が、成功についての考え方や心構えとか、大切なことについて話しているとしますよね。

 

 

 

 


【R子】
ええ。

 

 

 

 


【М】
で、その話を聞いた側は、「それってこういう意味だな」とか「わかった!」って思ったとします。

だけど.....。

 

 

 

 


【R子】
だけど、実は成功者はそんなことは言っていないのに、全く違うトンチンカンな判断をしているかもしれない。

 

 

 

 


【М】
ええ。

 

 

 


【R子】
うわ、めちゃ「あるある」な気がする。

 

 

 

 

【М】
ですね。

 

 

 


【R子】
それって成功者の側から観たら、どんなふうに見えるんだろう?

 

 

 

 

【М】
きっと「この人、人の話を聞いているようで、全然聞いていないな」ってみえちゃうかもですね。

 

 

 

 


【R子】
きゃあー!

それは嫌だぁー!

 

 

 

 

【М】
ホントに(笑)。

わたしもかつての自分を思い出してみると、成功者の話を都合よく歪曲して解ったつもりになっていたことが、数えきれないほどあります。

 

 

 

 

【R子】
うわっー!耳が痛い!

っていうか、胸が痛い(笑)!

 

 

 

 

【М】
わたしももしかしたら、今もそんなことがたくさんあるのかもしれません。

 

 

 

 

【R子】
ほ....ホントですね!

じゃあ、どうしたら、そんな無意識で自動的な【分別知】に陥らないでいられるんだろう?

 

 

 

 

【М】
それは前回もお話した、ソクラテスの名言の【無知の知】を自覚しておくことですよね。

 

 


※前回のお話はこちら
 https://smart.reservestock.jp/subscribe_form/mail_magazine/2667258

 

 


【R子】
【無知の知】.....自分は本当は何も知らないのかもしれない。

解っているつもりでいるけど、本当はなにも解っていないかもしれないと、自覚していることですね。

 

 

 


【М】
ええ。

【無知の知】は、謙虚な生き方の土台にもなる【生き方】と言えるかもしれませんね。

 

 

 

 

【R子】
そうかぁ!【無知の知】は考え方というよりも、【生き方】と捉えたら、確かに本当に大切なことって思えてきますよね。

 

 

 

 


【М】
ですよね。

 

 

 

 

【R子】
確かに。

なんでかんでも「それ知ってる!知ってる!」って言っていたり、

「ああ、それってあれのことでしょ」って言っていたりしたら、みる人によっては軽薄に観えちゃうかも。

怖っ!気を付けよう。

 

 

 

 

【М】
わたしも気を付けよう....。

 

 

 

 


【R子】
ははは(汗)。

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◆著者プロフィール◆

濵田預士之(YOSHIYUKI HAMADA)1966年 京都生まれ

 
その人の「才能」「天命」「使命」を導き出すライフ・ミッション・コーチ

コーチング歴30年 禅を土台とした意識共鳴瞑想指導歴15年
様々なメソッドをマスターし、3万人以上にセッション・ワークショップを提供してきた。
 
自分とこの世界の本当の仕組みを解明するため、禅の老師のもとで修業 
アマゾンの奥地まで足を運ぶなど、17年にわたり探究を続け
2023年3月「自分」と「世界の仕組み」を解明、人生の目的を発見する

才能・天命・使命を実現し、世界に貢献する人や企業を支援している

著書に「マスターが伝える悟りのお話」ナチュラルスピリット社がある

 

著作に「わたしが目覚める~マスターが伝える悟りのお話」ナチュラルスピリット社がある