黄昏に語りて 〜天野滋さんの詩にのせて〜 -2ページ目

黄昏に語りて 〜天野滋さんの詩にのせて〜

 
天野滋さんのどこまでも優しく温かい詩をこよなく愛する
人生の秋を迎えた一人の男のつぶやきです。

 NSPで八月と言えば何と言ってもこのアルバム「八月の空へ翔べ」、しかし今回ご紹介する曲はいかにも八月らしくない、とても淋しく物悲しいイメージの曲となります。詩を書かれたのは天野さんですが作曲は平賀さん、そして私は詳しくないのでどう表現したらよいのかわからないのですが、歌の音声にまるで電話口から聞こえてくるような独特の加工がなされているように思われます。そしてそれが一段とこの曲の物悲しさを引き立たせるのです。

 

   新しい街も 雨風にさらされて 

   すっかり色あせた 風景を作る

   本当の僕は どこへ捨ててしまったと 

   無口だった街に 答えを探す

 

 本当の自分と情熱を失い色あせてしまった心、そして雨風にさらされ色あせた様にしか見えない目の前の風景。希望の光が全く見えない、こんなモノトーンの世界に迷い込んだ男性がそれでも探し求めている答えとは、いったい何だったのでしょうか。

 

   君と別れて今日で 幾日経つか忘れたし

   北へ向かう旅は 明日も続く

 

 北に住む私なので余計に感じてしまうのかもしれませんが「北へ向かう旅」という言葉に漂う淋しいイメージはどうでしょう。これが「南へ向かう旅」なら、暖かさに加え何か希望と明るさまで感じられます。実際には夏なら北への旅は涼しく楽しい印象になりそうなのに、文字に表すとそうはならない。日本語に根本的に付帯したイメージというものの不思議さを感じます。

 

   僕らしい僕は 君といる時だったんだ

   旅に出て思う 君の大切さ

   情熱傾けた あの頃の僕は いくら呼んでも戻らない

 

 よく「人は結局一人であり、友人も恋人も、そして家族でさえ最終的に他人の人生や苦しみを負えるわけではない」と言います。しかしこの世の全ての幸せは人間関係の中にしか存在しません。世の中に人との繋がりより大切な物などないのです。情熱を傾けたあの頃の自分は、君がいたからこそ存在したものだった。だから君を失った今あの頃の僕はもう戻りようもない、そう気づいたことで、この辛く淋しいモノトーンの旅もいつか終わりを告げるのでしょうか。

 令和に入り辛い事件が続いています。大切な人を失った方々の前にモノトーンの世界が広がっていることを思うと胸が苦しくなります。それでもこれからの時間と優しい思い出が、その「色あせた風景」に少しずつでも暖かな色を加えてくれる日が来る事を、願ってやみません。

 

 

 

 いつもこの日には天野さんを偲んで少ししんみりとするような曲をご紹介することが多かったのですが、今年は天野さんファン・NSPファンの皆様全てが懐かしく青春時代に思いを馳せられる曲、まさにNSPの原点とも言える曲を取り上げさせていただきました。シングルカット曲が目白押しの贅沢なヒットアルバム「シャツのほころび涙のかけら」に収録された、イントロを聴くだけで胸に響いて泣けてくるような名曲を、ここにご紹介させていただきます。

 

   やんちゃ坊主が走ってく この界隈に夕陽が落ちる

   赤ん坊抱いた婦人がせわしなく 洗濯物を取り込んで

 

 天野さんが良く描いている平和な日々の営みが、曲の始めから優しく綴られていきます。私はいつも元気に界隈を走り回っていた「やんちゃ坊主」を最近見かけなくなったことに、本当に残念な思いを感じます。良く食べ、良く走り回り、良く眠っていたあの子どもたちはどこに行ってしまったのか。こんな何気なくも素敵な風景を令和の世に取り戻したい思いが強いのです。

 

   子どもは好きよと言った君の 優しさが揺れています

   ああ久しぶりの ゆうやけがきれいです

 

 人は皆「ゆうやけ」に切ないまでの郷愁を感じます。しかしその美しいゆうやけを今自分は本当に見えているのかと感じることがあります。環境問題を語りたいのではありません。忙しさに心を亡くしその美しさに目を留めなくなってはいないかと。君の些細な言葉に優しさを感じとることのできる心の豊かさがあってこそ、ゆうやけの美しさをも感じとれるのかもしれませんね。

 

   淋しそうねと僕に言った後の 君の方が淋しそうです

   ああ本当に久しぶりの ゆうやけが赤々と

 

 「神田川」の世界を持ち出すまでもなく、この頃の若者の生活はお世辞にも裕福とは言えないものだったことでしょう。二人で手を取り、寄り添い合いながら懸命に生きている様子がこの曲からもうかがえます。でも「幸せ」という観点ではいかがでしょうか。お互いに相手の様子を淋しそうだと語るこの詩、しかし私はここから辛さや不幸さは微塵も感じられないのです。自分の淋しさより相手の淋しさを気遣うということは優しさの感情以外の何ものでもない、そこにはその淋しさをなくしてあげるために生きようという、お互いの温かな思いが溢れているように感じられます。たとえ貧しくとも、これほどの幸せはないように思われるのです。

 優しい街に息づく人々の生活、お互いが持つ相手への思いやり、そしてあまりに美しいゆうやけ空。天野さんが心に描くささやかな幸せが凝縮されているこの曲を聴くことで、今日のこの日を「幸せに生きること」とは何かをもう一度ゆっくりと考える日にしたい、そう思います。

 

 

 本日7月1日に命日を迎えられた、天野滋さんを偲んで。

 

 猛暑かと思えば豪雨というように気候に翻弄される毎日ですね。体調維持も難しいと思いますが、皆様もどうぞご自愛下さい。久しぶりの更新となりましたが、今日はデビューまもなくのアルバム「NSP II」から素敵な曲をご紹介致します。以前にも書きましたが、初期の頃のNSPには他のフォークグループにはあまり見られないメルヘンチックな曲が実はたくさんあります。そして今回の曲は、まさにタイトルにもメルヘンと詩っている可愛らしい「お話」なのです。

 

   どうやら通りの灯りもついて 星が出てきたかしら

   夜の眠りは楽しみな 秘密の扉を開くのよ

 

 おそらくは一人の少女が、毎日夜眠りにつく時に頭の中で童話的空想の世界に入る。誰もが子どもの頃に経験した、一日の中でも最も楽しい時間がこれからやってきます。

 

   こんなに醜い私でも 夜が味方になったなら

   そうよきっとなれるわね きれいなお姫様

 

 童話的な曲に書かれたこの詩を見た時、私は同じ童話である「みにくいアヒルの子」「シンデレラ」などを思い出しました。容貌や育ち、身なりなどから辛い思いをし続ける主人公が、それに耐えながらけなげに生きていると最後に幸せがやってくる。この世にはもちろん、悲劇と呼ばれるお話もたくさんあります。でもやはり私は物語としては勧善懲悪ものが好きですし、今でも「水戸黄門」などを見ると安心します。まして子どもが読む童話であるなら、一生懸命生きている人が最後には報われるというストーリーを読ませてあげたいと思います。自分を醜いと思いこんでしまっている少女にも、実は違うから夢を見ようよ、という歌を聴いて欲しいのです。

 

   空を飛ぶのが飽きたなら 素敵な王子様現れて

   私を強く引き寄せ 抱いてくれるわね

   少女は夢を抱いて おとぎの国へと旅に出る

   少女は夢を抱いて 遠い旅に出る

 

 令和の時代は夏が早まって出てきてしまったような異常気象から始まり、心が痛くなる悲しい事件や事故が相次ぐ幕開けとなってしまいました。でも、必死に誠実に生きている人々が不幸になる世の中は間違っています。平和への願いが込められたこの新しい時代を、子ども達が未来に夢を持てるような世の中にすることは、我々大人達に課せられた極めて重要な責務です。

 きれいな心を持って純粋に夢を見る少女はやがて美しいお姫様になり、素敵な王子様と結ばれる。天野さんが優しい曲に乗せて描いたこんなに幸せなストーリーを多くの子ども達の胸に届けられないならば、私たちは空で見守る天野さんにどんな顔向けができるというのでしょうか。

 

 

 

 

 平成から令和へ元号が変わり、私はついに三つ目の時代を生きて行くこととなりました。平成と令和の文字は「平和」で挟まれます。戦争のなかった平成時代は平和の文字を受け継ぐ令和時代へ、すなわちこれからの子ども達の時代へとその幸せをきっと繋げてくれることでしょう。

 この曲はNSP中期から後期にかけての名盤「天中平」の中の一曲、作詞作曲は天野さんですが中村さんが優しく歌い上げている、短いながら本当に心が洗われる思いのする曲です。

 

   夕方晴れて 虹を空に残した 天気予報が 久しぶりに当たった

   他愛のないことでも 嬉しい時があるね

   心の中のモヤモヤは 明日の風にまかせよう

 

 今なら気象予報士さんに叱られそうなフレーズですが、昔は当たらなくても明るく一喜一憂したものでした。だからこそ、思いがけない虹一つにも本当に幸せを感じられたのですよね。

 

   イチョウ並木は 傘をたたむ夕暮れ 二年前だな 肩を並べこうして

   明日の風を思う 二人の時が揺れる

   心の中のアルバムは 君とのことがあふれてる

 

 平成30年、本当に色々なことがありました。もちろん楽しいことや嬉しいことばかりではありません。むしろ振り返ってみると、苦しいことや悲しいことの方がずっと多く感じられるものです。でももう一度思い返してみませんか。辛かったこととして思い出される時間と楽しかったこととして思い出される時間、もちろんそれぞれにあると思います。ではそれ以外の時間はどうでしょう。特に何ということもなく過ぎ去った日々、おそらくはそれが一番多いはずです。当たり前の毎日が。当たり前に流れていく日々、当たり前にやってくる明日、その膨大な時間が実は幸せであることに気づけるならば、その人の人生は幸せな時間の方が圧倒的に多くなるのです。

 

   他愛のないことでも 嬉しい時があるね

   心の中のモヤモヤは 明日の風にまかせよう

 

 人が人生で起きた辛い出来事を全て記憶し背負わなくてはならないのなら、とても生きてはいけません。それでも今我々がこうして生きているということは、きっと辛い出来事があるごとに「明日の風」がそれをいつも取り除いてくれてきたということなのですよね。

 もうすぐ天野さんのお誕生日、ご存命ならば66歳でした。音楽活動においてもご病気との闘いにおいても、常に辛さと向き合ってきたであろう天野さんは、どんな時も明日の力を前向きに信じたのではないかと思うのです。子ども達の時代「令和」への期待も心配も尽きません。でも全ての子ども達に「明日の風」は平等に吹きます。新時代を明るく強く、生きて行ってもらいたいですね。

 

 

 

 

 この曲はアルバム「明日によせて」に収められている、実はファンの間でも人気の高い隠れた名曲の一つです。ペンペン草とはナズナの別名であり、果実が三味線のバチの形に似ていることから、そのペンペンという音が名の由来となっていますね。ペンペン草は幼い頃から「いつでもどこでも」見かけるたくましい植物という印象を持っておりますが、ご存知のようにナズナは春の七草の一つでもあり、実は一般的な花期は春とされています。ということで、その曲調は全く春らしくないのですが、今回は春の曲としてこの時期にご紹介しようと思いました。

 

   背中丸めて とっくり片手に 町の酒飲みが 歌う声

   冷たいわなんて からむなよ 今夜はクールに いこうぜ

 

 さて、皆さんのお酒への印象とはいかがなものでしょう。私がこれまで聞いた中でとても印象的だったのは「お酒は感情を増幅させるもの」という話でした。なるほど、お酒は嬉しい時にはその嬉しさが何倍にもなりますが、悲しい時にはそれをまぎらわせようと飲んでも、むしろその悲しさが増幅されてしまうように思われます。そして私がお酒に対して何より強く思うのは、お酒を飲むと「本当の思い」が湧き出てしまうということです。決して本音を口に出してしまうということではありません。それは人それぞれだと思います。しかし少なくとも心の中では、本当の思いが際限なく膨れあがってしまうようにお酒を飲むたび感じるのです。

 

   早いもんだぜ お前もこうして 一緒に飲める 年頃か

   子どもだとばかり 思ってたお前に 長い月日の 影を見た

 

 最初にこの曲を聴いた時にはこの男性と「お前」との関係に悩みました。年はやや離れ、女性が中高生ぐらいからの知り合いで、今はその女性が大人になり一緒にお酒を飲んでいる。カップルかは微妙だけれども、少なくとも男性は女性のことを強く思っている、そんな所でしょうか。

 

   どこか遠くへ 連れてって 酔ってるわりには 粋だぜ

   ペンペン草の 生えてる所 気ままで自由な お前らしいぜ

 

 ペンペン草は暖かい地方にも寒い地方にも強く成育できる植物であり、まさに彼女の自由さ、そして手を離すとどこにでも行ってしまうような奔放さととても重なるように思います。

 妹のように思っていた彼女が大人になり、お酒を酌み交わせるようになった喜び。しかしこの曲にはそれ以上に、いつか彼女が自分から離れていってしまうかもしれないという不安な思いはないかと感じてしまいます。長い月日に渡り抑えていたはずの「彼女への本当の思い」が、皮肉にもずっと願っていた彼女と酌み交わすお酒の力によりある種の淋しさとともに湧き出してしまった、クールを装う男性の最後のセリフが、なぜかそのようにも聞こえて来るのです。

 

 

 

 イントロから何かメロドラマの主題歌のようで少しレトロな印象を与えるこの曲は、NSP中期の名盤「風の旋律」からシングルカットされたNSPを代表する名曲です。実は天野さんにはこの曲のようにいわゆる「道ならぬ恋」を歌った曲が意外に多いかもしれません。そしてその中には「FLY TO THE MOON」の様に比較的ドライに表現した曲、あるいは「もえる白昼夢」のようにとても刹那的に歌った曲などがありますが、この曲は誠実であるがゆえ愛とルールの板ばさみに苦しむ、まさに日本人の心に響くメロドラマの世界をとても美しく描いた曲です。

 

   君には君を 愛する人が いつもそばにいるのに

   僕のくちづけを受けた 訳がわからない

   黄昏せまる面影橋に 見送るつもりで来たが

   帰したくなくなって サヨナラ言えない

 

 天野さんの曲にはモデルとなる場所が存在する曲も多数あることが知られておりますが、詩の中に具体的な地名や固有名詞が入っている曲は実は意外と少ないのです。間違っていたら申し訳ありませんが、タイトルにそれが入っているとなればおそらくこれが唯一の曲なのではないかと思います。それだけ天野さんはこの「面影橋」という場所に特別な思い入れを持っているのかもしれませんが、あらためて曲を聴くごとにこの素敵な橋の名前は詩や曲と優しくなじみ、悲しくもはかないドラマにふさわしい舞台を演出してくれているようです。

 

   心のままに生きたとしても 幸せとは限らない

   ほらふざけているうちに 涙が出てきちゃう

 

 何もかも捨てて愛する人と結ばれたいという思いと、祝福されない関係では彼女を幸せにできないという思いの狭間で苦しむ心をとても素直に描いた表現です。いったい人にとって何が幸せで何が不幸せなのか、この世に「愛」ほど答えの出ない命題はないのかもしれません。

 

   ルールも友達も 約束もみんな捨てて

   君をああこのまま 抱いていたい 面影橋で

 

 有名な小説家ドフトエフスキーの言葉には「愛があれば幸福などなくても生きていける」というものがあります。この曲と重ねるなら、幸せとは限らなくても心のままに生きたいととらえることもできる言葉です。歴史上数えきれない人々が同じ命題に苦しみ、これからも数えきれない人々が結論の出ない迷宮の中で生きて行く、きっとそれは未来永劫変わらないことでしょう。

 道ならぬ恋を正当化するわけではありません。でも人が心に嘘をつけないならば、迷い苦しんでこそ人間、そんな天野さんの思いが生んだNSPファンの聖地、それが「面影橋」です。

 

 

 

 年が明けてかなり日にちが経ってしまいましたが、皆様、良い年をお迎えでしょうか。きっとこれからもこんなゆっくりとしたペースのブログになってしまうとは思いますが、なにとぞ本年もお付き合いいただけましたら幸いです。さて、新年の一曲目はNSP初期の素朴さと温かさが残るアルバム「おいろなおし」の中でも、天野さんの素敵な詩と平賀さんの優しい曲や歌声が心に沁みてくる、そんな名曲を紹介したいと思います。

 

   誰かの視線を気にしながら 横目で歩くシャンテの街

   君の名前と僕の名前が 消えずに残る喫茶店の壁

   古い建物には 新しい人々 僕はもうこの街には いられない

   指折って数える月日 あれからどのくらい経ったのか

 

 歌の雰囲気は一度聴けばもう、昔過ごした街に久しぶりにやってきた懐かしさと、その街が変わってしまったという寂寥感に満ちた曲であることがすぐに伝わってきます。この「シャンテ」というのはフランス語で「歌う」という意味。だとすると「シャンテの街」というのは単純に考えれば歌にあふれた街というイメージになるのかもしれません。しかしそこはミュージシャンの天野さんが書かれた詩です。この曲全体の詩の内容や雰囲気をも考え併せるならば、若い頃まさにミュージシャンを目指していつも三人で歌っていた街、ということを意味しているのではないかと思われます。もちろん天野さんがこの曲に思い描いた実際の場所がどこなのかは、残念ながら私にはわかりません。しかし少なくともこの素敵なタイトルには歌こそ青春、歌こそ故郷という、天野さんの思いが強く込められているように感じられます。

 

   風が吹き抜け冷たく渡る 僕など帰れと言うように

   今一人で来てみると いこいの時はどこへやら

   古い建物には 新しい人々 僕はもうこの街には いられない

   指折って数える月日 あれからどのくらい経ったのか

 

 私も仕事を始めてからは、故郷に帰るのは年一、二回あるかないかになっています。そして訪れるたびに何かが変わり、何かが失われ、なのにそれが何なのかがわからない、そんなもどかしい思いにいつも苛まれます。しかしそれでも必死に生きていたあの頃を思い出し、あの頃の風景が今の風景に一瞬重なり、切なさに胸が熱くなることだけは今でも変わらないのです。

 一人歩く街にたとえあの頃の面影がなくなってしまっても、たとえ風に冷たくあしらわれようとも、そしてすでに新しい人々により自分たちの知らない毎日が営まれていようとも、きっと街のそこかしこに今も散りばめられているかけがえのない青春のかけらは天野さんの、そして三人の胸に決して色あせることなく輝き続けていることでしょう。そしてこの素敵な曲は私の、いや誰の胸にもきっとある、それぞれの「シャンテの街」を優しく思い起こさせてくれるようです。

 

 

 

 今年は十二月に入ってもいつになく雪のない冬を過ごせていた北海道でしたが、やはり今は当たり前のように、白と黒の街になっています。タイトル通り冬のイメージが全体に漂うアルバム「冬の時代」の中で、オープニングを飾るこの曲には冬の淋しさや厳しさよりも生きる希望や喜びが満ちあふれています。今回はそんな、私の大好きな曲をご紹介したいと思います。

 

   求め合えばコミュニケーション 信じたい人がいる

   愛はめくるめく時の中で 一つだけなくしたくないもの

   未来を強く生き抜くために あなたのその微笑みが欲しい

 

 このアルバムタイトル「冬の時代」は、人々が心を閉ざし暖かなコミュニケーションが徐々に薄れてきた淋しい時代に向かっていることを感じた、天野さんの心の叫びだったのかもしれません。しかし冬の後には春が来るから、私達は生きられます。たとえ今が冬の時代であったとしても、それはいつ終わるともしれない暗黒の時代ではなく、きっと世の中の全ての人が微笑んで暮らせるような春の時代が来る、そう信じたからこそ、この「未来」という素敵なタイトルの曲をアルバムのオープニングに置かれたのではないかと思うのです。

 

   見つめ合えばカンバセーション 偶然に生まれた国で

   もしも苦しみをわかり合えて 喜びを分かち合えたら

 

 二人の心が合わさり強い絆が結ばれれば、与えられた苦しみは半分になり、得た喜びは二倍になると言います。そこに家族や友人などが加わればさらに喜びは何倍にもなることでしょう。人は一人ではありません。たとえ偶然のめぐり逢いでも、めぐり逢いはすべてを越えるのです。

 

   未来を強く生き抜くために あなたのその微笑みが欲しい

 

 以前にも書きましたが、私はコミュニケーションにおいて最も大切なものは笑顔だと思っています。恋人同士だけではなく、職場でも、夫婦でも、笑顔は常に幸せを運びます。お母さんの笑顔を見て嬉しそうに微笑む子どもの姿ほど、幸せを感じさせてくれるものはありません。

 北海道では知らない人はいないほど有名なラジオ番組を長年されていた日高晤郎さんが、今年亡くなられました。私はこの番組が大好きでしたのでとても残念で大きな喪失感を感じたのですが、この方の追悼番組のタイトルはこの方が常々番組でも言われていた「良く笑えた日は、佳い一日だ」という素敵な言葉でした。本当に、心から、そう思います。

 人は毎年この時期に一年を振り返ると、何故か辛く悲しいことばかり思い出してしまうものです。それでも天野さんは、愛する人の笑顔さえあれば強く生きられるといつも歌われ、私達を力づけてくれました。強く生き抜き、進んで行きたいですね。未来へ、未来へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天野さんのファーストソロアルバム「あまのしげる」には「歌は世につれ」をはじめとして名曲が目白押しなのですが、今回はその中でも私のブログタイトルにもさせていただいている大好きな曲を紹介させていただこうと思います。切なさが際立つ、本当に素敵な曲です。

 

   遠くの空には 赤とんぼ そんな噂が 秋を告げる

   あれほど好きだった 本もいつしか 読まなくなったのは なぜでしょう

 

 人は大人になると、子どもの頃には誰もが持っていた大切なものを失っていきます。それは小さな事に感動できる心だったり、楽しいと思える事に没頭できる情熱であったり、そしてそれらは詰まるところ大人には見えない小さな光りを感じとる感性なのだと思います。夢中で赤とんぼを追い、野山に秘密基地を作って遊んだあの頃を思うと痛切にそれを感じさせられます。

 

   農家の屋根は 冬を待ち 枯れる草木を 誰が悲しむ

   途切れた記憶の あとさきは 息をするたび 忘れてしまう

 

 黄昏時とはもちろん一日の終わり頃、すなわち夕暮れ時を意味する言葉ですが、もし一年を一日に例えるならば黄昏時とはきっとその淋しいイメージからも秋から冬にかけての時期という事になるのではないでしょうか。農家は冬支度を始め、草木が枯れ雪に埋もれていくことも自然の摂理として受け止めながら、決して振り返ることなく今と前だけを見て生活をしていく。こんな景色の描写からこの曲全体に流れる晩秋の雰囲気は、もしかすると天野さんが「黄昏」という言葉をその日だけではなく、あらゆる物事の翳りや終局とイメージして作り上げたもののように思えます。さらに言えば、時は確実に進み、今は過去となり、未来は今と変わる...

 

   人影まばらな 夕暮れ道 とぼとぼ歩きは 僕が先

   一枚ちぎった 花びらを あなたはどうぞと 差し出して

 

 そう、もし人の一生までを一日に例えるならば、黄昏とは人生の晩秋であることが容易に想像されます。そして今が過去となり未来が今に変わることは、誰にも決して止められません。

 確かに天野さんは人生の儚さ、変わりゆく世の儚さをよく表現されます。しかし一方で、それが人の世の定命であるならそれを受け止めて今を大切に生きることの尊さもまた、天野さんは実に多くの曲で表現されております。黄昏に語る淋しい曲のはずなのに、二人の心を素直に描いた最後のこんな素敵な詩が、なぜかこの曲を限りなく温かな曲だと、感じさせてくれるのです。

 

   小さな灯りを 頼るように 僕の背中に すがりつけばいい

   今の幸せ 守るだけの 本当に臆病な あなたなら

 

 

 

 

 私の中で秋の曲と言えば自然に浮かんでくる曲、特徴的な前奏やポップな曲調が楽しい素敵な曲をご紹介したいと思います。名曲ぞろいの傑作アルバム「八月の空へ翔べ」においてオープニングを飾ったこの曲は、なかなか思いの届かないちょっと淋しい男の恋心を描いています。

 

   秋の木立ちは気取っても 冬が来るのを隠せない

   紙と鉛筆転がせば うたた寝猫が耳立てる

   ちょっとこぼれたため息 ちょっとこぼれたため息

 

 冬が近づいてきた淋しい季節、手紙を書く手も止まってついついこぼれてしまうため息に、うたた寝していた猫も起きて聞き耳を立てている。何とも我々の年代からすると青春の悩みが微笑ましいような、けれども今まさに恋に落ちている若者からするととても笑い事ではすまないほど切実な、そんな心境をごく日常的なアイテムにより見事なまでに表現してくれています。

 

   郵便受けは今日も空っぽ 一枚枯れ葉がのぞいてる

   それは季節の悪戯 それは季節の悪戯

 

 今の若者たちが愛の告白をメールやLINEで行っているかどうかはわかりませんが、少なくとも当時はそんな便利なものはありません。何日も待ってようやく手紙の返事が来たと思い、郵便受けをのぞけば枯れ葉が一枚だけであった時の失望感はいかなるものだったでしょう。それはまるで恋というものがままならないことを彼に伝えてくれているかのような、まさに木立ちが風に揺れて葉を落とすこの時期ならではの「季節の悪戯」だったのです。

 

   君のKISSは天気雨 知らない間に乾いてる

   君の助けが欲しいんだ 恋の病はなお続く

   ちょっとこぼれたため息 ちょっとこぼれたため息

   声がするよな気がするけれど あいにく外は空っ風さ

   それは季節の悪戯 それは季節の悪戯

 

 天気雨という言葉がなぜか好きです。いつの世も子どもにとって雨は何より嫌なものだったわけですが、お天気の時にパラパラと降る雨はすぐに止んでくれることもあり、むしろとても爽やかで楽しいイメージでした。でもこの曲における「天気雨」は、まるで秋の空の様に彼をやきもきさせるドライな彼女を表す言葉のように思われます。そして枯葉や葉音にて次々と彼の気持ちを揺らす季節の悪戯を演出しながら、冬に向かう淋しさまでを連想させる「秋の木立」。

 季節感あふれるこのスマートなタイトルは、実は彼女に翻弄される彼の甘酸っぱい「恋の病」をさりげなく表現した、天野さんのセンスあふれる遊び心だったと思えてくるのです。