痛みを理解できないリーダーたち
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。
ミハエル・エンデの世界的な童話、
「モモ」の主人公モモ。
村にひょっこり現れた少女モモですが、
村人たちは、モモが現れてしばらくすると、
「なにかあったら、モモの所に行け」
というようになります。
ややこしい問題も、困りごとも、
「なにかあれば、
モモのところにいけばいいよ」って、
いつの間にか、なっていたのです。
で、モモは、そんな問題や、悩み事、
争いごとのさなかの人たちに、
なにをするかというと、
なにもしないのです。
ただ、彼らの話を黙って聞くだけなんですね。
ですが、モモがただ黙って、
話を親身に聞いているうちに、
話している人たちが、「あれ?」って、
自分たちで気づいて、自分たちで仲直りしたり、
問題が問題でなくなったりしていくのです。
ミハエル・エンデは言います。
「なんだ、話を聞くくらいなら、
誰でも出来ることじゃないか?って、
人は思うかもしれませんが、
ホントに人の話を聞ける人は、
滅多にいないもの」だと。
これまでの社会的なリーダーとしてみられて来たのは、
バリバリ仕事が出来る人、
バリバリ業績をあげる人だったりしてきました。
そしてそんな成果を挙げる人に対して、
成果をあげられず、
成果を挙げられない自分が、
ダメなんだと、自らを責める人たちに、
多くの人は、そして多くのパワフルなリーダーたちは、
ただ話をきくのではなく、
時に相手が頼んでもいないアドバイスをしたり、
自分の意見を、正しいかのように話し、
(本人にその自覚はありませんが)
自らを責める人を、さらに自ら責めさせてきました。
彼らはよかれと信じ込んで、そうしてきました。
そしてこれまでの世の中を引っ張ってきた、
リーダー的な立場の人たちの思考は、
少なからずそういう在りかただったのを、
バーのカウンターで、セミナー業界で、
ビジネスの世界の人たちと出会ってきて、
目の当りにしてきました。
依存的で、自己責任をとりたくない
在り方は論外として、
痛みを感じ、痛みの中で必死によくなろうとしながら、
そこからなかなか抜け出られない人たちはいます。
私もそんなうちの一人でしたし、
今もそんな時はやってきます。
が、本当にただ、話を聞き、
やみくもに同情するのではなく、
「受け取りました」と、
ただ話を、受け取ってもらったとき、
気がついたときに、自ら気づいて、
変化しています。
が、これまでの多くの人たち、
そしてパワフルな社会的なリーダー
の立場の人たちの多くの中には、
ただ話をきくのではなく、
無意識のうちに、自分の意見をいい、
無意識のうちに悪気なく、アドバイスをし、
自ら気づき、変化していく人の機会を
気づかないことさえ、気づかないうちに、
奪ってしまっているということが、少なくありませんでした。
痛みを知る人は、人の痛みを理解します。
ゆえに、人に必要以上のアドバイスをすることなく、
ただ聞くということが出来る人がいます。
パワフルな人は、痛みを感じ、
動けずにいる人の、その痛みが理解できないこと、
「自分には、分からないことがあるのかもしれない」と、
気づいてもいいかもしれません。
人は変わるとき、自らの変化によって変わっていきます。
そんな時、ホントに助けになるのは、
他人に価値観や考え方を説くのではなく、
(人への批判や愚痴は別として)
ただありのままのその人のを、
ただ聞くということが、
もっともパワフルなのだと、
気づくことは、とても大切なのだと、
最近とみに気づかされます。
人の話を、ただ聞く。
その本当のパワフルさを、これからのリーダーは、
自分の視点の範囲や、価値観だけにとらわれず、
自分には分からない人の痛みがあるのかも?と、
それを生きる人が台頭する世界に
なってほしいなと、思います。
ブログではお伝えしていない、
マスターの体験を通した知恵をお伝えしている、
マスターの無料シークレットメルマガはこちら
──────────────────────
よろしかったら、ポチっとお願いします
↓
