手放すとやってくる奇跡の話
よく自己啓発などの本の中で「手放す」という言葉が出てきますよね。
手放すと奇跡のようなことが起こります。
ですが「手放したらうまくいくはず」という前提で、
手放そうとするとうまくいきません。
「手放したらうまくいく」という思いには、
「手放したらご褒美が手に入る」という駆け引きが働いており、
それは「駆け引き」「取引」であって、「手放す」ではないからですよね。
「手放す」とはいったいどんなものなのでしょう?
今日は「手放す」ことで奇跡のようなことが起こった
わたしの体験談についてお話しますね。
わたしがはじめて座禅の老師のもとで座禅修行したときのことです。
わたしは座ってみて、はじめてどのくらい自分の頭が、
常に「考え事」でいっぱいなのかに気づいて愕然としました。
次から次に浮かび続ける「思考」。
考えは絶え間なく浮かび続け、まったくとどまるところを知りません。
1時間座っていたとしたら、59分59秒考え事をしながら、
考え事に没頭し続け、考え事にとらわれているという自覚すらありません。
一瞬「あ!考え事してた!」と気づくのですが、
次の瞬間には「なんで考え事をしてしまうんだ!」と
また考え始め、考え事がまったくとまらないのです。
わたしは座禅で真剣にすわって、生まれて初めて、
どのくらいわたしの頭が常に考え事=「雑念」に
とらわれ続けているのかを知って本当に愕然としました。
考えないようにしようとしても、考え事は全くやむ気配もありません。
わたしはあまりの雑念のすごさに、
「今まで気づかなかった!普段、
こんなに常に雑念が浮かび続けていたのか!」と
心底愕然としてしまったのです。
さて。
そんな雑念との格闘が丸2日続いた翌日のことです。
ふと気がつくとわたしは、まぶたの裏に、
青や緑や紫の光の残像が浮かんでいることに気がつきました。
ほら、まぶしい光を見た後で目を閉じると、
緑や紫の残像がまぶたの裏に浮かびますよね。
あの残像にふと気がついたのです。
わたしはまぶたの裏に浮かぶ、この残像に関心を持ち始めました。
そうしてずっと残像を見続けはじめたのです。
はじめのうちは、ただ青や緑や紫の残像が浮かんでいただけなのに、
やがてその残像はいろんな形へと変化し始めました。
青い残像はメラメラと青い炎になっては、
浮かんだり消えたりし始め、
紫や緑の残像はDNAの螺旋のようにぐるぐると回りはじめました。
いろんな模様へと変化をし始めたんです。
わたしは「これ!面白い!」と楽しくなってきました。
とにかく普通じゃない意識状態になったことに気づいたわたしは。
なんだかとても嬉しくなりました。
秘かに自分ってすごいんじゃないの?
なんて思いだしたんですね(笑)。
そこでわたしは老師に、自分が体験していることを話しました。
「こんな経験が今起こっているのですが、
よろしいのでしょうか?」って。
すると老師は「ほお!」と感心したような顔をしました。
そして他の修行者の方たちにこう言ったのです。
「誰か浜田くんのような経験をしている者はおらんのかね?
彼がこのような経験をしているということは、
ちゃんと修行をしている成果だよ」
老師のこの言葉に対して誰も手を上げることも、
返答もすることもありませんでした。
その瞬間わたしは思ったのです。
「お!俺ってすごいじゃん!」
「俺って特別じゃん!」
そうしてこうも内心思ったのです。
「他のみんな、まだまだだな」って。
今思えば、あほですよね(笑)。
さて、変性意識から生じる幻覚が面白くてたまらないわたしは、
次の日一日中、浮かんでくるイメージの連続を楽しみ続けました。
ぐるぐる回るDNAのような螺旋、
カラフルな幾何学模様
挙句には虚無僧がずらずらと列を成して歩いてくる始末。
わたしは次々に浮かぶこれら脳内のイメージに
すっかり魅了されていました。
その日の夜のことです。
すごい経験をしていると思っていたわたしは、老師に尋ねました。
「とうとう虚無僧が列を成して歩いてくる映像まで浮かびだしたんですが、
よろしいのでしょうか」と。
「それはすごいね」と褒めてもらえると思っていたわたしは、
老師のお褒めの言葉を待っていました。
するとこんな言葉が返ってきたのです。
「油断してるから、そんなものをみるんだ」
え?......ええええ!!!???
ちょ!....ちょっと!老師、見てていいって言ったじゃない!
予想外の返答に、わたしは驚きました。
ただ、老師の口調から、わたしがなにか
ズレたことをしていることだけは察しがつきました。
さあ、そこからが大変です!
出始めた幻覚のイメージは、
今度は次々と浮かび続け、まったく消える気配すらありません。
DNA状のぐるぐる回る螺旋、光のトンネル、
鮮やかな幾何学模様、曼荼羅のような模様、
そのようなイメージが次々に浮かび続けます。
「わぁ!老師、見てていいって言ったから見てたのに、
今度はなにをやっても消えないじゃないか!」
どんなに呼吸に全神経を集中しようが、全集中!しようが、
どんなに浮かんでくるイメージにとらわれないようにしようが、
次々に浮かぶイメージはどんどん鮮やかな色彩を帯び、
まったく消えてはくれません。
わたしは一日中、浮かんでくるイメージと
格闘し続けました。
ですがその戦いはむなしく続くばかりで、
わたしは次々と浮かぶイメージに翻弄され続けたのです。
禅堂に夕日が差し込み、畳が紅く染まるころ、
わたしはへとへとになっていました。
丸一日、浮かび続ける幻覚と格闘し続け、
疲弊し、へとへとになっていたのです。
どんなに消そうと思っても、どんなに格闘し続けても、
まったくの無駄でした。
一度出はじめた幻覚は、消えてはくれませんでした。
そしてとうとう、疲れ果て、闘うことを諦めました。
「もういいや、一生出続けてくれ」
そうつぶやき、わたしは闘うことを完全に放棄したのです。
その瞬間でした。
あれだけ鮮やかに浮かび続けた幻覚が、
ふっと消えたのです。
突然、静寂が訪れました。
目の前には夕日に紅く染まる畳、
虫や鳥の鳴き声、
ただただ静けさだけがそこにありました。
あの瞬間、わたしは「手放す」を経験したのです。
手放すとは、ただ手を放すことです。
言ってみれば手に持ったペンを、
手を広げて離すようなものです。
手を広げた瞬間、ペンは落ちていきます。
そうして「手放す」ことは、「受け入れる」ことと同義です。
なにがあっても、どんな思い通りにならないことがやってきたとしても、
100%すべて受け入れると腹をくくる。
それが100%手放すということでした。
これはどんなに頭で考えてシュミレーションしたとしても、
けしてその感覚はわかりません。
経験して実感したとき、はじめて勘を掴むものでした。
後になって気づいたのですが、
老師はあえて、わたしに幻覚を見させたのだと思います。
経験し、自らの実践と経験でしか、
掴めないことを、老師は経験させたのです。
老師はわたしの状態を常に見極め続け、
常に細心の注意を払いながら、適切な言葉を投げかけ、
わたしを導いてくれていたのでしょう。
これが本物の師が必要と
言われるゆえんだとなと今は思います。
そして真剣な師と、真剣な弟子との、
あれは今思えば命がけの真剣勝負だなと思います。
本当に素晴らしい師と出会え、
素晴らしい経験ができたと思います。
なによりも知識だけではけして理解できない
貴重な実体験からの知恵と勘を掴むことができたのですから。
今夜のお話はパソコンで例えるなら圧縮ファイルです。
そのときがやってきたとき、ファイルが解凍され、
「そうか!この感覚だったんだ!」と腑に落ちるものです。
どうか今日のお話を、心の片隅に置いておいてください。
絶妙なタイミングが来たとき、
あなたを100%サポートし、助けてくれるんじゃないかなと思います。
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【著者プロフィール】
浜田義之 1966年 京都生まれ。
子供の頃から大好きなことを仕事にすると決め、
20代でアメリカの世界的トップコーチに師事し、
その後、「生き方」の師となる禅の老師に師事、
真理をもとめアマゾンの先住民のセレモニーにも参加
生きがいある人生の探究をライフワークとし、
深層意識を活用したコーチングを実践
既存の枠に捉われない、斬新な観察眼を大切にし、
執筆、深層意識を使った能力開発、
深層意識を使ったライティング講座、
コーチング、セミナー講師として活動している。
特に文章表現においては「深い気づきが得られる」
「世界に引き込まれ、まるでその場で体験しているよう」など高い評価を得ている
かつてバーの経営者であったこと「マスター」の愛称で呼ばれる
著書に「わたしが目覚める~マスターが体験から語る悟りのお話」ナチュラルスピリット社がある

