本日は長州人みちのくを行くその11です!
天守閣に上がります。


ロ-ソクの柄が綺麗です。

天守閣からの眺め



左手に飯盛山

「麟閣」です。
豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入り、近世的支配を
確立していきました。氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、
この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。
天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から
天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から
追放された折り、氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんでその子、少庵を会津にかくまい、
徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけました。少庵は京都に帰って千家を再興し、
千家茶道は一子、宗旦(そうたん)に引き継がれました。そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって
表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれました。 かくまわれている間、
氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」であり、以来、鶴ヶ城内で大切に
使用されてきました。


記念撮影してます。


鶴ヶ城とお別れして次です。


飯盛山に来ました。
会津と言えば戊辰戦争、と言うほど会津が全国に知られているのは、ここが、日本最後の内戦である
幕末の戊辰戦争の舞台になったからであり、その際に10代の若者達が切腹して果てた
「白虎隊」の悲劇があるからです。後に誤解だったことが分かるのですが、城から上がる煙をみて
落城と思った若者達が、「もはやこれまで」と死に急いだ悲劇は、いかに封建社会の出来事とはいえ、
その若さゆえに現代でも涙を誘います。黒船来襲に端を発した幕末の動乱期。戊辰戦争は1868年
鳥羽伏見の戦いから始まった日本最後の内戦で、旧幕府軍と薩長を中心とした新政府軍が
激しく戦った戦でした。会津は旧幕府軍として最後まで抵抗しまたが、
最後には降伏することになります。

ソ-ス串カツ

階段を登らなくても楽チンなものがあります。

これは楽ですね。

会津名物「ソ-ス串カツ」!

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